人として生まれて、いや、特に男として生まれて、天職を持てるかどうかは充実した人生になるかどうかに大きく関わると思う。
天職を持てない人が充実した人生を送るには、天職を持っていると思える人を誠心誠意バックアップできる忠義、フォロアーシップを持てるかどうかだと思う。
それが持てなければ、ただ、生きて死ぬだけの動物のような損だ得だという人生になってしまうのではないだろうか。
これは何も私が考えたわけでもなくて、二千五百年前人類は初めて生きる意味を考え出した時に出た結論だと思う。
孔子も「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」と言っているし、釈迦も苦悩から解放される真理は恐らくここだと考えたのではないだろうか。
人間、偶然生まれて、必然的に死ぬ運命にあり、そんな中で感謝できる充実した生にし、死への苦を減らすにはこれしか無いと思う。
最近、私自身もなんとか天職を持てたかなと思えている。有り難い話だ。
男たちよ、天職を持て!!