【この記事には映画版・ドラマ版の『アナウンサーたちの戦争』のネタバレが含まれます】
先日映画版の「アナウンサーたちの戦争」を観てきました。
結論を先に言うといい映画でした! 映画館に観に行ってよかったです。
・・・なのですが、私の知っている範囲で史実と異なる箇所をブログに書いておきます。
(『史実と異なる』というかNHKラジオ第二の『アナウンサー百年百話』で紹介された内容と異なります。万が一ですが『アナウンサー百年百話』の方が間違っている可能性も否定できません。
この作品に触れて思ったのですが『どんなメディアも必ずしも正しい事を言うとは限らない』です。
『アナウンサーたちの戦争』という作品自体は素晴らしいし大好きなのですが、あくまでもドラマ・映画なので話を盛り上げるための脚色がなかったとは限りません。
また、私自身も歴史の専門家ではありません。
私の記述が間違っていたら申し訳ないのですがあくまで参考程度にお読み下さい)
(なお敬称は略させていただきます)
昨年放送のドラマ版・今年上映の映画版の両方で、玉音放送の直前のNHK(※当時はNHKという略称はなく『日本放送協会』でしたが、このブログでは混乱を避けるために『NHK』で統一します)の様子が描かれていました。
このブログを書くにあたり、私はドラマ版の方を映画鑑賞後に見て確認しました。そのときに視覚障害者用の字幕も付けています。
以下、ドラマ版からの引用です。
(※映画化にあたってこのシーンも尺が伸びていたと思いますが、ドラマ版とストーリーが変わるほどの新しいシーンの追加はありませんでした)
(反乱軍が技術員・保木玲子に銃を突きつける)
少佐「下がれ」(※字幕では『少佐』になっていましたが反乱軍の畑中健二少佐のことです)
保木「私たちには判断ができません」
少尉「黙って従え」(※氏名不明)
(和田信賢、反乱軍から保木を守ろうとして反乱軍につかみかかる。)
反乱軍の誰か「(和田に)おい貴様、何やってるんだ!」
(和田、蹴倒される。)
少佐「私たちは国民にどうしても伝えねばならないんだ」(※命令というより熱弁という感じでした)
保木「でも電波が出せないんです」
反乱軍の誰か「早くせんか」
和田「やめろ」
(館野守男、保木を奥に引っ込めて自分が出てくる)
館野「先ほど空襲警報が出て電波は東部軍管区に切り替わりました。ここからは放送できません」
少佐(※声でわかった)「10分、いや5分でもいい。放送させろ!」
(少佐、館野に銃を突きつける)
館野「・・・もう、終わりです」(静かな口調)
(後略)
というのがドラマ版『アナウンサーたちの戦争』で描かれた玉音放送の直前のシーンだったのですが、映画版でも内容は大差ありませんでした。
一方で、NHKラジオ第二の『アナウンサー百年百話』2024年8月14日・本放送では、『20世紀放送史』を出典にして、玉音放送の直前に館野守男と反乱軍の間にどういったやり取りがあったのか解説していました。
文字起こしではありませんが、内容を要約しました。『アナウンサーたちの戦争』と明らかに異なる箇所は太字にしています。
館野守男(アナウンサー)はタカハシ(部長)とヤナギサワ・ヤスオ(副部長)と3人で天皇の放送(玉音放送)の原稿を相談して考えた。天皇の放送なので下手なことは言えない。
館野は「いわゆる反乱軍が来て放送を妨害されるかもしれない」と考えた。その考えを聞いたヤナギサワはどこか(警察?逓信省?情報局?)に電話するが、どこも自身のことで手一杯(この時点で8月14日。玉音放送するのが決定した後)。
8月15日早朝、NHKで反乱軍(畑中少佐、4人の兵士)が放送局員銃を突きつけ「放送させろ」と要求する。
館野によると畑中は小柄で顔面蒼白で落ち着いた印象だった。
畑中は「我々の気持ちをどうしても国民に伝えたい。あんたの気持ちは?」と館野に聞いた。
館野は本音を言えなかったので「感慨無量ですな」と答えた。これだと「平和が来る。希望がある」と「(終戦は)残念だ」の両方の意味に取れるからだ。
映画やドラマではよく畑中は館野ら放送局員を「脅した」と描かれるが、館野によると「喧嘩ごしでやったことはない。国民に気持ちを伝えたいだけ」。
「決起を促すために放送する」とは、畑中は一言も言っていない。
「国民に伝えたいことがあるので『放送させてほしい』と言った。非常に緊張していたがそんな命令口調ではない」
「ある程度調子は高かったかもしれないが普通の会話だった」
「畑中は暴力的ではない」
「畑中は司令官からの電話で反乱をやめるように説得された」
その後、館野は玉音放送の予告を放送する(本日正午から重大な放送があるので全国民は起立して聞くように、というもの)
という内容でした。
『アナウンサー百年百話』の内容が正確なら、という前提で話を進めますが、『アナウンサーたちの戦争』が描いた玉音放送直前の出来事はかなりの脚色が入っています。
少佐(畑中)が小柄ではなかったのは現代の俳優の体格が一般論として当時の日本人より大きいため、そこは問題にしません。
しかし
・舘野に「今の気持ち」を質問するくだりがない
・反乱軍を止めたのは司令官だったのに、作品内では舘野が「もうやめましょう」と説得して反乱をやめさせたことになっている。
というのは
元が『NHKスペシャル』枠でのドラマだったことを考えるとやめてほしかったです。
「玉音放送が放送されるまで」という歴史的事件は、もっと史実に忠実に描いて欲しかったです。
それと、これは必ずしも問題とは思っていませんが
当時のアナウンサー達、いや登場人物達がどのようなことを考えてあの時代を生きていたか、というのは脚本家の想像・創作がかなり入っているのではないか? とも思います。
(とは言えこれは、生前のインタビューや本人の当時の日記や手紙などが残っていないと分かりません。
私はそれらがどれぐらい残っているのか何も知りません)
これは批判したいわけではなく「真実が判明するまでは一歩引いて見ます」という私のスタンスなのですが
後に和田の妻となる実枝子が太平洋戦争の開戦に疑問を持ち、周囲の熱狂にも染まれず(染まらず)「戦争は人が死ぬもの」と冷静に考える姿が描かれましたが
本当に彼女が当時ああいった考え方をしていたのか私は知りません。
1941年の開戦当時は多くの男女が戦争に熱狂しました。
冷静な方がむしろ珍しかったのではないかと想像しています。
また、これは映画の公式Xにも書かれていたことですが和田と実枝子の関係性や、恋愛や結婚といったプライベートな部分は脚本家の創作だそうです。
(しかしこの2人が結婚したのは史実です)
本作は史実を基本にしていますが、和田さんご夫婦のエピソードは脚本家 倉光泰子さんのオリジナルな描き方です。橋本愛さんが演じる和田信賢の妻・実枝子さんを通して見た戦争、そして和田さんに対する視点は映画でもグッとくるシーンです。
— 『劇場版 アナウンサーたちの戦争』公式 (@voice_is_at_war) August 4, 2024
実際の和田信賢さん、実枝子さんのお写真と共に。#アナ戦 https://t.co/yYslyebkaE pic.twitter.com/EiIDs1XSnm
この事自体を批判するつもりはないのですが、去年のドラマ版のときはてっきり実話だと思っていた。
2人で街を歩きながら実況(即時描写)の練習をするシーンや、(膝枕はなかったかもしれないけど)自分の言葉の力の使い方、もっと言えば大本営発表をそのまま読み続けることに疑問を抱いた和田を実枝子が叱咤激励するシーンは、てっきり実話だと思ってました。
「あれらも創作」と引いて観る事にします。
(というか映画観に行く前にそれを知ったのでその部分は一歩引いて観ました)
しかし史料に裏付けられた(と思われる)アナウンサーの描写も有りました。
当時のNHKには内部の雑誌(『放送』とか『放送研究』とかそんなタイトルです)があり、アナウンサーをはじめ職員の投稿が載っているのですが
館野守男はアナウンサーとして国策を宣伝する事を積極的に支持し、情熱を持って宣伝調のアナウンス(雄叫び調)をすることを投書で勧めています。
まさに作品のとおりです。
一方で川添照夫は雄叫び調は精神論に頼りすぎている、アナウンス技術がないと投書で批判しています。
実際にアナウンサー達の前で「(アナウンスで)憎しみを煽るなんて恐ろしいことだ」という演説をしたかどうかは分からない、というかさすがに無理だったのではないかと思いますが、あのシーンはこれらの投書が基になってるのは分かりました。
雄叫び調と舘野、川添の投書についてはこちらのNHKサイト
今、大森淳郎『ラジオと戦争』という本を読んでいますが、それによると「雄叫び調」は太平洋戦争開戦のアナウンスで初めて生まれたわけではありません。
それ以前から国策を宣伝して国民の支持を得るためのアナウンスが現場のアナウンサー達の間で研究されてきて、その必要性がNHK内部の雑誌で説かれていました。
この作品では舘野の開戦アナウンスで「雄叫び調」(この用語は出てきませんでしたが)が誕生したような描かれ方をしていましたが、個人的には許容範囲です。
その前に舘野の先輩アナウンサー達(和田信賢か志村正順か松内則三の誰かだったと思う)が
「君のアナウンスはつまらない」
「和田や志村や松内はスポーツのアナウンスで観客を熱狂させる」
と舘野に語っていました。
舘野はルックスも性格も生真面目でしたが、先輩達の言葉を受けて自分のアナウンスに悩んでいました。
作品でははっきり描かれなかったけど、当時求められていた宣伝調(後の雄叫び調)のアナウンスを実現させたいけどなかなか上手く行かない、という背景を読み取りました。
また「ラジオと戦争」によれば、当時を知る元アナウンサーのインタビューで上記のような「舘野の開戦アナウンスで雄叫び調が誕生した」という話が出てきました。
そういう話をする人が複数いるので「雄叫び調伝説」になっているそうです。
あえてその伝説を映像化したのかもしれません
(だとしたら視聴者に事実関係を誤認させるので、良かったとまでは言いません)
それと和田が出陣学徒を壮行会前に取材した件ですが、ドラマ版の公式サイトにも映画のパンフレットにも出典が載っていなかったので実話なのかどうか分かりません。
(ちなみにドラマ版の公式サイトは既に閉鎖されてますがアーカイブが残っています)
https://web.archive.org/web/20230812121755/https://www.nhk.or.jp/archives/bangumi/special/anasen/
しかし(映画で新たに追加された)和田が解説委員に任命されたけどまだ全然解説してない、というシーンは史実に基づいてます(パンフレットより)。
終戦まで結局一度も解説しなかったそうです。
軍部に都合の良いかつ事実に即しない解説をしたくなかったそうです。
(何かあったら追記しますが、一旦ここで公開します)
【作中の英語使用について】
タイトルも『アナウンサーたちの戦争』で、戦時中も(私の記憶が正しければ)登場人物が「アナウンサー」や「アナウンスメント」という英語を使っていました。
しかしご存知の通り戦時中は「英語は敵性語」ということで使用が禁止されました。
禁止といってもそういう法律はなかったのですが、現代で言う自粛みたいな感じだったのではないかと思います。
NHKも「アナウンサー」を「放送員」と言い換えました。
https://www.nhk.or.jp/museum/topics/2023/20230516.html
「ニュース」は「報道」に改名されました。
https://www.nhk.or.jp/museum/topics/2023/20230405.html
しかしNHK放送博物館のサイトによると、戦時中ですら「ピアノ」は「ピアノ」と言っていましたし、厳密に全部を日本語化していたわけではなかったようです。
話を「アナウンサーたちの戦争」に戻しますが、「放送員」という言葉を作中で使わなかった理由は恐らく「当初は単発ドラマとして制作されたから」ではないかと思います。
90分という限られた時間の中で「放送員とはアナウンサーという意味だよ」と登場人物に説明させる時間を取れなかったのではないでしょうか?