探索日 2011/03/19
西舞鶴駅と舞鶴港駅を結んでいた貨物線
舞鶴西港各ふ頭へのびていた線もまとめて探索した
喜多ふ頭線からたどっていく
このへんが臨港線網の西端になる
ここに3、4線のレールが並んでいた
奥にむかって線路がのびていた
むこうが西舞鶴駅方面
ここは貯木場になっていて、貨物線も木材を運ぶために敷かれたよう
某誌には、トキ25000形無蓋貨車が入線していたとある
はがされた枕木
宮崎水路橋りょう
竣工は1973年と新しい
海側から見てみる
2線分の橋がある
距離標発見
1kmは舞鶴港駅からの距離か
喜多ふ頭線は左へカーブしていく
福井川を渡る
橋は撤去済み
川のむこうは舞鶴港とれとれセンター
福井川左岸の橋りょう取り付け跡
奥はFAZ舞鶴21ビル
上写真中央部拡大投影
切り取られたレール
橋台にある刻印
青色の軽自動車のとこにむかって橋がかかっていた
福井川右岸から橋りょう跡を見る
橋台跡
福井川右岸の廃線跡
雑草の生えている部分が元鉄道用地
コンクリート橋の上が線路跡と見ていたけど、ちがうっぽい
車が並んでいるスペースの右が廃線跡
奥にむかって線路が続いていた
右奥のビルは舞鶴港湾合同庁舎
庁舎前道路の左沿いが線路跡
メモリアルのレール
実際にここにあったもんかどうかは知らんけど
位置的には合っている
むこうの山は五老岳
第三ふ頭の根っこ部分
歩道の右沿いが廃線跡
踏切跡
第三ふ頭線跡
レールが残されたままの踏切
これも記念にとってあるのかもな
踏切から続く線路跡
このむこうが第三ふ頭
喜多ふ頭線、第三ふ頭線の分岐点
左の道路沿いが喜多ふ頭線、右のレールの残っているとこが第三ふ頭線跡
奥にむかって線路がのびていた
操車場跡
ここに5、6線のレールが並んでいた
第二ふ頭付け根にあるヤード跡
線路のカーブに注目
警戒色の保護柵が残る
この奥がヤード跡
舞鶴港駅の位置ははっきりしないけど、ここがそうだとする説もある
路盤跡
バラストが散らばっている
第二ふ頭線跡
右へ曲がっていく線路の跡はまったく残っていない
第二ふ頭内
道路の左右に線路があった
舞鶴港線本線跡に戻る
はっきり線路の跡が残っている
明治時代の建設と思われる土留め石
この上が廃線跡
上写真の路盤上に立つ
住吉入江を渡る
ここには可動橋が架かっていたらしい
橋台の跡は残っていない
対岸を撮影
住吉入江東岸から橋りょう跡を見る
住吉入江から続く廃線跡
砂利道となって続く廃線跡
各ふ頭線の分岐点
手前へのびてくる第二、第三、喜多ふ頭線跡
左へ続くあぜ道は第一、京都府漁連ふ頭線跡
奥へ続く第一、京都府漁連ふ頭線跡
橋りょう跡
第一ふ頭内の操車場跡
入江に沿って数線のレールが並んでいた
ここが舞鶴港駅跡だとする資料もある
古枕木を打ち込んだ柵
この右に線路があった
更地が廃線跡
塀の脇にある境界標も国鉄のやつやろ
第一ふ頭東側線跡
線路があったのは、左の車が停まっているとこだわ
京都府漁連埠頭
市場沿いに線路が走っていた
側溝の左沿いが線路跡か
右へカーブしていく廃線跡
線路用地の痕跡がはっきり残る
各埠頭線の分岐点
左のあぜ道が喜多、第二、第三埠頭線跡、右は第一、京都府漁連埠頭線跡
すべての埠頭線はここで一線に収束し、西舞鶴駅へむかう
奥へ続く未舗装路がそれ
枕木を打ち込んだ柵が朽ちながら残る
この右が廃線跡
舞鶴港線跡はいったん一般道路に変わる
ここで道路から分離する
砂利部分が元鉄道用地
国道27号線を横断した先は遊歩道になる
歩行者、自転車道が線路跡
レールと枕木を表現した装飾
静渓川に架かる橋の欄干には蒸気機関車の動輪がデザインされている
橋りょう名は「海舞鶴橋」
海舞鶴とは舞鶴港駅の旧名
橋の下には明治37年開業時のものと思われるレンガ橋台がひそんでいる
この先、舞鶴線と隣接して西舞鶴駅まで続く