人任せでサボっていた、そのツケを今回収している | イルカちゃん☆星服髪/お散歩ラバー

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お散歩、食べ歩きスキー。
色んな出来事を、星、歴史、経済など
好きなジャンルから解釈するのがスキー。
服は無条件にスキー。

テーマ:


自分が主役の人生を生きる


そんなタイトルのこのブログ。






普段の記事でも、


自分で決めて、

自分で出来ることを実行する。






「自分で」って、えらい連呼してますけども…






そう思うようになったの、

実は、最近のこと笑い泣き










先日、転職活動のために

経歴の棚卸しをしていた時に

なんで、この選択をしたのか?って

自分に問いかけ、思い出していたら…







私が、


自分の人生は自分が
どうにかしなきゃいけないんだ!ポーンって、


気づいたのって、
ストレートで就職できなかった22歳の時。


それ以降の10年でそれまで逃げてきた
色んなことに向き合って来たなぁ、そう思った。




↓現実的に就職できない=給料ない
 給料ない=奨学金返済…⁉️となったとき




就職できなかったときに、はじめて、



私の人生=誰も責任をとってくれない

私の人生=私が自己責任で行動・選択するしかない



そう、気づく、きっかけになった。









子どもの時のことを思い出すと、



要領は悪くなかったし、

家族は教育に力を入れてくれていて

幼稚園から習い事に忙しかったし

小学生から塾に通っていた。





つまり、環境は

整えられていた真顔けれど、

全然、勉強していなかった!






結果、親が期待するほど良くはないけど、

悪くはない成績で、

親や将来の選択肢的な期待値の学校に

行けるか行かないか絶妙なラインで、






高校も落ちて、

大学も落ちて、

そして、就職も出来なかった。





文面だけ見ると、落ちこぼれだけど、

ショックもそんなに受けていなかったチーン





実力に見合った学校を

主張し切れなかったのかもしれない。





でも、それなりに楽しかったし、

それなりにどうでも良くて、

やりたいこともなかったし、

それでも、いつも周りに恵まれてもいた。






そんな風に流れるままに

人生の前半は進んできたけれど、 




それでも、凄い

生きてる実感を得た時期があった。




それは、中学の部活と留学中だった。





まず、中学で入部した剣道部が厳し過ぎて、

若くて生活指導の顧問の先生が怖すぎて、

辞めたかったけれど、辞めれずに、

結果主将になってしまった。




そして、チームは県で3位になり、

中学生で2段まで取ってしまった。





顧問の先生に見張られながら、
お尻を叩かれながら、
泣きながら、
逃げ道を塞がれて、


やっと、
練習するしかないと覚悟を決めて、
練習したときは、


辛いけれど、肉体的に限界まで
追い詰められる日々は
逆に生きている実感があった。





→ここから、始まるんだけど、

私は何かをおじさんorおじいさんに厳しく
強要されることが人生前半において
とても多かった。

ジャンプの漫画の
人生の前半に出会う師匠みたいな人たち。
 
他の人の人生には登場しないような
時代錯誤な少年ジャンプな人が出てくる。

そして、その師匠的な人との出会いは
いつも、結果的に私を成長させてきた。
(心身共にその時期はぶっ倒れて辛いけど)








もうひとつの生きてる実感を得たのは、

大学で留学したときだった。






そこで、はじめて、気づいたのが、



自分で決めたことだったら、

気力は持つものだということを。

やり抜くことが出来るということを。




留学中は本当にしんどくて、 


何がしんどいかって、
なにせ、はじめて、
ちゃんと逃げずに勉強し続けたから笑い泣き


はじめて、自分で選んだことだった。


親と祖父母に自分でお願いして
自分の意思で自分の望んだ先に
みんなにお金を使ってもらったから


ちゃんと、やり抜きたいそう思った。


もし、投げ出したら、どうなる?
そう思うと、やるしかないって、毎回思えた。


結局、自分で選択したことを実行している時、
生きている実感を得るんだな、と


今振り返ると感じる。








でも、また、日本の大学に戻り、

流されるままに、就職活動をして、

就職ができなかった。







だって、就職したい先なんてなかった。

働くについて、真剣に考えたこともなかった。






なんのために?

何をしたい?






そんな無目的なままで就活をして、

そして、ゴールを決めぬまま

自分を見直すこともせぬまま、

自分の人生の岐路であると実感のないまま

人任せに怒られない程度に過ごしていた。








そこで、その、

奨学金返済通知を受け取り、冒頭の、、


自分の人生は自分が
どうにかしなきゃいけないんだ!ポーンって

やっと気づいた。







現実的な理由だった笑い泣き







そこからは、とにかく、なんでもいいから、


自分の能力を
一番高く買ってくれて
尚且つ今後の
キャリアアップになる仕事


を探した気がする。






 
 

まず、新卒で、新卒のタイミングも逃したから、

雇ってもらえる場所も少なかったから
ゴチャゴチャ言わずに就職先を探した。


英語が出来て
専門知識が身につくことを期待して
一社目に入社した。



アジア系の外資だったから
在職した3年でステップアップ出来たけれど
24時間シフトで将来的に続く仕事ではなかった。



次に、朝起きて夜寝れる仕事で
尚且つスキルを活かせる仕事を探した。




楽したい!なんて、言える余裕はなかった。
人気の事務職を狙うよりも
倍率の低い仕事をと思って営業にした。




奨学金もあるし、
新卒でストレートに就職も出来ない自分が、
働けてスキルアップ出来そうなら、
勉強させてもらえるなら、そこで働こうと思った。





入社した先には


少年ジャンプのおじいさんが二人いて、
つきっきりでご指導いただくことになった。
辛かった…



少しもサボることは許されず、 
毎日限界以上の成長を期待され、叱責され、
机の後ろを常に見張られていた…



おじいさんたちは決断はできるけれど
日々の業務はパソコンとか使えないし
出来ないから


その手先となって正確に動く分身として
わたしを育てた。


いつしか、怒られるのを回避するために
おじいさんマインドを先回りするようになり
おじいさんマインドをインストールしてしまった。


成長と恩と息苦しさと我慢を
天秤にかけながら、成長した数年だった。


叩き込まれたビジネスの基礎は

多分、私を、

使える人材としてある程度完成させた。




でも、給料はすごい安くて、

負担も凄くて、改善を求めて、

いまの会社に転職した。








そして、いまの会社で、

待遇面は大きく改善されて、







やっと将来を考えて働くことが

出来る土台にたった気がした。







つまり、この会社で定年まで勤めても

生きていけるかもと、思えた。






いままでの会社では

働き方も待遇も

それを想像できなかったから。






やっと、ストレートで、

新卒で就職していった(上手く行ってそうな)

友人たちと

同じ土台に立てた気がした。







だから、余裕が出来て、

やっと恋愛なんかを

はじめたりしたのかもしれない。







この会社ではジャンプの師匠はいなかったけれど、

その分頼れる上司もおらず、

自分で全てを決めることを求められて、

責任をとる覚悟を引き受けることになった。







もう、おじいさんがいなくても、

わたしは自分で自分のお尻を叩いたり、

たまに休ませたりするようになっていた。

おじいさん達を心に飼うようになっていた。
(山羊ズちゃん、覚醒)




 


自分で、最善を、方法を、考えて、

決めて、行動するしかない。


(みんな自分の立場で一生懸命だから)



自分で主導するしかない。





そう思っているから、

行動は早まり、会社での評価はあがった。

その分、リスクも取っていると思うけど。










幼少期〜就職に失敗するまでの間、

自分の人生の岐路で実感がなくて、



いつも他人事だった、

だからヤル気も出なくて、

適当に選択していた。








その、逃げていたツケを、

この10年で払ってきた気がする。







この10年が、一番濃かったし、辛かったけど、

一番成長を感じて、一番、生きてる感覚がある。








自分で、自分の人生を生きてる感覚がある。






みんなは、元々、こんなに一生懸命に

日々選択するとき、自分ごととして

捉えているのかな、すごいな。









そして、やっと、





人生の当事者意識を持ち、

生きていけるかもと思ったわたしは、





なんで、転職するのか。







それは、生きていける以上に、



もっともっと自分の成長をみたいから。

もっともっと能力を発揮したいから。

もっともっと自分で考えて行動したいから。

もっともっと自主的に想像して
目の前の課題を解決したいから。

もっともっと、稼ぎたいから。




漠然としているけれど、

そうゆうことなんだと思う。

もうちょっと言葉にしないとな…






来週からの面接で、

話してこようと思います!






がんばるぞニコニコキラキラキラキラ


お付き合いありがとうございました。