精神鍛錬 | 筋肉ドクターの気まぐれ日記

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Killing Timeに日記を書き候

 

 

 

人間のこころ、存在感、意思みたいなのの発生は石田先生に教えてもらえた私は幸運だった。

しかし、そこから更に強いこころ、強い精神って、どういうことだろうと思ったのは、腰痛を発症してから。

当時インターネットの発達とともにEBMが話題になっている頃だったので、腰痛の心理社会的因子が言われて出していた。

 

で、様々な心理療法のようなものも聞きかじり、セミナーなども出たりして、結局灯台下暗し、青い鳥は我が国の武士道だったわけです。

もちろん強いこころを作るためには科学的に論理的に現象の一面を見るだけじゃなくて正しい情報を得なければならないが、知識ばかり溢れるのは逆効果なこともある。

間違った情報を入れるくらいなら、知らない方が良い。

で、その最高の精神鍛錬である武士道ですが、三教の教えを合わせたのが武士道って言われているわけです。日本神道、仏教、儒教の良いとこ取りが武士道なわけで、一応3つとも宗教道徳的な感じです。

まあ神や仏を語らない儒教は宗教に入れないとか、教義の無い日本神道は宗教かとかありますが、人間の精神の背骨を作るものっていう意味では宗教のようなもの。

宗教って言うと怪しい新興宗教だと思っている日本人が多いわけですが、本来人間の背骨、精神の支柱、考えるベースを作るのが宗教なわけで、数ある宗教の中での最高峰が武士道だと私は思っています。

 

ですから、日本に生まれ育ったら概ね武士道が身についたのは戦前までだったんだと思いますが、戦後科学教みたいな考えるベースも無い精神性の支柱の無い欲望だけで動く禽獣化した人間を退化させる思想が日本に蔓延したわけで、武士道って名前だけ聞いたことがあっても、それが何か知らない日本人だらけになってしまって、みんな精神が弱くなっているわけです。

何か日本人に生まれて日本語話せるだけで自分に武士道精神があると思っているみたいな、甘っちょろい日本人が多いわけですが、吉田松陰の叔父の玉木文之進は「サムライはつくるものだ。生まれるものではない。」と言っている。

武士道を学び鍛錬しなければ武士道精神を持った日本人にはなれない。

 

新渡戸稲造が海外に紹介した「Bushido」から逆輸入しないと武士道が分からないような日本人ばかりですからね。

私は幸い祖父からそれらしき精神を多少教えてもらえてたから、まだ少し知っていた部分はあったかもしれないが、現代日本人は自分から学ばないと分からないという教育の不幸がありますからね。

 

精神鍛錬の基礎が無ければ、いくら精神科行ったところで強いこころなんて作れませんよ。