2014年5月17日記事
文明開化アピール作戦
時は明治、近代化(西洋化)した日本をアピールすべく、
外務卿・井上馨様が思いついたのが、
国賓や外国の外交官を接待する為の社交場を建てるという計画。
かくして造られたのが「鹿鳴館」。
鹿鳴館というと、陸奥 亮子様のこのお写真がつきもの。
鹿鳴館建設当時、既に、ヨーロッパでの生活も経験済み。
ちょっと吉永小百合様的なお美しい肖像写真。
そりゃまあ、集まる貴婦人が、皆様こんな美貌なら、
問題あるまいが、時代は明治、そう簡単に行くはずない。
ドレス着用の練習から始めないといけないんだし。
人手(洋装・ダンス可)不足を補うべく、
高等女学校生徒から、芸者さんまで動員。
Pierre Loti(ピエール・ロティ)様による、大和撫子像。
「巴旦杏のようにつり上がった眼をした、
大そうまるくて平べったい、小っぽけな顔」
Georges Bigot(ジョルジュ・ビゴー)様の風刺画。
ロティ様と違い、ビゴー様は日本そのものへの嫌悪感は無く、
あの時代にして、既に、日本人の伝統をおろそかにして、
西洋化を図る場所ながら、浮世絵。
設計は、Josiah Conder(ジョサイア・コンドル)様。
1852年9月28日~1920年6月21日、享年67歳。
1877年、来日、現・東大で教鞭。1883年、鹿鳴館完成。
確かに、あまり、いい評価はないらしい。
写真で拝見した印象では、用途に対しては狭い気も?
国を挙げた建造物にしては、こういう、屋内写真が見つからない。
江戸東京博物館にある、1/25の模型。
定期的に屋根がスライドすると、中では舞踏会が催されているそうな。
鍋島 榮子(なべしま ながこ)侯爵夫人 ↓ が、
実際にご着用に慣れれたというドレス。
旧岩崎邸(1896年竣工)鹿鳴館より10年以上を経ての作品。
鹿鳴館にあったという金唐革紙(きんからかわし)の、
屏風が保存されているそうです。
広島でも、呉にある「入船山記念館」で、
復元されたものを拝見できますが、誠に豪華。
鹿鳴館での女性たちをリードされた方々。
大山巌様夫人、大山 捨松(右)様。
十代でアメリカ留学経験あり。やはり、ジュネーヴ留学経験がある、
大山巌様の後妻として嫁ぐにあたり、「まずはデートから」と、
お会いになられた際、薩摩弁がきつい大山様とは、
そして、結婚披露宴は、完成したての鹿鳴館。
英・仏・独、三ケ国語を話されたというから、
当時にしては、超インテリ。会話も、気が利いて面白い才女。
おしどり夫婦として有名だったということで、
戸田氏共伯爵夫人、戸田極子(きわこ)様。(岩倉具視様・次女)
鹿鳴館を背景に、伊藤博文様と・・・あり。
それにしても、あの和服の時代に、
これだけウェストを締め付けられるあたり、根性おありです。
冒頭にもご登場の、陸奥 亮子様。
1956年11月~1900年8月15日、享年43歳。
陸奥宗光伯爵夫人。
鹿鳴館での活躍の後、夫の駐米公使就任と共に渡米。
あちらでも「ワシントン社交界の華」と歌われたお墨付き美人。
こちらはお若い時のお写真らしいです。
大山 捨松様(晩年のお写真)も、和服の方が、
「はあ~っ、楽ちん」でらしたご様子?
1956年、「文學界」発表、三島由紀夫作、
戯曲「鹿鳴館」
浅利慶太様演出、劇団四季版。
新派、初代・水谷八重子様から、二代目に引き継がれ上演。
平幹二朗様も、何度もご出演。
2004年には、佐久間良子様とご共演。
1986年には、市川崑監督で映画化。
テレビ版、今世紀は、2008年、田村正和様と黒木瞳様で。
ううむ1970年、和田勉演出、芦田伸介様、岩下志麻様が断然、
拝見したい。この時、清原役?が田村正和様ですね。
しかし、何といっても、杉村春子先生です。拝見したい!
元々「この芝居はいはば、私のはじめて書いた
“俳優芸術のための作品”である」と言って発表された三島先生。
文学座ともめたからって、劇団新派に上演権を移しちゃうなんて。
杉村春子様の為に書かれた作品で、杉村先生を超える人、
おられる訳ないと思いますが・・・