バンコク・ホーチミンの旅 | 色塾BLOG-

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日々のビジネス・社会に対する思いや、起業に向けた考え、読書に対する感想など様々な話題を、海外で働くマーケターとしての第3者の視点から展開。

この1週間、仕事を休んで、ベトナムとタイに行ってきた。


目的の1つとして、現在発展途上中の2つの国がどのような発展の仕方をしているのかを自分の目で確認したかったからだ。




ホーチミンでは、ベトナム戦争の実際の体験の声を聞いたり、戦争博物館にいったり、裏の路地を辿って怪しまれながら民家のかなり中までにはいっていったりした。




バンコクでは、そんなに日程が取れなかったので、マーケットにいったりしながら、普通にショッピングをした。




ホーチミンの町は、フランス支配の影が色濃く残っていて、建物の多くには英語表記があり、ヨーロッパの様式の建築物が多かった。英語を話せる人も多かった。対してタイの建物は、日本と同様、植民地になったことのない歴史を持つ国だけあって、伝統的な様式の建築物が目立った。そして言語がベトナムに比べると通じなかったように思う。




しかし、逆説的だが、外国人の多さはASEANのタイで目立ち、対してベトナムではそれほど多くなかった。この歴史と実態の矛盾はとても不思議な感覚を残した。




ベトナム戦争のとき、ホーチミンは完全に連合軍に支配され、疎開先は爆撃にやられ、目の前に死体が転がっていたのだという。妹が爆撃でやられる話に耳を閉じたくなった。今でも枯葉剤による後遺症を負う人も多く、補償問題は現在も進行している。その写真は心を痛め、博物館を出るころには吐き気がした。この国では、たった40歳の人が戦争経験者であり、父母がベトナムに生まれていたら戦争を経験していたのだと・・・考えるだけでも恐ろしい。




しかし、たった33年前(1975年)にベトナム戦争が終結したのにも関わらず、現在では、完全に復興しているというのも自分にはかなり不思議に思えた。外資の進出とともに建物は現代化され、インターネットが整備される一方で、小さい民家の1部屋の中で5人家族が暮らしている。夜中には家族が外に集まってテントを張ってご飯を食べている。田舎に行けば、ゴムの木が栽培されているが、需要はもはやそんなにないんじゃないか・・・・などと思う。これを、対照的だと片付けるのは簡単だが、よく考えてみれば、20年前:僕も小学生のとき、こんなボロボロの小さな家で暮らしていたことを思い出す。




これから、33年後って・・・と考えるが、僕はそのとき58歳。まだ働いているときである。これだけ国家の暮らしが30年という期間で生まれ変わるのであれば、世の中は30年後大きく変わっているのは間違いないということを再認識させられた。




ただ、1つ大きな疑問なのは、じゃあこの20年の変化のうちの、どのような変化によって、僕はより幸せになったといえるのだろうかということだった。それを理解しなければ、世の中を幸せな方向に向かわせることができないからだ。




20年前には、僕は、お金のかからないご飯と、ボロボロの家に住んでいたし、20円のお菓子を買うのにも「我慢しなさい」と怒られていたが、それはそれで十分に幸せだったのだと思う。貧乏で不幸などと感じたことは無い。数年前に昔住んでいた家を訪れたときに、ボロボロさに驚いたまでだ。今となっては、成人し、自由を手に入れ、自分である程度稼ぎ、まあまあの家に住み、おいしいご飯も食べられる。だが、幸せの質はそんなに変わらない。




いろいろバスの中で何時間もこのことを考えたのだが、自分が過去と比べて幸せだと思うことというのは、「制限が無いこと」。自分で好きなように計画を立て、好きなように動ける。お金や親におしつけられるという制限が無い。これはすごく幸せなことだと思う。でも、更に幸せな瞬間ってなんだろうって考えたら、自分は新しいことに出会う瞬間、「こんなことも、できるんだ!」って思うとき喜びを感じるのだと思った。




ロケットで宇宙にいけると感じるとき、楽しいし、iPhoneのタッチパネルの昨日がすごいとき、うれしい。デザインの可愛いファッションに出会えばうれしいし、気持ちいい音楽に出会うとうれしい。そんな新しい嬉しさをつくっていくのも自分ができる貢献なのだと思う。




そして、ずっと掲げているのが、やはり教育。若者を代表にするのは差支えがあるが、夢がない・夢を達成するのが不可能だと思っている人の手助けをしてあげる。これも「制限をなくして、こんなことができるんだ」と思うことに関わる、貢献の方法だと思う。




纏めると、「制限を無くす」「こういうこともできるんだっていう喜び」を増やす手段を少し考えてみたが、こんな方法があるんじゃないかと思った。


更に世の中をお金持ちにさせて、まだ経験のできていない未知の世界を経験できるようにする。


科学的知見から、新たな可能性を探り、新しい発見・発明をする


人が夢を持つことができるような教育を提供し、「不可能だと思う」気持ちに対して、「やればできるんだ」という成功体験を積ませてあげるマインドセットの転換




僕はこの中で、②や③方向性で、今から30年後に世の中に貢献したぜって言えるようになりたいんだと思った。①の方向性では、できるならば発展途上国のマーケティングに関わって、衣食住の整備にかかわっていけたらと思う。




これを、今の仕事を重ね合わせていきながら、自分にとって興味のある部分・無い部分にわけるとぴったり当てはまる。僕がやっている仕事は、基本的にはビジネスマネジメントとマーケティングに分けられるが、やっぱり、コミットした売上げ・利益を達成するために行うビジネスマネジメントには、その重要性はひしひしと感じながらも、それほど熱意を挙げられないのはこんなところにあるのかもしれない。会社は世の中に「イヒッ」とか「オモロ~」を生み出すためにあるのであって、決して投資家を満足させるためにあるのではないという考え方もこんなところからきているのかもしれない。




もちろん、今は必死で大きな組織の戦略的マネジメントに対してどう対処していくべきかという手段も学んでいる。それを持たなければ、資本主義の世の中でエントリーさえ許されないから仕方ない。そういうスキルを備えた上で、やはり自分は上のような3つの貢献を今から30年後までにしたいし、そういうオモローな人間を輩出し、オモローが継続的に起こる仕組み作りをすることができたらいいと思う。まだまだ青写真だが、すこ~しずつ、夢の輪郭ははっきりしてきているような気もする。