再掲は2020年12月18日
ニール様には申し訳ない?のですが、
みどり、クーパー様にいい印象持っていない。
この件でもだし、お顔も別に好みでもないのもある。
でも、それより一事、戦後日本で『モロッコ』が公開され、
大ヒットしているとディートリッヒ様に言われた時、
侮蔑的に笑われたというのがね・・・そりゃ戦勝国だしね。
俳優になる程美丈夫なら、理屈では分かるけど、やはり感じ悪いもん。
入手した自伝が積読に・・・
過去記事再掲シリーズ、文章にはあまり手を加えてないけれど、
お写真は、かなり入れ替えてます~。
いや、積読というか、既に本棚に収納されながら未読のまま。
自伝・評伝、書簡集等、集めているのに、
ど~れも読んでない・・・
バイトの時に、あれだけ小さな字が判読できたんだから、
読書できない訳が無い・・・筈なんだけど???
ハリウッドの内幕がいかにえらいこっちゃとはいえ、
40代も後半のゲイリー・クーパー様、
半分以上年下の新人に手を付けて妊娠中絶させた上、
彼女が一方的に悪女として世間から石を投げられても、
・・・どうしようもなかったのよね、格上の大物ですもの。
そんなクーパー様を一生一度の「愛」と言い切るニール様。
やはり、本は読まないといけないわあ。
『忘れじの面影』現象かもしれないもの。
(一方には運命の相手でも、相手にとっては、顔も忘れる相手、現象)
奥さまがカトリックで別れてくれなかったっていっても、
妊娠中絶も駄目なんじゃないのかなあ、カトリック的には???
でもね『忘れじの面影』タイプ、昔の知人に居たけど、
本人は、熱烈な恋愛をしたとずっと周囲に言い続けてるみたいで、
それはそれで、お幸せなのかもしれないと思うみどりです。
男性が上手く逃げ切れた時はね。
『ムーン・リヴァー』・・・姉のようにして過ごして来た従姉が亡くなったあと、
仕事帰りの商店街で流れていたのが忘れられない・・・
「マダム」かくありき
『ムーン・リヴァー』、映画とは関係ない思い出があって、特別な曲なのですが、
あの曲というと、もちろん、『Breakfast at Tiffany's(ティファニーで朝食を)』ですね。
唄っていらしたのも、オードリー・ヘップバーン様。
だけど、あの映画で、雨の中でほっぽり出されたり、呼び返されたりするCatに続き、
みどりにとって、とっても印象的だったのは、「マダム」には、この心意気が必用なのね、
な、ジョージ・ペパード様扮する作家の卵のパトロネス、E-2様。
スタンダード・プードルが、とってもお似合でらっしゃいました。
Patricia Neal(パトリシア・ニール)様、
1926年1月20日~2010年8月8日
享年84歳。
35歳の時のご出演。
ゴージャス!というハリウッド女優さまとは一味違う、静的・知的な風貌?
まず、ブロードウェイで活躍されたというのに納得。
女優としてデビューされて、間もない『The Fountainhead(摩天楼)』(1949年)で
Gary Cooper(ゲイリー・クーパー)様とご共演。恋に。
クーパー様寄りの報道が多く、「家庭ある男性を誘惑した悪女」の烙印と共に、
仕事も来なくなったニール様。
こんな小娘を誘惑した男性側は責められないというのも、両者引き分けと思うけどな。
救いの手を差し伸べたのは、駆け出し時代から目をかけてくれていた、
劇作家、リリアン・ヘルマン様。ヘルマン様の紹介により、作家ロナルド・ダール様とご結婚。
お子様を4人授かられたものの、お一人は病気の後遺症、もうお一人は7歳にして天に。
ダール様との30年の結婚生活は、ダール様の重なる浮気が元で離婚へ。
↑ いやはや、こうして連れ添われて、30年、そういう別離もあるんですねえ・・・
1962年、アカデミー賞を受賞された時は、クーパー様がプレゼントされた毛皮のコートで出席。
クーパー様が亡くなられた際のインタビューでは「He is my love.」とお答えに。
ご自伝のむすびも「自分の愛した男性はゲイリー・クーパーただ一人だった」というもの。
私自身、「不倫」というものには抵抗があるし、お子さんたちのお気持ちは?とも思いますが、
世には、こうして想い続ける愛もあるんですね。