「んーっ、」
大きく、背伸びをして。
大きく、息を吸い込んでみる。
鼻の奥を、潮の香りが刺して、
上に挙げた腕を、太陽の光が焦がしていく。
海も、太陽も、セミも、空も、暑さも、熱も。
全部、全部、私が嫌いな、夏の音。
「空遥ー、ご飯だよー」
家の窓から、母親が顔を出して叫んでいる。
「今行くー」
私も負けじと叫んでみせた。
時刻は、朝も早く7:30
学校は、とうの昔に夏休みに入って、毎日暇を持て余しているそこらへんにいそうな普通の高校生。
それが私、広瀬空遥(ひろせ そなた)
勉強も普通、運動もそこそこできる。
恋には興味なんかなくて、友達と遊んでいたい。
家族は、母親だけだけど、それなりに幸せで不自由なんかない。
都会じゃなくて、少し田舎の辺鄙なところに住んではいるけど、別に困ったことなんかない。
海が近くて、涼しくて、ひと夏を扇風機で過ごせるこの街が好き。
でも、夏は、嫌いなんだ。
「空遥、部屋に起こしに行ったらいないからびっくりしたんだけど」
家に入るなり、フライ返しを持ったまま私に説教を垂れる母親。
「ごめんね、海・・・眺めたくて」
自分でも、嘘くさいわって思いながら、軽くあしらってリビングに入った。
でも、嘘じゃなんだ。本当のこと。
自分でも、わからないけど時々本気で無になって海を眺めていたい時があって
どうしようもなくなって、家の目の前に広がる砂浜へ足を伸ばす。
私が早起きすることなんて本当に稀だから母親は驚いたみたいだけど、こう見えても私はよく一人で海に行く。
自分の心の中に空いて、塞がらないままの穴が少しでも埋まる気がして。
「お母さんさ、今日、隣のおばちゃんと用事あるから、夜までいないから、あとはよろしくね。」
私が、サラダに手をつけ始めた時母親がエプロンを取りながらそう言い出しだ。
「うん、いいよ。いってらっしゃい。」
母親は、近所の人と仲がよく、こうして出かけることも少なくない。
サバサバしていて、噂話が好き。
外ではバリバリのキャリアウーマンで、シングルマザー。
この人もまた、私と同じくどこにでもいそうな普通の母親。
なにもない、なにもしない。
毎日が退屈で、でもそれを自分で変えようとかは思わない。
友達は髪を染めたり、ピアスを開けたりしているけど、自分には必要ない気がして何もしてない。
髪も伸び放題で、手入れとか全然してない。
色恋ごとは得意じゃないし、外出も好きではない。
今日は、何をしようか、何を食べようか。
そんなことばかり、ずっと考えて、考えてたら一日が終わる。
そんな毎日が、もう3週間も過ぎた。
これだったら、学校に行ったほうがためになるんじゃないかとも考えるけど、思考とは裏腹に体は重く、意欲が湧かない。
宿題は、半分終わった。
だって、することないし。家に行っても暇だし。
友達と遊ぼうとか考えるけど、それ以前に面倒くさくて、だるくて、友達も友達で旅行とか、部活とか。
こんな毎日暇な女に付き合ってくれる人なんかいないわけだ。
「あー、今日は何しようかなぁ。」
朝食を食べてすぐ出て行った母親の背中をベランダの大きな窓から見つめながら、欠伸をする。
朝のテレビは、主婦向けの情報番組だらけ。
夏バテ対策とか、夏野菜の見分け方とか、女子高校生に必要とは思えない見出しばかりだ。
確かに自分は、流行に疎く華の女子高校生とは言い難いが、主婦向けの番組を見るほど華が枯れている訳ではない。
大体、夏休みも3週過ぎているわけだし、少しは子供が見て楽しいようなものを番組企画者も企画するべきではないだろうか。
なんて、どうでもいいようなことを心の中でブツブツとほざいていると、インターホンが鳴った。
「はーい、今出ますからねー」
と、扉の向こうの誰かには到底聞こえるはずもない独り言を呟きながらそっと玄関の扉を開いた。
「あ、広瀬さんのお宅で合ってますか?」
「え?あぁ、はい」
誰だか知らない男の人が大きなダンボールを抱えて立っている。
キャップを被り、この暑い真夏に黒いTシャツ、ジーパン。
どう思い出してみても、こんな人うちの近くにはいない。
近所の人ではないことが、ひと目でわかった。
「あの、僕・・・今日からここでお世話になる荒井って者なんですが、」
「・・・え?」
”今日からここでお世話になる”・・・?
何それ、・・・は?
一瞬、何を言われているのか理解ができなくて、とりあえず固まった私。
「あ、もしかして、聞いてませんか?」
「あ、は、はい・・・ちょっと待っててください。」
とりあえず、母親に聞こう。電話をしようじゃないか。
私は、男の人を玄関に立たせたままケータイを取りに走った。
プルルルルル・・・プルル・・・プツッ
「あっ、お母さん?空遥だけどー、今ね?男の人がね家に来てて」
『ふーん、』
2コール目で出た母親は、どうやら店内のようで周りが騒がしかった。
「んで、今日からお世話になる者ですがーとか言うんだけど、誰?」
『・・・・・・・あー、ごめんー☆だっただったぁ。その子ねー今日からうちに遊びに来る親戚の子よぉ。ごめん、本当に忘れてたわー、ふふふー』
少し間が空いたかと思ったら母親は何事もなかったかのようにまた話し始めた。
どうやら、都心に住む親戚の子供だとか。
夏休みを利用して、前から興味のあった田舎のうちへ遊びに来たのだとか。
そんなことを手っ取り早く説明されて、乱暴に電話を切られてしまった。
母親が言うには、とりあえず家に招き入れ、空いている部屋を一つ案内し、お昼ご飯は出前でも取って見栄をはれっていうことだった。
見栄を張れって・・・・、どうゆうことだよ。
っていうか、まず朝の時点で説明してよね。
子供に説明も無しで出かけた上に、訪問者は男の人ッ。
なんなんだ、本当に。
急いで、玄関に戻った私は男の人が持つダンボールを渡してもらい、リビングに案内した。
「あの、そこらへんのソファに座っててください。あ、アイスコーヒーとお茶と・・・林檎ジュース、どれがいいですか?」
ダンボールと荷物を下ろして、冷蔵庫を開けると、普段飲む3種類しか案の定入っておらず、恥ずかしながらこのバリエーションになってしまった。
「えっと、じゃあ、林檎ジュースで」
男の人は、一番ドアに近い椅子に座り、そう言った。
「あ、どうぞ」
私は、男の人の目の前に座り、静かにテレビを消した。
聞こえるのは、遠くで聞こえる波の音と、けたたましい蝉の声。
「ありがとう・・・、えっと、ごめんね。急に押しかけちゃって。お母さんから、聞いてみたかったよね」
グラスを渡すと、被っていたキャップを脱いだ。
「え、あ・・・はい。でも、大丈夫ですよ。母親に電話したら説明されましたから」
「そっか。僕、荒井遥空(あらい はるく)って言います。東京から来ました。少しの間、お世話になります。」
男の人は、そう自己紹介すると深々と頭を下げた。
帽子で隠れていた、ふわふわした綺麗な甘いはちみつ色の髪が揺れた。
そして、私は、驚く。
男の人が顔を上げた時に、合わされた目がしっかりと私を捉えた。
その目は、まるで、暗い深海のように寂しく、静かな、光り輝くコバルトブルー。
ドクンッと心の奥が波打つのを感じた。
目が合った途端、苦しくて、目眩がした。
切ないような、悲しような、それなのに、ドクドクと脈打つ心臓が痛かった。
「・・・あ、私、は広瀬空遥、です。よろしくお願いします。」
自分でも、何を言っているのか、ほとんど上の空で、唇が震えているのだけが分かった。
なんだろう、どうしたのだろう、自分でもよくわからない感覚に襲われた私は、ただ、呆然とその男・荒井遥空を見つめた。
「ん、よろしくね。そなたちゃん。」
ニコリと笑う、彼の顔は、今までに見たどんなイケメンよりも華のある綺麗な笑顔で、彫刻のような凛とした口元が妙に映えていた。
これが、私と彼、ハルとの出会い。
そして、夏が嫌いな私が、一瞬で好きになる、長い長い夏の話。
→To be continued