von Monaco
「優雅」「白鳥」「クールビューティー」
「奔放」「ファザーコンプレックス」「アルコール」・・・
アルフレッド・ヒッチコック監督のブロンドの女神、
Grace Patricia Kelly(グレース・ケリー)様
1929年11月12日~1982年9月14日、享年52歳。
今回の特集には、ちょっと地味?等と、生意気を言っていたら、
オスカーナイトにて。「落とせなかった男」と言われる、
Grace Patricia von Monaco
モナコ、大公妃。1956年4月18日、挙式。
1982年9月13日、ステファニー公女と別荘から帰る途中、
運転していたとされる、ローバー3500で事故。
意識不明のまま、翌日逝去。
ブレーキ跡が無い、公女は極めて軽傷だった等から、
年月を経ても、未だに、ドライバーがどちらだったか、
本当に事故か?等、色々と言わ続ける事故。
女優、グレース・ケリー様として、スクリーンで拝見したお方と、
リアルタイムで知っていた、大公妃グレース様は、
当時の私にとっては、かなり、違う存在として見えました。
そりゃあもう、未だにあの美しさを越える花嫁は見たことない、
ご結婚式の、グレース様はよく存じておりました。
しかし、中間地点のお写真はあまり拝見する機会もなく、
あの頃、拝見する公式写真は、まだ若かった当時、
「あ~あの美女が、えらいごっついおばちゃんになっちゃって」
・・・と、お会いする度に思ったものでした。
思えば、あの頃、ヒッチコック監督もまだ御存命だった。
私も長生きしたものです。
チャールズ・チャップリン様や、アガサ・クリスティ様の、
ご訃報も覚えてる。あの頃、新聞の字は、今よりずっと小さかった。
こちらのお二人のご結婚式は、生放送で拝見したなあ・・・
それも今は昔。来年は、グレース様ご逝去の年齢に追い付きます。
なので、わかりますわ、女性の中年に於ける体型の変化。実感で。
国の為の結婚でも、大切な人と巡り合う事は可能なのかも。
そう思ってしまう、お二人の表情です。
御馳走様ですとしか言いようが無いもの。
以前、光り輝くような、ご婚約時代のお写真なども、
拝見させて頂きましたが、ご夫妻となられてからのお写真を、
ダイアナ妃が、嫁した後「王族」でありながら、「女優」のような、
不思議な存在感をお持ちだったように、
レーニエ大公も、「グレース・ケリー」と並んで違和感が無い、
独特のオーラをお持ちの様に思います。バランスのいいご夫妻。
「慈しむ」ということが、心からでないとありえないものだと思いたい。
正しい「ケリーバック」の使い方、妻へのフォローのし方?
「カンバセーションピース」って言うのかな、写真でも。
ご成婚の裏には、昨夜の、オナシス様のご提案と言った、
国家としての、計算されつくされた、設計図があった筈。
それに、君主と女優出身のお妃さまなのだから、
人前でのおふるまいはパーフェクトだった事でしょう。
お膝の上におられるのは、ステファニー公女。
フレッド・アステア様との1枚。
出産の後、まだベッドに付かれておられる時のご家族での時間すら、
カメラと共にあるって、そう思って拝見すると、凄い精神力。
女優というお仕事をされていらした事が、一助になっているような。
ザッツ・皇室アルバム?
こういうお立場のお方にも、「サイン」を頂く事って可能?
グレース公妃もですが、レーニエ大公が、どっとお疲れの様。
家族の問題なんて、どこの家にも何かしらあるとはいえ、
家族イコール、国益に繋がる立場なんて、想像がつきません。
そりゃ大変だと思うし、子供に反抗され、問題まで起こされたら、
お酒でも飲まないとやってられないわ!、だってありだと思う。
今や、隔世遺伝で?モナコ、美男子産出も・・・
おばあちゃまで生きていらしたとしたら、
がみがみ言いながら、幸せなおばあちゃまされていらしたかも。
この日、レーニエ大公の前に舞い降りた地上の天使。
モナコという国を、現在のスペシャル感あるものにされた大公。
Rainier III de Monaco(レーニエ3世)様。
1923年5月31日~2005年4月6日、享年81歳。
「ゴシップ」の全てが作り話だとも思いません。
・・・だってね、大公、結構、可愛いんだもの。(結局そんなもんです)
本日のおまけその1:出たっ!邪気!
本日のおまけその2:今回はこれしかなかった、マリリン様。
ラナ・ターナー様と。