学を為(な)せば日々に益(ま)し、道を為せば日々に損(そん)す。
東洋哲学は深いものがあるわけですが、この老子の一節も味わい深い。
学と道の対比で書かれているが、老子の言う学ってのは結局損得勘定を学ぶってことかなとふと思った。
孔子が言う学ってのは君子(立派な人)と小人(クズ人間)の対比ですから、立派な生き方を学べよって意味の学だとは思いますが。
そして、道ってのは正邪善悪の道を知るってことかなと。
結局、学べば日々やることが増えていくけど、道を行えば日々やることが無くなっていくってことですから。
体の調子が悪くて、何をすれば良いのだろう?あれが良いこれが悪い、あれも良いこれも良いみたいに学んでいってにっちもさっちもいかないみたいな人が多いわけですが、こうすれば正しい善であるって行いをやっていけば、そのうちその苦しみからは開放されるみたいな。
筋トレだって損得勘定で儲けるためにいろんな方法を勉強して、名前を売るためにコンテストで優勝するためにあれもこれもいろいろやって、結局自身は儲かっても体調を崩し健康を害したみたいな。
そんなことよりも筋トレってのは通常老化で弱る肉体を強くする適応を引き出す刺激を与え続ければ良いだけだよと、道を行えば儲からなくても自分は気付けば弱るどころか結構強くなっていたりするわけで。
しかも、いろんなことやりませんから、日々やることは失くなっていく。
まあ、ある意味暇になっていくわけです。
ま、江戸時代の日本人なんて、こういう東洋哲学古典も読みながら武士道なんて道を行うことを目指してきたわけで、現代日本人の損得勘定を必死で学ぶ、金持ちになるために必死で受験勉強するみたいな人と、全く逆の勉強していたんだろうなと。
そして現代日本では必死で人を騙してでも得しようとする人ばかりみたいな社会ですよね。
善人みたいな顔してそういう人にいっぱい出会ってきましたね。
結局そういう人って心の弱い人なんですけどね。
最近の武道ってあんまり道を極めるって感じじゃない気がしてますが。
礼に始まり礼に終われば武道みたいな安直な感じですよね。
自分の強い心の作り方を追求していくうちに、そういう東洋哲学を学んでて良かったと思いますね。
そうで無ければ私結構、トラウマとか人間不信とかそんな感じになってたかもしれなかったですね。
幸い人間なんてそんなものって知ってましたから、ほとんどが小人ですから、そんなもんだろうなと思えましたね。
結局老子に言わせると、現代って自分を高めない雑学を勉強する世の中ってことなのかもしれませんね。