車いすの障害者に「歩けるように努力しろ」って言うのはいけないことだと社会的に理解されているのに
障害特性的に空気や行間を読むのが苦手で、はっきり言ってもらわないと理解できない発達障害者に対して「空気読む努力しろ」って言うのはいけないことってなってないのは一体何故?
日本にも発達障害者と言う、空気を読むこと、行間を読むことが苦手な日本人がいるんですよ。
「日本人同士なんだから行間読んでよ」とか
「ここは日本なんだから空気読むのは当たり前だろ」とか
そういう風に言うのやめていただけませんか?
ケースバイケースですけど、YES, NOをはっきり言う必要がある場面でははっきり言ってもらえませんか?
例えば飲み会の参加可否。
「行けたら行く」とか、そういう曖昧な返事やめてもらえませんか?
幹事は居酒屋に「〇名で参加」ってはっきり伝えなくちゃいけないんですよ?
日本でも「大体10名ぐらいでの参加です」なんて居酒屋に伝えたら居酒屋さん困るんですよ。
居酒屋さんだって料理を人数分用意しなきゃいけないんですから。
行きたいなら「行きます」、行けないなら「行けません」ってはっきり言ってもらえませんか?
じゃないと困る幹事もいるんですよ。
私の話じゃないけど、「行けたら行く」を「行く」と解釈して
居酒屋に「本来の参加人数より1名多い人数」を伝えてしまう幹事もいるかもしれないんですよ。
あるいは「行かない」と解釈して「本来の参加人数」を伝えたら
「行けたら行く」と言った人が突然やって来てみんなが戸惑うケース。
NOと言いたいとき「申し訳ないですけど今回は・・・」て私(発達障害者)には通じますけど、通じない発達障害者もいます。
「発達障害あるならあるって最初に言ってよ」って思われるかもしれませんが、嫌ですよ。
少なくとも私は嫌ですよ。
障害の有無って病歴と同じく個人情報ですよ?
家族とか特に親しい友人以外には言いたくないですよ?
あるいは障害者雇用で就職するときとか、そういう必要な時じゃないと言いたくないですよ。
差別を受けかねないので安易に言いたくはないです。
「私は痔です」とか「私には水虫があります」
って人に言えますか?
積極的に言いたいことですか?
「行間を読め」「空気を読め」って人に要求するなら、このたとえで私の言いたいこと理解してほしいですね。
私個人は「言わなくても私の気持ちを分かってくれる友達や恋人」って欲しいとは思わないな~。
いや恋人や配偶者ならたった一人だから、そのたった一人に対して、交際が長くなったらそういうの要求するのはまだいいけど。
私は、言いたいこと、理解してほしいことは大人らしい言葉選びで言葉にして伝えてくれる人と友達になりたいですね。
「空気(行間)読んでよ」「察してよ」って要求してくる人たちは、率直に言って面倒くさい。
私と「普通の日本人」の間の深い溝でしょうか?
私も普通の日本人なんですけどね。