再掲:夜なき夜110・オードリー・ヘップバーン様の推移 | 時は止まる君は美しい

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巡りあった美しい人達の記憶を重ねます・・・
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2014年12月19日記事

 

 

 

 

ううむ、好き嫌いというより、女優さんとして微妙な印象の、

立派な生き方をされた女性?オードリー様。

 

 

微妙なだけに、自分的に「OK」出せるお写真を、

みどりなりに追求してますねえ。

 

 

「愛されアイコン」と評されてらっしゃる方がいらして、拍手!

 

 

 

 

『パリの恋人』『麗しのサブリナ』は独立して書いたような・・・

いや、10年書いてると、記憶より検索の方が絶対正しい。

 

 

 

 

「活動」を「見せる」時以外(いや、その時も同じか?)は、

徹底して「オードリー」になりきることによって、カメラと蜜月なお方?

 

 

 

 

 

今回は、写真いくらか足しましたが、いいお写真が山ほど。

 

 

 

そういう点、モンロー様と似てらっしゃいますが、

モンロー様は、ご自分の中身をさらけ出しているのと、

ある種、対極にスタンスがおありな気がします。

絶対、内を見せない。それはそれでプロ根性!

 

「踏絵」的超絶人気女優様

 

・・・でいらっしゃるお方。 Audrey Hepburn(オードリー・ヘプバーン)様。

1929年5月4日~1993年1月20日、享年64歳。 

単に好みの問題として(と、ちゃんと書かないといけないようなお方?)みどり、

女優さんとしては、苦手なお方なのであります。

俳優さんというより、限りなく俳優的センスを持ち合わせた稀有なモデルさんという印象で。


 

清冽な少女のようで、小鹿のような肢体は、誠にファッショナブル。

5歳から始められたというバレエが、体型にもよく出てらっしゃる。 




1987

 

いかにみどりがオードリー様音痴かというと、オランダご出身だと、今回まで信じていたこと。

お生まれはベルギーでらっしゃるんですね。(これまたおしゃれ)

オランダ在住の時期がおありなので、そちらの印象が強かったんですね。

複雑なご家庭で、お別れになられたお父様はナチス信奉、母系の方々はレジスタンス。

大戦中には、栄養失調に苦しまれたご経験も。1944年頃には、秘密裏なバレエ公演で、

レジスタンスの資金を得ていらしたというから、厳しい情勢の中でも、お家柄もよいし、

まだ、恵まれていらしたのではないかと思いますが、目にされた戦争の悲惨さは、

自分では何も出来ない子供の目に、一生の想いを左右させるものでいらした。 


 

以前、コレット女史自らが、オーデションで、絶対にあの子!と決めた話は書きましたが、

戦後、バレエから役者へと方向転換された後は、1951年に舞台「Gigi」のヒロイン役ゲット。

 

 

 

続いて、William Wyler(ウィリアム・ワイラー)監督の「Roman Holiday(ローマの休日)」で、

いきなりアカデミー主演女優賞受賞。 





私でも、3回くらいは観たことあるかな?

亡父が、テレビのロードショウにかかると、これと、ジャン・ギャバン様の「望郷」は、 

毎回欠かさず観てました。彼の胸キュンポイントは、ギターで乱闘するところだった。

 

 

 

 

 

子供の頃から、「ローマの休日」にときめけなかったあたりに、私の女性的問題ありか?

母と違って、ふんわり可愛い叔母も、叔父と一緒に、スイスにお墓参りに行ってたなあ。



「そういう自虐的連想はやめておきなさい」とオードリー様に言われちゃいました?

 

 

 

要請のような花嫁。

「Sabrina(麗しのサブリナ)」(1954年)公開の年には、Mel Ferrer(メル・ファーラー)様と、

舞台共演を機に出会われ、ゴールイン。15年の結婚生活の中で、一子を授かっておられる。

 


 

オードリー様のモデル的な魅力を十二分に発揮させた映画「Funny Face(パリの恋人)」。

(1957年)、共演にFred Astaire(フレッド・アステア)様。 

「私、フレッド・アステアと踊っているのよ!と夢のようでした」と語られたとか、

バレエをされていらした位だから、そりゃあ、そうでしょうとも。

しかし、このヒロイン、「仕事」をぴしっとしないんで、観ててイライラしたなあ。

ファッションカメラマン役のアステア様が、パリで撮影する場面は圧巻だったけど。



 

Breakfast at Tiffany's(ティファニーで朝食を)」(1961年)

原作者のカポーティ様が好きですんで、映画化権を売る時に、「主演がマリリンなら」と、

原作者ご自身が契約に入れたと伺うと、これ以上お色気路線で売るのは嫌、と、

モンロー様が断られてしまったというのが残念でなりません。シナリオも、オードリー様用に、

相当書き換えられたという事ですし・・・決まっていれば、

カポーティ様作品らしい生身のものになっていた?

ああ、モンロー様、あんなに演技派を切望したのに、勿体ないことを。

ご出演されてらっしゃれば、代表作にもなり得たでしょうに。

しかし、独立した作品として捉えてみると、オードリー様映画の中でもトップクラス作品だし、

「お洒落映画」になる運命だったのかなあ? 

この写真の場面でのリトル・ブラックドレス、5着用意されていたそうで、

着用されなかった1着が、クリスティーズで2006年、約92万ドルで落札され、

インドへの救済基金として、全額寄付されたとか。



 

「Charade(シャレード)」(1963年)。

ご出演された「映画」の中では、好きです。

 

1960

 

1960年撮影のスナップ。 


 

My Fair Lady(マイ・フェア・レディ)」(1964年)撮影中スナップ。

映画化に際し、制作側は、舞台版と、主演二人共を変更する予定だったとか。

オードリー様も一度は、舞台と同じくJulie Andrews(ジュリー・アンドリュース)様が演じるべき、

とお断りになられてらしたというのも、今回初めて知りました。

歌を全部吹き替えにされて、そうなる事を知っていたら出演しなかった!と言われたのは、

聞いたことがありますが、う~ん、「ムーン・リヴァー」を聴く限り、あれはあれでいいけど、

ミュージカルとなると、ちょっと無理な気が・・・   


 

そういえば、オードリー様は、「The Children's Hour(噂の二人)」1961年のような、

イレギュラー作品が無いことはないとはいえ、殆どイメージが変わらない役を、

プロフェッショナルに通されて、特に演技派になりたいとか、そういう冒険は冒されてないな。

婚約者がいるのに、遊び人にコロッといかされる役や、娼婦の役をされても、「オードリー」。

私にはそれが役者さんとして面白くなかったとはいえ、反面、それで通すのも並大抵ではない。


 

1960年代後半くらいから、可愛くてお洒落、というキャラクターには、だんだんと無理が。

この頃でまだ30代半ば!!!???まだまだ年齢的にはお若いのに、厳しいなあ。

とにかくオードリー様は、老化が早い!戦争を経験・・・といっても、後年太られた方多いし、

「痩せすぎ」は、実年齢より老けたり、やつれたりして見える、という極端な例? 


 

ご本人も、そこでイメージチェンジして女優を続ける、という道は選んではいらっしゃらない。


1979

 

Bloodline(華麗なる相続人)」(1979年)が、主演映画としては末期?

この映画は、ロミー・シュナイダー様、オマー・シャリフ様、モーリス・ロネ様等々、

物凄いキャストなのに、全然面白くないという、ある意味すごい映画?

そして・・・どうにかして欲しかった、この邦題! 


 

 

女優引退も、別に仰々しくはなく、その後もガルボ様や原節子様のように、

隠遁生活に入られるわけでもなく、逆に、よりエネルギッシュに、慈善活動へ。

リアルタイムでは、この頃のオードリー様を拝見しておりましたが、

ダイアナ妃ではないけれど、この方が活動されるという事で、アフリカの現状などが、

世の中に広く伝わって来たと思います。(ダイアナ様のような斑気な活動ではなかったし。)

ご本人も、自分の女優としてのキャリアがあるから、こうして、活動に貢献できるのを、

嬉しく思い、過去の自分に感謝している、というようなことをおっしゃっていらしたような。

1989年には、ユニセフ親善大使に。 

 

 

 

こういう時のオードリー様は、とても自然で、「慈善」という言葉が偽善的に思われるほど、

全く違和感がないお姿で精力的に活動していらした。

そういえば「第三世界、という言葉が私は嫌いです、私たちは一つの世界で、

生活しているのです」といったようなこともおっしゃられておられた。

誠、そう思います。私も先進国・後進国というような言葉、大嫌い。何様?って感じ。 

 

1981

 

1981年、当時の大統領、ロナルド・レーガン様と、ご結婚はされなかったけれど、 

精神科医の2番目の夫の後、3人目、最期まで連れ添われたパートナー、オランダの俳優で、

妻マール・オベロン様と死別されていらした:Robert Wolders(ロバート・ウォルターズ)様と。

 

 

ヴィヴィアン・リー様、ロミー・シュナイダー様もそうですが、かつての目立つ旦那様より、

穏やかで、居心地のよいお相手と、最後に巡り合われたという、お幸せそうないいお顔。

お二人目の旦那様とは、お互い、W不倫で円満離婚?なせいか、ファラ―様と違い、

お別れになった後も、良い関係で連絡を取り合っていらしたそうで・・・って、

はい、ファラ―様、葬儀には参列されてましたが、没交渉だったそうです。 

 


 

1990年、春から夏にかけて撮影され、シリーズ本編が、本放送されたのが、

オードリー様のお亡くなりになられた、ちょうど、翌日からだったという、
「Gardens of the World with Audrey Hepburn(オードリー・ヘプバーンの庭園紀行)」

凛とした気品が美しい「人」というイメージのお写真、ご本人がおっしゃる通り、

女優・「オードリー・ヘップバーン」があってこそ、あり得た後半生でらしたと思いますが、

女優・「オードリー・ヘップバーン」様より、ずっと好き。 

 

老化に対し、自然体なのが好きなみどりとはいえ、オードリー様は、不自然な位、

老けて見える・・・と今でも思います。ふっくらしてるから健康、痩せてるから虚弱とも限らない。

しかし、ある程度は「痩せすぎない」方がいいなあ??? 



 

しかし、今回発見したこの2枚の写真、今まで拝見して来た、あのお洒落さんなオードリー様の、

どの写真より、とても美しく感じました。

女優、オードリー・ヘップバーン様は、いらっしゃることが当然で、

でも、自分は興味ない女優さん、だけど、一個人としてのオードリー様は、

ご自分の生き方、信念の中で、偽りなく出来る限りを通された、美しいお方でいらしたと、

「踏絵」に対する偽りでもなく、私も正直に思いました。

 

 

一人、勝手に「う~ん、う~ん」と書かせて頂いたオードリー様の記事、

お付き合い下さって有難うございました。