まだ療育行かせないかんの?


あーあ、また始まった真顔真顔真顔


指摘されてた発達の凸凹はなくなったけど、集団指示が完全に通るわけじゃないので継続してほしいという保育園の要望と


家庭では限界がある細やかな学習対応、心の休憩所として療育を利用させてもらってる照れ


勝ち負けへのこだわりや、数字に対する苦手意識、運筆の苦手さはまだあるしねショボーン


実際通い出したこの半年でかなり伸びたし、今も伸びてるのに、療育を利用することを否定する言葉が出るのが悲しい悲しい


週1、1時間だから驚くほど伸びてるわけじゃないかもしれないけど、楽しんで通える習い事と考えれば、十分すぎるほどで、太郎の登園しぶりも、療育を挟むことで、軽減されてきたおねがい


私はすごく効果を実感してるし、なにより太郎が楽しんで行けてるのが有り難いのだけど


主人の療育に対する負のイメージよ真顔真顔真顔


年々療育をとりまく状況は厳しくなってきていて、診断ありの人しか行けないとなったら、そこで終了ではあるので、その覚悟はしているのだけど


障がい者に対するレッテル、支援級や加配、療育に対する差別意識は、根強いのだろうな悲しい


簡単に言ってしまえば、主人は太郎の成長を感じるからこそ、もう療育に行ってほしくないのだ


発達に問題あるかもと言われたときは、すごくショックだったし、私の中にも障がいに対する忌避感がないと言えば嘘になるけど


元気で毎日楽しそうに過ごす太郎を見て、あぁ、この姿が見たかったと思えて


その過程になにがあっても、太郎が元気なら一番幸せだなと改めて思い照れ


療育のサポートが必要なら受ける、病院が必要なら病院に行くのとなんら変わりない。ただそれだけのことと捉えられるようになった


まぁ、主人は太郎と関わる時間が少ないから仕方ないかもやし。自身の思いはあれど、療育に関しては私の意志を尊重してくれるから、太郎に向ける愛情の形やそれぞれの考え方の違いはあっても、家族として前を向けてる気はしてるウインク


愛してるからこそ否定したい気持ちなんだろね。どちらも愛情だからな、間違ってるとかではないぼけー


考え方の違いを受け入れ、できるだけ耳障りが良い言葉で必要性を説明し、相手が折れてくれたならば、それに対する感謝をする。答えはひとつにしなきゃいけなくても、愛し方はそれぞれあってよい。


よくぶつかってたとき、夫婦って相手に考え方をわからせなきゃいけないもの?敵じゃないんだよ?と言われて、確かになぁと思ったんよ。


実際、療育の効果といった部分では、行かせなかったほうの効果は見えないから、わからないしね。太郎の為になってると思うからしたい。それは私のワガママでもある。


だから、ワガママを受け入れてもらえることに感謝はしたいんだ照れ