現状、診断名はないけど、発達の問題を指摘されたことを良かった、悪かったという視点で考えてよいなら


やっぱり、専門家に指摘されたら納得もしたけど、保育園の先生だと知識不足、誤認識、専門性の欠如があるかなとは思っている


保育の専門家としては、尊敬しているし、やりかたなども参考になったりするけど、先生が発達の問題を指摘するのはまだ課題があるなと思えてしまう(でも、現状他にいないよね真顔


知識不足、困りごと=発達の問題と簡単につなげてしまいがち、園や先生による差があるってのが私が思う課題で


検査をした結果が基準とかならわかるけど、やっぱり、言われるだけでもかなり悩むから、私は簡単に口にしてほしくないなと感じたぐすん


3歳児検診でひっかからなかったからよし!とかじゃなく


一定の基準値の策定と、それに基づく客観的かつ合理的な判断が大事だろうなと。専門の人材や簡易チェックリストみたいなのを導入するとかさ。発達の問題を指摘する基準が曖昧すぎて今の制度には不満がある。


太郎の療育につながったことに対しての不満はない。実際遅れも取り戻せたし、発達凸凹が半年間で能力的には均一になってきたなら、かなり意味があったと思う。


私ね、とても悲しかったの悲しい


知的障がいのない自閉症の子が、親にこの子は結婚もできないだろうし、親が死んだら兄弟に迷惑かけながら生きるしかないのかなと思ってると言われたことが


もちろん、それだけ親御さんは今すごく苦労されてるし、今までも苦労されてきたんだと思う。心が疲弊してしまうくらい、育児が大変だったんだろうなって


でも、発達障がい自体は年齢とともに落ち着くし、知的な問題がないなら、こだわりが落ち着いてきて、環境さえ整えてあげれば大学進学とかも全然可能だし、先々仕事だってできるし、結婚だってまだ全然わからんやん!!おもて


診断がついたら、こんなに将来悲観せないかんもん?


みんなと一緒のことが今はできないかもしれないけど、先はわからないし


それならちゃんと希望もっていいんだよ!と勝手に思ってしまい悲しい


うちらが小さい頃は、区分があるとしたら、知的障害があるかないか、日常生活が送れるか、病気があるかないかくらいでさ、今みたいに簡単には発達の問題とか指摘されなかったんね


まぁ、扱いづらい子はいたと思うし、学級崩壊とかさ、いろいろ問題はあったんだろうし、そこから発達障がいっていう概念や診断につながっていったのかなと思うんだけど


うちの元部下もさ、ADHDの不注意優勢型って診断受けたらしいんやけどさ


ねぇ、考えてみてって話したのは、確かに一緒に働いてたときもミスは多かったし、知ってるよ。でも、ちゃんとミスカバーできてたよね?


それを知ってるから、批判する人なんて誰もいなかったでしょ?今回はなんでミスしやすいのかがわかった、だけだよ?


ちゃんと仕事できてたし、信頼されてたよ。私はあなたの仕事に対する姿勢を尊敬してたよ。


診断ついたから、全部駄目になるの?ミスばかりのダメ人間になるの?違うでしょ。


ミスしやすい特性があるだけ、気をつけたらちゃんとカバーできるし、できてた。診断がついたからって、真面目に仕事に向き合ってきた事はなにも変わらないよ


私は診断を有意義に使うなら診断の意味があると思うけど、可能性を狭めて卑下するだけなら、診断する必要はないと思ってる


苦手なことと理由がわかる。なら、対策がとれる。診断はそのためにあってほしい。


苦手だから、普通に生きれない。理解されない。みんなと同じに生きれないって、どんどん距離取ってひとりになる必要なんてない。


みんなと同じにできなくてもいい。苦手なこと、できないことがあってもいい。できることをやったらいいのよ。


もし何かを排除するために、子どもの発達障がいを理由にするなら、それは絶対許されないと思ってる。


まぁ、でも、合わない環境で無理してしんどくなるよりは、合う環境でのびのび生きるのはよいと思うけどね。それもご縁。合わない人おるなら、合う人もおる。


診断=未来への絶望じゃないってことは、心に留めていてほしい


相談員さんは、子どもは成長します。ぐんぐん伸びます。1年先なんて誰にもわかりませんって言ってくれた


それは私にはすごく嬉しかった!口笛


もう40になろうとしてるのに、今から何か新しいこと始めてみたいな、楽しみだなとか思ってる私がいる。私も多分凸凹だけど、それなりに生きてる照れ


こんなあとは朽ちるだけ、人生折り返し地点でも、なにか始めようなんて思えるんだから、今から成長していく子どもの可能性なんて無限にあるよね


子どもの持つ可能性を親が諦めないでほしいとは切に思う。あと、診断がつくことが親や本人を苦しめる側面もあるんだなとはやはり感じてしまうショボーン