結論から言うと「見なきゃよかった。超気分悪い。でも次は最終回だから最後までは観よう。たとえ気分が悪くなっても」

・杉山ひろ美のハラスメントの訴えが通るのそもそもおかしくないか?
後半の主婦・並木がゴミ捨てルールを守らなかった件もそうだけど、このドラマは「何でもかんでもハラスメントになってしまう、本人がハラスメントと訴えれば通ってしまう現代社会はおかしい」というメッセージを発信したいと思われるが、そもそも現実は「本人(遺族)がハラスメントと訴えれば通ってしまう」ものではない。

今でこそ遺族のパワハラの訴えも認められてきたが、宝塚歌劇団の劇団員自殺事件では遺族が劇団員がパワハラに遭っていたと訴え、第三者委員会による調査を求めていた。しかし当初は劇団側はパワハラは否定していた。





ハラスメントを受けてきた人がそうだと認定されにくい現実があるのに
現代社会を描写したドラマで「ハラスメントに厳しくなったから現代社会は生きづらい」(渚はそういう理由で昭和の方がいいなと言っていた)というメッセージを発信するのってどうなのか??

・そもそもマタニティハラスメント(マタハラ)とは、妊娠や出産を理由にした解雇や配置転換(いわゆるマミートラック)を受けることだ。
このドラマはマタハラが何なのか視聴者に誤解させるのではないか?

・プレマタニティハラスメントというのはこのドラマで初めて知った。
妊活(不妊治療)を理由にした解雇、降格、配置転換などを指す。

クリニックに行かなきゃいけないのでその日はシフトに入れないという杉山に対して渚は気遣いのつもりで
「やむを得ずこの日にシフトを入れるけど来られなかったら来なくていい。いないことにするから」
と言ったが、これがプレマタニティハラスメントだと訴えられた。

しかし、この事例で問題視すべきなのは

・会社に不妊治療休暇などの制度がないこと
・杉山は妊活(による無断欠勤)を理由にバラエティ班に異動になっているが、むしろこの人事異動の方がプレマタニティハラスメントなのではないか?(無断欠勤に対する懲罰という言い訳も通るので、実際にはどう判断されるか分からないが)

なのにこの点についての言及はドラマでは一切ない。

プレマタニティハラスメントが何かというのはこれを書く前に検索したけど、東京都のサイトが一番にヒットした。これだけ読んだ方がプレマタニティハラスメントの正しい理解につながりやすいのではないか?

・杉山は「彼氏ができるとすぐに妊活を始める」(羽村情報より)らしいが、そもそも不妊治療は「法律婚」か「事実婚」でないとできない(都道府県によっては事実婚は不可かも? ※調べてない)。

事実婚とは同じ住所に住んでる異性のパートナーですが、役所に「世帯変更届」を出さないと事実婚だとは認められません。

こうすることで住民票に「夫(未届)」「妻(未届)」と書いてもらえますが、この記載がないと事実婚だとは認められません。

事実婚ど同棲は違います。
羽村の説明だと杉山は事実婚ではなさそうなので、そもそも不妊治療でクリニックに通っていること自体が現実に反します。

「不妊治療」ではなく、例えば漢方薬のクリニックみたいな、法律上?は不妊治療だと認められないものかもしれませんが。

しかし不妊治療のことを何も知らない人が聞いたら
「結婚しなくても不妊治療はできる」とか
「独身でも妊活してるといえば会社休んでもいい」とか、誤解させると思いました。

・近所の主婦・並木がペットボトルのラベルを剥がさずにゴミ捨て場に出していたことを渚にやんわりと(全然上から目線ではなかったです)注意され、しかも先週も同じことをしていたから渚が代わりにラベルを剥がしていたと説明したら並木が「こういう上から目線の物言いだからパワハラで訴えられるんだ」と逆ギレした件だが、あたかも「ハラスメントが厳しくなったから渚みたいに真っ当な注意をする人が悪者扱いされる」みたいな描き方でかなり悪意を感じた(制作者には悪意はなかったかもしれませんが)。

その後のゆずるのミュージカル形式の反論も論点がズレている。

問題なのは「ゴミ捨てのルールを守らず逆ギレする人」なのに、「1場面だけを切り取って渚というハラスメント加害者を判断するな」が反論になっていて聞いててうんざりしました。

なんかなー、このドラマの制作者は現代社会を「自分がルール違反をして注意されたら『ハラスメントだ』と言い返せば通る世界」だと思っているんだろうか?
そういう世界観をお持ちなのだろうか?
宮藤官九郎さんの周囲にはそういう方が多いんだろうか?
あるいはリサーチした中にそういう体験談が多かったんだろうか?

それは分からないけど、少なくとも同じ日本の現代社会を生きる私の周りではそんな話は聞かないし、私自身もそんな事はしてないし、されてもいません。

第9話はもしかしたら「自分にそのつもりがなくてもハラスメント的な言動をしてしまうことがあり、それで他人を傷つけることもある。だから他人の気持ちに想像力を働かせましょう」と言いたかったのかもしれません。

私もいつハラスメントをしてしまうか分からないな、と考えさせられました。

とはいえ、例が悪質すぎる。
杉山にせよ並木にせよ「被害者」にも落ち度はあるわけだし、これじゃ視聴者に「モンスタークレーマーみたいな人が周りに潜んでいるかもしれないから、いつ訴えられるか分からないから注意しましょう」という認識を持つのを促してるように見えます。

(特に並木には落ち度しかなくない?
むしろ並木はもろにコンプライアンス違反じゃないの??
他人にペットボトルのラベルを剥がしてもらっておいて反省もせず逆ギレって最悪でしかない)

それで「行き過ぎたコンプライアンスが支配している令和は生きづらい、コンプライアンスが緩かった昭和の方が楽しく生きられる」みたいな世界観を発信し、市郎は杉山へのハラスメントの件で謹慎中の渚を1986年に連れていきます。

視聴者もその世界観に誘導しようとしてるのに呆れました。

渚に言いたい。

「コンプライアンスがゆるいところ」は渚も気にいるかもしれない。

しかし1986年は(ちょうど男女雇用機会均等法ができたとはいえ)まだ外で働く女性が少なかった。

会社での女性の仕事はお茶汲みコピーに代表されるような、補助的な仕事ばかり。
子供いようがいまいが責任ある仕事は任せられないし、昇進もありません。
渚はハラスメントの件がなければ4月からプロデューサーに昇進する予定でしたが、昭和ではまずあり得ない人事です。

女性は「結婚したら仕事辞めるもの」でした。

というか、入社時に「結婚したら退職する」「35歳になったら退職する」という契約書にサインしないと雇ってもらえませんでした。

(NHKスペシャル『東京ブラックホール 魅惑の罪のバブルの宮殿』より)

特に小さい子供を持つ母親で働いてる人は非常に珍しかった。

待機児童はいなかったかもしれないが、子供を保育園に預けて働こうとしたら「かわいそう」と言われまくるし

離婚した女性は今よりも冷たい目で見られ、子供には「あの子は片親(今では使ってはいけない言葉ですが当時は普通に使ってました)だから躾がなってないんじゃないか」と疑いの目をかけられ(今もあるとは思いますが当時はもっとひどかっただろう)

産休育休を取れる職業は公務員ぐらいでした。

今だって女性の賃金は男性より低いですが、当時はまだそんな事は問題視されていません。

「給料低いなら結婚すればいい」
「専業主婦になった方が自分も子供も幸せに暮らせる」
なんて普通に言われていた時代です。

渚には関係ないにせよ、女子が四大に行こうとしたら
「女子が四大に行くなんておかしい。就職に不利だ。結婚できなくなる。短大にしろ」
なんて普通に言われていた時代です。

純子の大学受験が歓迎されてるのは、スケバンを卒業したからだけでなく
・市郎が教師だから教育の重要さを知っている
・純子が一人娘だから教育費をかけられる

という理由があると思います。

教育費が足りない家庭は、娘には大学受験のチャンスを与えず息子(あるいは長男)にしか与えませんでした。

そういうのが「当たり前」「女の子だから仕方ない」と思われていた時代です。

私も昭和は知らないけど、渚が現代でテレビ局の正社員ワーママでいられるのは昭和から今に至るまで、権利を求めて闘ってきた人々がいたからです。

渚も大卒だろうし教養もあるはずなのに、なぜそこに思い至らないのか?