探索日 2012/05/03

 

中央本線土岐市駅と東駄知駅を結んでいた10.4kmの電気鉄道

廃止は1974年10月21日

 

 

ここに東駄知駅があった

左のNITTO本社/物流センター、右の山津製陶の場所が構内跡

 

東駄知駅を出た線路跡は歩行者専用道路になる


  

廃線跡は「だち窯や さんぽ道」となっている

東駅とは東駄知駅のこと

 

自動車進入防止ガードには現役時の写真が取り付けられている



 

不動川を渡る


駄知線時代の遺品はない


鉄道時代の雰囲気を色濃く残す

 



 

廃線跡に設置されている当時の写真

 

踏切跡

左下は警報機か遮断機の基礎と思われる


 

住宅密集地を抜ける

東濃鉄道線は民家スレスレの位置を走っていたようやな

 

踏切跡

線路のあった部分が盛り上がっている

 

今も残る駄知線西駅車庫

西駅とは駄知駅のこと


 

右の歩行者道がほぼ本線跡

左にスイッチバック式の駄知駅へむかう線路があった

更地部分に本線と折り返し線があった

左は貨物ホーム跡か?

レールが突き刺さってるし


 

倉庫沿いが廃線跡

このへんの歩行者道は線路跡から外れている

注目してもらおうか、倉庫の敷地が湾曲していることに

 

日帰トンネルの写真

 

岐阜県道66号線との交差地点

ここに架道橋が架かっていた

 

擁壁の上になんかある

架道橋の石積み橋台

これは駄知駅方の橋台

橋台上から土岐市駅方面を見る

ここから駄知駅方面へ歩いていく

はっきり線路跡とわかる空間が続いている

 

 

バラストが転がっている

 

右は鉄道時代の擁壁

 

 

 

 

土砂流れ出し防止用と思われるコンクリート壁

 

途中までは掘割状になった路盤跡をたどって行けたんやけど、進むにしたがい一面ただの林になってしまい、完全に線路の跡を見失った

深追いすると遭難しそうなので、捜索は断念

日帰トンネルへは到達できんかった

 

架道橋跡までもどってきた

むこうは土岐市駅方面

あっちに橋台は残っていない

 

架道橋跡から土岐市駅方面へ歩いて行く

竹林の中に開けた空間がある

あそこを駄知線が走っていた


架道橋跡

石積み橋台が残る



架道橋跡から土岐市駅方面を見る

路盤跡が明瞭に残る

 

青木転写の脇を抜ける廃線跡


山神駅跡

ホームが残っている

ホーム上に立つ

 


道路に沿う切通しが廃線跡

 

奥へ続く駄知線跡


線路跡は道路になった


ここからは自転車歩行者専用道路になる

 


線路跡脇にそそり立っているのはレール


道路が廃線跡

左は駄知線時代の擁壁か

信号機の基礎?

 

舗装された以外は昔のまんまなんやろな


左の道が線路跡

駅、または信号所跡かと思ったけど、ちがうようや

 

岐阜県道66号線をくぐる

駄知線現役時から跨線橋があったようけど、これは当時のもんやない


 

道路が線路跡

このへんが下石駅跡になる

歩行者・自転車専用道路となって続く廃線跡

線路跡は岐阜県道19号線拡幅に飲み込まれる

山沿いを駄知線が走っていた

 

歩道のあたりが線路跡と推測される

県道と袂を分かち、ふたたび歩行者自転車道になる



 

鉄道があったことを今に伝えるセクシーカーブ



信号機の跡なのか?

山銀深萱商店土岐物流センターの場所が土岐口駅跡

道路は線路の跡ちゃうでー

 

土岐口駅構内近くにある古い倉庫

駄知線との関連は不明

最初、駅舎かと思たわ

左端の看板むこうを駄知線が走っていた


歩行者・自転車専用道路になった廃線跡

 

土岐川を渡る

橋の痕跡は完全に失われた


 

右へ曲がっていく水路が駄知線跡

むこうに中央本線が見える

 

道路の右に築堤があった

道路が線路跡かとも思ったけど、この道は駄知線現役時からある

架道橋跡

橋台が残っている

奥は中央本線の架道橋

 

架道橋上から駄知駅方面を見る

中央本線を383系電車 特急〔しなの〕が走り抜ける

駐車場になった駄知線跡

この先が新土岐津駅(土岐市駅)