親愛なる貴女へ。 | 西荻窪 ネイルサロン アイロワック  to the world of natural nails!!

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ノン・アーティフィシャルネイルのネイルサロンを西荻窪でやってます。

つけ爪を卒業した方、したい方、もともと自爪だよ、というあなた、ようこそ アイロワック へ!

こんにちは。

 

 

 

 

アイロワックです。

 

 

 

 

1月中旬、元々の閑散期に加えて自粛ムードの影響もあるのでしょうか?

 

 

 

 

予想以上にお暇なネイルサロン店主ですが、そんな中また営業とは全く関係ないことを書いてみたいと思います。

 

 

 

 

お正月も過ぎて数日経ったある日、前勤務先にて一時担当させていただいていた大女優さんの訃報が流れました。

 

 

 

 

以前別の女優さんの訃報の際にSNSで呟いたところよく分からない問い合わせがいくつも来てしまったこともあり、今回も正直書くべきかどうかかなり悩んだのですが、やはり色々思い入れがあり過ぎる方なので書くことにしました。

 

 

 

 

前勤務先は有名人、芸能人の方が多くご来店になっているサロンでしたが、自身がほんの一瞬とはいえ演劇の研究所にいたこともあるからでしょうか?

 

 

 

 

どこか劣等感を刺激されるような気がして自分からそういった方に入ることは少なかったですし(基本的に指名制ではないサロンでしたから)、芸能人ばかり選んで入るスタッフの気が知れないというのが正直なところでした。

 

 

 

 

そんな私にとって「特別」だったのがMさん。

 

 

 

 

通常はベテランスタッフしか入ってはいけない空気の方ではあったのですが、何故か私のことを面白がってくださり、いつの間にかMさんの予約が入ったらSという暗黙の了解となっていました。

 

 

 

 

当時の私は常に地肌が透けて見える様な超ベリーショート(ネイルスクール時代にピンクのベリーショートやゴリゴリのツイストパーマで金髪みたいな感じだった私は入社時「とりあえず美容院行ってこい!」という上司の命令と共に極限までショートにして以来それが定番だったのです)なのにキティラーで、且つ大昔の映画をやたら観ていたり、文学にも妙に詳しいという他のスタッフが持たない特性が珍しかったのでしょうか。

 

 

 

 

Mさんが幼少期から連載を持っていらっしゃった中原淳一氏の世界が好きだったということもあるかもしれません。

 

 

 

 

2歳から芸能活動をしていらっしゃったことで小学校にも行かず(お父様が当時の学校教育を受けさせたくなかったということもあるでしょう)中原先生の世界が自分にとって学校のようなものだったという彼女です。

 

 

 

 

ずっと付き人の方がいらっしゃったことで電車の切符をどうやって買ったらいいか分からないとかできないことも沢山あった方ではありましたが、知識、教養という意味では素晴らしい方でした。

 

 

 

 

何せ遊び友達が少女時代から大スターであったHさん、飲み友達も初恋の相手も著名な作家さんといった方でしたから、お話になることも目くるめくような世界観で毎回ワクワクしながらお話を伺ったものでした。

 

 

 

 

著作でも読めない様なお話の数々は決して自慢話にはならず(そういった風潮のある方を嫌っていらっしゃいました)、接客する立場を忘れてどれだけ笑わせていただいたか。

 

 

 

 

かたや私が学生時代色々あって自暴自棄になり過ぎたことで17くらいの時は実の母親に「お願いだから死んでくれ」と懇願されていたなんていう話をしても決して引くことなく、寧ろ「やだぁ、Sちゃん!」とケラケラと笑ってくださいました。

 

 

 

 

偶然足のサイズが同じ22.5cmだったことから衣装持ちであった彼女から靴をいただいたこともありましたし、色々お土産をくださる方でもありました。

 

 

 

 

もらってばかりでも申し訳ない、、と私も中原淳一展に赴いてはグッズを買って来たり、当時はまだ珍しかったポップな色や柄の足袋を差し上げたら舞台で共演した女優さん達から褒められたと喜んでくだったときには内心ホッ。

 

 

 

 

実は厳しい方でもあったのでつまらないものを差し上げて感性を疑われたら、、とドキドキしていました。

 

 

 

 

そんな私が退社と渡英を決め、順調に準備をしていた筈なのに急に不安になってしまい渡英直前だというのに鬱の様な状態になってしまったときのこと。

 

 

 

 

たまたまその時期にMさんの舞台がありいつも通り観劇後は楽屋まで伺ったのですが、普段なら最大限にお洒落をして伺う場なのにノーメイクで帽子を目深に被り青白い顔をした絶不調の私を見てMさんが取ってくださった行動を私は一生忘れることはないでしょう。

 

 

 

 

あらあらどうしたの?と笑いながら「Sちゃん、私のパワーをあげる」と未だ嘗て見たこともないほどに弱弱しい若者の手を力いっぱい握ってくださったのです。

 

 

 

 

意気揚々と渡英を報告したかったのに何で私はこんなに情けない、、、と落ち込む私をらしさ全開で励ましてくださったMさんに渡英先から何度もはがきを出させていただいたのは「ちゃんと立ち直って楽しんでいます!」という謝罪の様な気持ちもあったからのような気がします。

 

 

 

 

帰国後、ご挨拶の意味もあり公演チケットを取り観劇後に楽屋に伺ったときに私を見て開口一番Mさんが仰ったのは「何か、普通になったわね(笑)」、アジア人にしか見えない小柄な女が欧米圏で髪を染めカラーコンタクトをしているのが恥ずかしくなってしまい「普通の日本人」らしい見た目になって帰ってきた私が意外だったのでしょうか?

 

 

 

 

そのときに付き人の方に私が何かを始める際にはそちらに伺いますから、と言っていただいたのですが、Mさんはあくまでも前勤務先のお客様ですし、お気持ちだけいただくことにしてその後私からMさんのアクセスすることはありませんでした。

 

 

 

 

 

私は前勤務先での担当であっただけ、そのときはまだ自分のお店を持つかどうか決まっていませんでしたし、実際始めたのはつけ爪なし、アートも推奨しない様なお店でしたから丁度良かったかもしれません。(Mさんは全部つけ爪の方でしたから。)

 

 

 

 

そこからは一ファンとして彼女の書籍を読み、ネットや新聞で彼女の記事があれば「ああ、まだお元気でいらっしゃるのだな」と安心していました。

 

 

 

 

そんな彼女の訃報が流れたのがお正月を過ぎたとある日。

 

 

 

 

実際に他界されたのが大晦日ということでしたが、クリスマスの日には普通に某国民的人気番組にお出になってましたから、本当に「ぽっくり」いらっしゃったのだな、、!と驚きました。

 

 

 

 

慌てて元上司に連絡しましたが、足が悪かったこともあり亡くなる数年前からもうサロンにはいらっしゃっていなかったということ。

 

 

 

 

それでも出てくるのは「本当にかっこいい!」「素敵ですね、、!」という感嘆の言葉だけ、誰かの訃報に接してこんなにしんみりすることない、憧れる様な気持ちになったのは過去ないですし、これからもないでしょう。

 

 

 

 

晩年の著作の中で「こういう風に逝きたい」「こういう最期は嫌だ」ということをよくお書きになってましたが、全くその通りになっていて、Mさん、凄すぎますよ、、!という感じ。

 

 

 

 

改めて彼女の著書を一気に読み直しましたが、それでも涙が出てくることはなく、本当に魅力的な、素晴らしい方だったなぁという溜息ばかりです。

 

 

 

 

そして何より吃驚したのはそのときに私の中にむくむくと膨らんできた不思議な気持ち、、。

 

 

 

 

それはMさんが親友のHさんを亡くして以来変わったというあることへの気持ちの変化を思い起こさせるものでした。

 

 

 

 

自分より先に逝った親友がくれた最大のプレゼントは死ぬのが恐くなくなったということだと何度も書いていらっしゃいましたが、何と同じような気持ちを自分まで持つことになろうかとは思いもしませんでした。

 

 

 

 

過去、家族や親せき、友人、知人、場合によってはお客様が亡くなったときに感じるのは悲しみばかりで、あと何度同じような思いをしなければならないだろうといちいち悲嘆に暮れていました。

 

 

 

 

今回のMさんの訃報はそんな私に希望の光すら感じさせてくれ、「そうか、死ぬのって恐くないんだ」と自然に思わせてくださったのです。

 

 

 

 

若い頃に3日に一度死にたいと思っていたような子が成長して寧ろ人一倍死ぬことが恐くなりました。

 

 

 

 

正確には自分より自分の周りの、自分にとって大事な人たちが死んでいくことが恐くて堪らない。

 

 

 

 

特に50という節目を迎えたときにはその気持ちがより一層強くなり、あまりの不安から眠れなくなったこともありました。

 

 

 

 

今回彼女の晩年の書籍を読み返しながら思ったことは、そうか、年を取るというのは本棚の並びを変えていくようなものなのだということです。

 

 

 

 

私の最大のリラックス法はお酒を飲みながら本を読むことですが、数年前からそんな楽しかった筈の時間にあろうことか苦痛を覚えるようになりました。

 

 

 

 

若い頃から読んできた、あれだけワクワクした本がこんなにつまらなかったっけ?とピンと来ないことが増えてきて、どうしようと人知れず落ち込んだりもしたのですが、考えてみれば当たり前のこと。

 

 

 

 

感性も年と共に変わるわけで、メイクやファッションを年と共に更新していくのと同じで本棚も更新すればよいだけなのだと、Mさんの書籍を読み返しながら気付けたのです。

 

 

 

 

10代からお酒を飲み始めそれ以来休肝日無し、肝機能も異常なしと公言されてましたが、晩年はそんなお酒との付き合い方にも変化があったでしょう。

 

 

 

 

それでも古希を越えた頃に「ワインのフルボトルは少し余る、でもハーフボトルでは足りないのでどうしてももう一本開けてしまう」、ビールのチビ缶は朝の定番であったというのも有名な話ですが、何やら勇気づけられるようなエピソードの数々、、。

 

 

 

 

きっとこれからは晩年の彼女の著書にリアルに励まされたり慰められたりして行くのだなぁと、何やらホッとしたネイルサロン店主だったのです。

 

 

 

 

友人知人と年賀状のやり取りをしなくなって数十年。

 

 

 

 

コロナ渦でも必ず届く年賀状は某蒸留酒専門販売サイトからだけです。

 

 

 

 

何故なら私がそこの太客だから。

 

 

 

 

先方は個人消費ではなく、飲食店か何かだと思っている筈、、。

 

 

 

 

きっとそんな話をしたらまた同じように「やだぁ、Sちゃん、、!」と笑ってくださったのではないのかなと思います。

 

 

 

 

逸話には事欠かない方でしたが、個人的には若かりし頃にアマゾン川のようなところのロケで頭から冷水をかけられたりとんでもない経験をしたけれども、一番驚いたのは川を移動しているときにちょっと休もうと小島を見つけてそこで休んでいたらそれが鰐の背中だったという話が一番好きでした。

 

 

 

 

Mさん。

 

 

 

 

89年間、お疲れ様でございました、、!

 

 

 

 

絨毯bar第2弾は大盛況でしょうか?

 

 

 

 

そちらに伺うのは何十年も先かと思いますが、その時は従業員として働かせていただきたいと思います。(こう見えても潰しが効くのです。)

 

 

 

 

その節は本当にお世話になりました。

 

 

 

 

本当に有難うございました、、!

 

 

 

 

※渡英する前にいただいたお餞別は有難く使わせていただきましたが、こうして袋は取ってあります。

どこを旅するときもお財布に忍ばせておいたこちらのお陰でこれといって危ない目にも遭わなかったのでは?と本気で思う程、私の欧州貧乏学生生活は充実しておりました。

こうなったからには益々捨てられないので今後もお守り代わりに身に着けていようと思います。

 

 

 

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ネイルケアルーム アイロワック


 

 

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営業時間 10:00~22:00頃

(最終受付時間は施術内容によって異なりますので

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