発信することについて | 色塾BLOG-

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日々のビジネス・社会に対する思いや、起業に向けた考え、読書に対する感想など様々な話題を、海外で働くマーケターとしての第3者の視点から展開。

電車を待っている間、暇だったのでNews Weekを手にとって見た。


「中国を変える47人」というお題。




その中である人がこんな言葉を発している。




「知識人ならば意見を発信しなければならない。何かを知っていて口をつぐむのなら、他の人と変わらない。」




背景はこうだ。


彼は元警官で、一人っ子政策の中、女性に子供を産ませない(中絶させる)ために、妊娠した女性の腕と足を家から引きずり出したという。このような現実に口をつぐんではならない。という背景でこの言葉を発していた。






同じようなことをエドワード・W・サイードが「知識人とは何か?」という本で語っていたのを思い出して、パラっと読み直してみた。




「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である。」




「合する前に批判せよが、簡にして要を得た回答になる。知識人にはどんな場合でも、ふたつの選択しかない。すなわち、弱者の側、満足に代弁=表象されていない側、忘れ去られたり黙殺された側につくか、あるいは、大きな権力を持つ側につくか。」






このような精神がなかなかうまく機能していないこと・この精神を持つことの重要性を常々ふと感じることがある。




政治において、


人々は石油や食物等の物価上昇に、「集団行為として」文句をたれるだけであり、それは批判でもなく物事の方向性を変えない。「どうにかしてくれ」という叫びは解るが、根本的な批判をうまく言えている人はあまり見かけない。僕もうまくいえない。




もし言えるとするならば、文句で終わってしまうが、


金融市場というのは、何も価値を生み出さないわりには、上から目線で社会を評価している。金儲けが悪いとはいわないが、ゼロサムゲームの中でパイを取り合っているだけで、大きな顔して人を傷つけているLegalな犯罪かもしれない。もう少し、バランスを取り戻して欲しいと思う。





教育においては、


親さえも正しいTrue Northがないために、子供へのコントロールを失い、子供がキレて教師を傷つける事故件数は+30%以上だったという報告も最近読んだ気がする。その解決策として、親は教室に常駐し、Monitorするといっている・・・・・




ビジネスにおいてさえ、


大勢のものに追従することを許さないで、自分の軸をもって、物事を判断し進めていくことが出来ない限り、人と違った付加価値は出せないということを毎日感じる。






という感想を述べるだけに留まってしまうが、


やはり、このような現状を変えたいということだけは、強く思う。