練習の質と量 | 筋肉ドクターの気まぐれ日記

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Killing Timeに日記を書き候

 

 

 

筋トレで強度や負荷といった抽象的で単位も不明な量を議論するのは不毛だと言い続けている私ですが、練習の量と質論もよく言われることではありますが抽象的だなと。

 

もちろん一流になる人は量をこなしているし質も高いでしょう。

しかし、抽象的な量と質を高める練習だけでは、その間にやり過ぎて潰れて行く子が沢山出現してしまいます。

この量と質論も抽象的で単位も不明な量を議論しているのに違いはありません。

要するに強くなる運動と怪我する運動の違いも理解できていない。

体を強くする運動ができずに、量だ質だって議論するのも馬鹿げていますよね。

 

では、皆さん筋トレとは量と質のどちらだと思ってるんですか?

私はどちらとも言い難いと思いますよ。

大切なのは理に適っているかどうかってところですよ。


私が言っている筋トレってのは筋力を上げ筋肉をつける運動のことです。

それを達成するために私が考える正しい筋トレとは高強度な運動習慣に適応させることです。

そして、強度とは筋肉が発揮するパワー(W)を最大にした状態のことで、それを一気にできなくなるまでその状態で動かすってのが筋トレで、結果エネルギー(J)(パワー×時間)が高い運動にはなりますが、そこを求めると量が増えて怪我する運動になるので、筋トレの運動中の(1セットの)エネルギー量よりも、運動中の単位時間あたりのエネルギー:パワーを最大にするようにすることが大切だと考えるのが正しいなと。


だから、何kgで何回できてとかいう数字は参考にしますが、その間チーティングや負荷が骨や靭帯に逃げるフォームで筋肉が省エネで動いてては、それらの数値が高くても筋トレとして意味が無いのです。

 

ただ、運動中のパワーを測る術は無いので、最大パワーを発揮しているかそこは類推するしかない。

って言っても難しい話じゃなくて、力(重さ)とスピード(速さ)を最大に短縮性収縮させるのが一番パワーが大きいわけで、加えてネガティブ(伸張性収縮)も弛緩させないってのが重要なだけで、そういう運動が筋肉が最大パワーを発揮する運動だと分かる。

なので、パワーという量は最大にしようとし、それを求める質も大切だが、時間をかけてエネルギー消費量を最大にしようとする量を求めるちょっと負荷をかけたみたいな運動は筋トレにはならないし、やり過ぎたら怪我するということです。

 

要するに筋トレで最大化したい量はパワー(W)であり、エネルギー(W)でも、力(重さ(kg)×重力加速度)(N)でも、反復回数(動かす距離(m))でも、総運動時間でも無いってことです。量か質かって、量でもこのようにいろいろありますからね。

強度とか負荷がどれに相当するのかも明らかで無い状態で議論しても、感情論になっちゃいますよね。

 

ですから、練習の量と質とか抽象的な話をするんじゃなくて、そのスポーツで勝つためにどうなるべきかから演繹した理に適った練習をすることが重要であって、闇雲に量だ質だって抽象的な議論しても具体的な練習に落とし込めないので意味無いと思うんですよね。

 

こういう論理性を欠いた練習で量だ質だって言う前に、体を強くしながら技術も高めるってとこを論理的に考えないと、怪我して潰れることになりますよと。