世の知恵・愚かなものが選ばれた | 白髪は輝く冠・白髪は美の冠

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日々のニュース関連や聖書の音信等を気ままに書いています。



これまでに書かれた事がらは、すべてわたしたちの教のために書かれたのであって、
それは聖書の与える忍耐と慰めとによって、望みをいだかせるためである。
どうか、忍耐と慰めとの神が、あなたがたに、キリスト・イエスにならって
互に同じ思いをいだかせ、こうして、心を一つにし、声を合わせて、わたしたちの主
イエス・キリストの父なる神をあがめさせて下さるように。
こういうわけで、キリストもわたしたちを受けいれて下さったように、
あなたがたも互に受けいれて、神の栄光をあらわすべきである。
聖書(ローマ人への手紙15:4~15:7)


以前に書かれた事柄は皆わたしたちの教えのために書かれたのであり,それは,
わたしたちが忍耐と聖書からの慰めとによって希望を持つためです。
それで,忍耐と慰めを与えてくださる神が,キリスト・イエスと同じ精神態度を
あなた方互いの間に持たせてくださいますように。それは,あなた方が同じ思いになり,
口をそろえて,わたしたちの主イエス・キリストの神また父の栄光をたたえるためです。
それゆえ,神の栄光となることを目ざしつつ,キリストがわたしたちを
迎え入れてくださったように,あなた方も互いを迎え入れなさい。
聖書(ローマ人への手紙15:4~15:7)





十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。
すなわち、聖書に、「わたしは知者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしいものにする」と書いてある。
知者はどこにいるか。学者はどこにいるか。この世の論者はどこにいるか。
神はこの世の知恵を、愚かにされたではないか。
この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。それは、神の知恵にかなっている。
そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである。
ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める。
しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。
このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、
召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。
神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。
聖書(コリント人への第一の手紙1:18~1:25)



苦しみの杭についての話は,滅びゆく人々にとっては愚かなことですが,
救われつつあるわたしたちにとっては神の力なのです。
「わたしは賢人たちの知恵を滅ぼし,知能のたけた者たちのそう明さを押しのける」と書いてあります。
賢い人はどこにいるのですか。書士はどこにいますか。この事物の体制の弁論家はどこですか。
神は世の知恵を愚かなものとされたのではありませんか。神の知恵によることでしたが,
世はその知恵を通して神を知るに至らなかったので,神は宣べ伝えられる事柄の愚かさを通して,
信じる者を救うことをよしとされたのです。
ユダヤ人はしるしを求め,ギリシャ人は知恵を求めます。
しかしわたしたちは杭につけられたキリストを宣べ伝えるのです。
これは,ユダヤ人にとってはつまずきのもとであり,諸国民にとっては愚かなことです。
しかし,召された者にとっては,ユダヤ人にもギリシャ人にも,神の力また神の知恵なるキリストなのです。
神の愚かな事柄は人間より賢く、神の弱い事柄は人間より強いからです。
聖書(コリント人への手紙第一1:18~1:25)