鍛錬禅 | 筋肉ドクターの気まぐれ日記

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Killing Timeに日記を書き候


禅には我が身を痛めつけて修練を積むということもあるようだ。

しかし、座禅なんてじっと座ったままで、現代人からしたら全然痛めつけてないと思うのかもしれないなと。

現代日本人で、禅が我が身を痛めつけていると理解する人もほとんどいないだろうし、まあずっと座って足が痺れるとかお尻が痛いとかに耐えるのが禅って思うかもしれないなと。


しかし、私が思うに禅の開祖の達磨さんは、実はじっとすることが体を弱らせ痛めつける行為だと気付いてたのではないかと。


酒井雄哉大阿闍梨は同じことをやり続けるのが行であるとおっしゃっていたが、天台宗は禅宗ではないが、千日回峰行を歩行禅と言うとおっしゃっていたし、結局逆に動き過ぎて我が身を痛めつけるという意味でもあるのかなと。


過ぎる行為をやり続けるのが禅とすると、座禅も歩行禅も、やり過ぎを継続して常人を超えた存在になるというのが目的なら、筋トレは正に禅だなと思うところです。


何かのためにイベント的にやる筋トレではなく、ずっと定期的に筋肉を痛めつけ続けて成長を促す筋トレは鍛錬禅とか言うのは如何でしょうか?