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私は医師になる寸前に筋トレは極めたと思った。
別に体が凄く極まったとか、凄い重量が挙げられるようになったとかいうわけじゃない。
でも、極めたと思っても、結局キストレの本を出した後も、考えの微調整(と言いながら結構大きいかも)している。
より単純に考えるようになったというか、より物理的に考えるようになっただけですが。
で、極めたと社会人になった頃には思っていたんですね。
その頃から、筋トレしているという友達の言うことが間違っていると思うことも多くなっていた。
大学の最後の方は筋トレは極めたから次は栄養だなんて思っていたので、今でも意外と栄養知識が多少あったりします。
この栄養も、今はかなりシンプルに考えるようになって、新しい栄養素を追いかけるようなことを今はしていませんが。
ある意味こちらも極めたと思わなくもない。
で、極めたってどういうことかって言うと、このままやっていけば継続して体を発達させることができる方法が見極められたということです。
要するに、運動の中でも自動運動が筋トレみたいな稚拙なレベルの話で終わるのではなく、確実に筋力を上げる運動の方法が見極められたということです。
要するに、今後微調整が必要でも、大筋肝を掴んだっていうことです。
あとはやるだけという状態になれたってわけです。
しかし、この極まった人っていうのが、なかなか出会ったことが無い。
凄い体をしていたり、凄い重量を挙げられる人がいても、その人が私の目から見て極まった運動をしているかというと、そうでも無かったりするんですね。
案の定、そういう人は歳を重ねるごとに体の見た目も筋力も衰えて行かれる。
自分では恐らく筋トレを続けているつもりでしょうけど。
研究者というのは極まったと思ってもそれが間違っていたらという哲学的に前提を排除して真理を探究するということでしょうけど、分かり切った世の理を否定してまで研究したって仕方が無いと思うわけです。
なので、私は極まったらそれ以上特に探究することが無くなった、あとはやるだけという状態のことを、極めたと言っています。
と言いながらやり続けていると、微調整が出てきたりはするわけですが。
そして、その極めた内容がキストレなわけです。