第三百七十七夜・カスティリオーネ伯爵夫人 | 時は止まる君は美しい

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巡りあった美しい人達の記憶を重ねます・・・
B面ブログ「扉・鎧戸・宵の口」も始めました。

その瞳は紫を帯びた青緑の女(ひと)


昨日、予告させて頂いたお方にご登場頂きます。

さて、私、最後まで体力続くか???覚悟してかからないと。

Virginia Oldoini(ヴィルジニア・オルドイーニ)様、

1837年3月22日~1899年11月28日、享年62歳。

カスティリオーネ伯爵夫人の称号を持つ、Napoléon III(ナポレオン3世)の愛妾。




サルデーニャ王国、かつて、18~19世紀、フランスからイタリアにまたがる形で存在した王国

(首都、トリノ)。かなりお若いご結婚でカスティリオーネ家に嫁ぎ、一子をもうけておられる。

その後、従兄にあたる宰相カミッロ・カヴールによる依頼で、1855年にフランスへ向かい、

ナポレオン3世にサルデーニャとの同盟関係を結ぶことを承知させたといわれる。 

って、18歳の小娘があああああああ。いや、小娘でないと、駄目なのか?こういう場合? 

しかし、国の同盟の問題だぞ?婚姻でっていうのは、欧羅巴、珍しくもないけど。

愛妾が「夫人」であることも珍しくもないけど、さすがに、離婚同然だったとか。異国ですからね。





その上、スパイ活動までされていらしたというと、もう、デュマ様とかの小説のような話。

そんな政治への関与を可能にしたご自分の美貌を、肖像画に変わって現れた、

写真にすることに、大きな情熱を傾けておられる。 



衣装デザインに関わるだけでなく、背景からポーズから、自ら演出。

写真にも、それぞれ、物語性を持たせ、タイトルを附けたりも。





↓ 「夜の女王」というタトルのお写真。

この6連の真珠の首飾りは、皇帝からのプレゼント。 

夫人のトレードマークとして、社交界で、夫人を飾り、煌めき、生涯手元に置かれたもの。



それにしても、拝見しただけで、え?いいんですか?それって?な、露出好きなお方?

まるで、ツベルクリン注射の後のような、腕出しポーズの多い事!

街の女優さんで、皇帝がちょっと遊んだという噂の・・・とかいう立場じゃなくて、

お貴族様で、愛妾という立場・・・とは思えない、過激な演出の続出。

当時の貴族社会のモラルでは、素足もタブーという事ですけど ↓ この調子。 





素足どころの騒ぎじゃない。社交界は大スキャンダルの嵐。

しかし、それを喜ばれるような、社交界の花形であり、ファッションリーダーだった夫人。

ハタチ前。はい、とどまるところなしってところでしょう。私の天下。

皇帝とお別れになられて、一時帰国されたのだって、まだハタチです。 




その4年後に再びフランスへ。プロイセンの宰相ビスマルクと秘密裏に会見、

プロイセン占領下でも、パリが自由でいることが出来るよう交渉したというのだから、

政治手腕は、見事なもの。その後もパリに留まり、生涯を、ヴァンドーム広場に面した、

アパルトマンで過ごされた人生。ロスチャイルド伯爵は「ヴァンドームの怪物」と、

この女友達を称したと言われます。 



お気に入りのメゾンはブシュロン。その縁で、夫人が住まいとした建物を、

その後、ブシュロンが買い取って所有したこともあったそうです。 







あるわあるわ、ツベルクリン写真。 



才知にたけ、美貌を唄われ、自己顕示に憑りつかれたかのように写真を遺した夫人。





自己のアイデンティティーが見た目の「美」にある人の、「老い」に対する抵抗のすさまじさ、

実際に、見知った方にもいらっしゃいましたが・・・どうなんでしょうねえ。

物でさえいずれは壊れるように、命は老い、いつかは消えるのが自然の摂理。

夫人も、「若さ」が去った後は、ブラインドをおろした上黒く塗られ、

鏡はすべて曇らせ、外出は夜しかしないという生き方を選ばれた。  

この生き方、同じ時代に、よ~く似たお方がいらっしゃいますね。

シシーこと、エリザベート皇后、1837年12月24日~1898年9月10日、享年60歳。

生没年も、ほぼ同じくらい。あの方も、自分の姿を写真に写し、愛された。

そして、老いては、ヴェールと扇で顔を隠され、決して人に見せようとしなかった。

http://ameblo.jp/irusutyuu/entry-11226851107.html


1822



シシー様は肖像画も大変有名ですが、カスティリオーネ伯爵夫人は、やはりお写真ですね。

もし、夫人がお聞きになったら、血管が浮く?と思いますが、私、絶世の美女とは思わない。




そこで、昨日一番に載せさせて頂いたこの写真。すごいお写真だと感服するのです。

天才的なスタイリスト能力で、魅力的な部分を最大限に強調し、

奇跡のような美しさを表現しつくしてらっしゃって。

こんな奇跡の「美」を後世に遺せれば、お幸せだったでしょうか。

その後の生き方を伝え聞くと、判じがたい想いがします。 


Napoleon III


さて、その「夫人」の、超お若い頃を、「ごっつぁんです」でサヨナラされた、

貴乃花関のようなお方、ナポレオン三世。あなたねえ~、「漁色家」と、歴史に語られてますよ。

44歳にしてやっと迎えた嫁が、Eugénie de Montijo(ウジェニー・ド・モンティジョ)様。



Eugénie de Montijo


エリザベート皇后でさえ、強く意識したという、美貌で有名なウジェニー皇后。

流石、嫁ともなれば、皇帝が結婚後、またぞろ浮気を始めても、

強気に出る事が出来たらしい。おめでとうございます。

そしてこのお方も、ファッションリーダーとしても、政治舞台でもご活躍。

(「クリノリンスタイル」というスタイル自体を生み出したというのはすごい)

1826年5月5日~1920年7月11日、享年94歳。



本日ご登場の3美女の中で、唯一、地道に長く、その知性を生かし、社会的にも文化的にも、

活躍された気がします・・・って、最後のお方で、少し落ち着いてほっとしたあ。

「老い」に対しても、この方だけが、全く気にしておられなかったようだし。

ウジェニー様がおられなかったら、「美人」が放つ妄執の三つ巴の毒気で、

疲れ果てて倒れるかと思ったもの。有難うございます。

マリー・アントワネット様に強く惹かれ、ゆかりの品をコレクションされたという、

お気持ちにも興味があります。いつか、今度は貴女の夜を・・・



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