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小さなアイデアをかたちにする奮闘記

いろいろクリエーターのスカイビーンです。
日常で小さなアイデアをよくヒラメキます。 
こんな○○あったらいいな。
このブログは技術なしのこのぼくがアイデアをゼロからかたちにする奮闘記です。

まえがき
「~ですか?」「~して頂けますでしょうか?」「マジッスか?」

ぼくたちは一日の何%を敬語で話しているのだろうか?
人によっては一日のほとんど敬語でしゃべっている人も少なくないと思う。
だから別に普段から敬語をつかうことに違和感を感じることはない。
社会にでれば当たり前のことだし、学生の時だって先輩には敬語で話すのが普通だった。

そもそも振り返ればいつから敬語を使いはじめたっけ?

ぼくの場合は小学校の3年生くらいの時には既に先生に対しては敬語をつかってたと思う。(あんまり覚えてないけど)
そして中学生になってから本格的に先輩・後輩の区別がはっきりとしてきたので、間違いなく敬語をつかう頻度が増えた気がする。


実はぼくは敬語をつかうということに違和感を抱いている。


違和感を抱きはじめたのは高校の頃だった。
部活でサッカーをやっていたんだけど、仲のいい先輩がいた。

一応しゃべっている時は先輩なので敬語なんだけど、たまに会話が弾むとタメ口の時もあった。

でも結局は先輩と後輩。
そして敬語という存在がぼくと先輩の距離を邪魔した一つの大きな要因だったと思う。


何というか、敬語がぼくと先輩の上下関係を無意識に意識させてしまう。
たかだか一年早く生まれたか遅く生まれたかの違いしかないハズなのに、敬語をつかうと何かフラットでいられない。

敬語なんかつかわず、もしお互いに年齢なんか意識しないでコミュニケーションがとれていたなら、その先輩に関わらずどれだけの人と仲良くなれただろう。
そしてどれだけ多くの人とこれから仲良くなりやすいことか。


以前一年間オーストラリアにいたことがある。


英語は日本語にくらべて敬語があまりない。
あるんだけど、日本みたいに複雑ではないし、色んな人種の人が第二言語として英語をつかうので敬語をつかわないから失礼なヤツだ。とかいちいち言ってらんない。

だからはじめて会う明らかに年上の人と話す時でも、敬語とかつかわないから何か気持ち的にフラットでいれた。そして仲良くもなりやすかった気がする。
全部が全部敬語の影響ではなく文化的な影響もあるんだと思うけど。


〈まとめ〉
敬語はなぜ生まれたかとか調べいく必要はない。
もしかしたら昔はいろいろ事情があって必要だったかもしれない。
ただ今の世の中にフォーカスをあて、"敬語という概念がそもそもない世の中"と比較した場合、正直敬語をつかう利点が見あたらない。
相手を敬っていようがいまいが敬語をつかうのがタダの常識であるのなら、ぼくは敬語の存在意義はないと思う。あるのは目上の人には敬語をつかうという単なる"流れ"や"空気"だけだと思う。

結論
【敬語を使うのはやめよう。みんながやめたらおれもやめれる】





[※この記事は本ブログタイトル通り、のちに書籍として出版します]