アメトピ掲載ありがとうございました

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※ここから区切り線まではヤフー知恵袋の引用です


https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14199764409 


それに、療育は障害のある子が通うと思ってる方も多いですが、癇癪や暴力だったり、気持ちの切り替えが下手(お子さまの場合はこれ)や言葉の遅れなど発達に偏りがある子が行くところです。


療育することで改善されれば療育を辞めていく子もたくさんいます。念のため就学まで続ける子ももちろんいますけどね。(もちろん診断がついて通っている子もいますし、通っているなかで診断がつく子もいますよ。)

お子さまが楽しくないと感じる原因が対人スキルの低さや気持ちの切り替えの下手さや姿勢保持の不得手であれば、それを療育で改善すれば自信や日々の楽しさに繋がるとは思えませんか?

これから大丈夫か私たち親ですら不安なのに、何も対応してもらえなかったら…ましてや楽しくないと訴えているのにお子さまは心細くはないのでしょうか。

療育は万能ではないですが、しているのとしていないのとでは全く違うと思っています。それは我が子の様子や、療育のお友だちの様子を見て思うことです。



うちは、23年9月に発達検査を受けて、太郎君は発達が数値的には平均値。でも、凸凹があって、所謂発達ゆっくりさんです、と言われたんね。

4月に発達について指摘を受け、それから1年近く経とうとして、まだたまに発達について悩んだりもしてさ悲しい

まぁ、今回は発表会前後の荒れ期で、消えてたこだわりがまた出始めたりして、焦ったのが大きいあせるあせるあせる

で、モヤモヤしながら調べて出てきた相談と返答がこれだったの。そうそう、どっちの気持ちもわかるなって思ってさ

発達の問題を否定したい気持ちも、太郎が楽しんで通えてるし、療育による劇的な変化はまだわからないけど、療育良いんじゃないかなと思ってる気持ちも

現状、発達が平均値だったからか、チェックリストに該当しなかったのか、診断名はつかなくて、先々つくかもしれないし、このままつかないかもしれないけど

自閉症にしろ、ADHDにしろ、他の発達障がいにしても、診断がつこうがつくまいが、基本的に社会に出て働かなきゃいけないのは変わらないんだよなぁと思ってて

最終的にはさ、根本的な仕組みは、手帳が発行されるか否かという、昭和の枠組みとあまり変わってない気がするのね

手帳がない発達障がいのある子達は、療育や、支援級、通級、放課後デイなどの福祉のサービスはあるけど、基本的には成長したら、社会に出ていかなきゃいけない

私自身、問題が多かった小学校時代なら診断がついたかもしれないけど、頑張ればできる域に入った中学校からはつかなかっただろうなと思う

自分自身を知れば、どう生きていいかがわかるから、年々困難はなくなってく印象(※個人差はある)

今はね、検査などを通じて個々の課題が詳細にわかり、それに対するアプローチもできるわけだから、以前より圧倒的に環境はよくて

診断されないまま、なんで自分だけできないんだろうって本人が悩むよりはよい気がしてる照れ

生きづらさは課題を知れば解決策も出てくるし、フォローの仕方が全然違ってくるから

そうあることは変えられないけど、受け止め方によっては、生き方は全然変わってくると私は思ってる

少なくとも、苦手なことを、どうしてみんなと同じに出来ないの!!って責められて過ごす幼少期より

あぁ、これは苦手だよね。じゃあ、こういうやり方をしてみようかって言ってもらえるほうが、子どもにとっては生きやすくなるんじゃないかなウインク

診断がつくこと、発達に問題があるってことは、簡単には受け止められないよね。愛する我が子だもの、それでいいんだと思うよ指差し

ただ、なんでも出来ないって決めつける必要はなくて、出来ないことはサポートしていけばよいんじゃないかな。成長を信じて前向きにウインク