腰痛の理解を医学が間違った原因が、この解剖学的損傷モデルから離れられなかったためだと私は思っていますが、これって高学歴であろうと学歴が無かろうと、宗教的に信じているかどうかってところだと思いますね。
例えば一神教的なものを信じている人は、自分は全知全能の神が魂という形で神に似せて作ってくれたとか思っていて、神がこの世も大自然も他人も自分の肉体も作ってくれたが、それは全て他であり、自分というのは魂であり、神と魂と他があるみたいに思っている人が、自分の身体が病気になった時に他である身体という肉体を修理すれば自分という魂が乗りやすい身体に戻れるとか思っていると、何とかこの世を理解する科学というのを総動員してこの世や肉体を改造すれば魂である自分が快適に過ごせるこの世になるとか思っているのかもしれません。
しかし、意識せず多神教も認める神道社会に生まれ育った我々は、そんな全知全能の神なんていないし、まずこの世があって、そこからいろんな神という尊いものが生まれ、島ができ国ができ人ができてきたというのが、我々が何となく思っている古事記にも書いてある世界観です。
ある意味我々にとって自然そのものが神であり、肉体も神であり、心と体も分離するものでもなく、自分は自分だってのが我々の考え方だと思います。
しかし、欧米の一神教に毒された人も現代日本人には多くて、どこかが痛いなら体の何処かに異常があるはずで、より細かく解剖学的に調べていけば全て原因が分かるはずだと思っている。
じゃあ、子供の頃から全く教育を受けずに字も読めず言葉も話せない人がいた時に、より詳しくf-MRIや脳波や生検やいろんな検査すればその人が言葉が話せない原因が分かるはずだって思います?
いやいや、全然何も他人に教えてもらえてないから分からないだけでしょ?って普通にその人の今までの歴史を聞けば分かるでしょ。
ずっと安静にしていて動けなくなった人を細かく検査していけば動けなくなった原因が分かるはずだって、いやいや体に弱ることしかしてこなかったからでしょって話でしょ。
じゃあ、こういう人にどういう栄養や薬を与えれば良いの?って、いやいや心身を教育し鍛錬しなさいってことでしょ。
こういう一神教的、肉体と精神と魂を分離して考えるのが正しいとか思っている人が現代人多いんです。
全体に大局的に見た方が正しい予測ができますよみたいな、大局観なんてものを日本人は大切にしてきたと思うのですが、そういうことより検査して細かく見るのが正しい、そしてどんな栄養を摂っているかとか細かい物質の摂取法を考えるのが強い肉体を作る方法であるみたいな人多いですね。
私、そういう宗教じゃないんで、日本にいるはずなのに困ることが多いんですよね。
まあ、いわゆる頭が良いって人が、全体を無視してそういう細かい物質名とか物理化学反応とか知ってる人が偉いみたいに教えられた人がほとんどですからね。
こういう考え方は決して科学的じゃないですよ。
現実を無視してますから。
まあ、こういう人はいくら説明しても、もはや信仰が違いますから説明は不可能だと思います。
最近もどこの国か忘れましたが東南アジアの方で、人間自然治癒ってものがあるんですよって言っても理解できませんでしたからね。
2千年前にヒポクラテスが言ったことですけどね。