子育てしながら注文住宅営業のお仕事させて頂いているいろいろです。
最近、虐待サバイバーという言葉をよく聞くことが増えてきました。
私も虐待サバイバーなのかなって思いますが、題名の通り私はいらない子だったと言われ続けて大きくなりました。
文字通りいらない子なので、塾や習い事は親が見栄のために入れた、スイミングしかも弟と一緒に小3から。
とおじいちゃんにお願いして親に頼んでもらったエレクトーン。近所の英語の塾くらいでした。
自分でも3人兄弟の中で一番頭が良かったと思ってます。
絶対評価でしたが、英語の塾しか行ってませんでしたし、内申は38で、学校のテストは500点満点で大体420点くらいでした。
しかしながら、幼い頃より、サイレントハンドになっており、大人の男の人の怒鳴り声を聞くと今でも怖くて仕方がありません。
私の元の家族は、生まれたところは、父、母、私、弟、弟。
父は、大手に勤めてましたが、お給料はほとんどパチンコに費やし、母は愚痴ばかり行って働かなかったので、必然的に貧困です。
社宅という場所に住んでいて、母は、毎日井戸端会議に明け暮れていて、私の話は聞いてくれませんでした。
何か、わがままを言うとすぐ殴られて、怒鳴られて、産まなきゃ良かったと繰り返されていた気がします。
私も時々、子供たちに言ってしまうことがありますが、心を込めて訂正、謝罪を子供達にします。
1歳の頃から、手を引っ張られ歩くことが多く。
私の中では私より弟の方が大事なんだとこの頃から思いました。
おもちゃも弟は何も言わなくても買ってもらえていたように感じます。
私は自分から欲しいと祖母にねだってやっと買ってもらっていました。
両親はそれを卑しいとよく罵りました。
私は、いらない子だったと5歳の時に言われて、そこから存在する意味がわかりません。
家を建ててからは、弟たちの部屋には、エアコンがあるのに私の部屋にはありませんでした。
私はずっと殴られていたので、母の身長を追い越した時から、母に仕返しをしました。
母は、なんでこんなことするの。
と泣いていましたが、私もされていたので、じゃあなんでそんなことしたの?叩いたの?殴ったの?ってきいたら、私はそんなことしてないと答えました。
私は毎日殴られていたので、なぜ私ばかり、責められるのかわかりませんでした。
算盤で殴られたこともあります。
父は、家にいる時はいつも不機嫌でいつも怒鳴り散らして、私を殴ってました。
よく生きてたな。
獣医になりたいと言うと女は勉強しなくていいと進学校に進学した後に言われました。
要は見栄を張りたいだけで私は行きたくもない高校に行かされました。
不登校になった時も自殺しろと言われたので、自殺未遂をしましたが、そんなことするなら死ねと言われました。
心が壊れて折れているのに働かざるもの食うべからずと言われ、バイトを強要されました。
女はどうせ仕事を辞めるから小学校をでて働けと言われました。
これは平成に入ってからの話です。
私は22歳であんたを産んだと言われ呪いのように母から言われ続けて、焦って結婚した挙句DV夫と鬼姑だったので離婚したら子供を連れて帰ってくるなら仕事をやめて家事だけしていろと言われました。
子供が切迫早産になった時には死産すれば良かったと言われました。
これは、両親から言われた言葉の数々です。
私が両親の反対を押し切って営業職についた時には、散々嫌がらせをしたし、お客様なんでこの21年一度も紹介してもらったことがないのに自分の親戚には仕事をやれと言います。
私がトップセールスになった時にも、俺のおかげだと何もしていない父が言っていてこいつ頭がおかしいんじゃないか?
と思いました。
中堅メーカーでトップになり何度か表彰式に行く時もなんで子供が小さいのにそんなところに行くんだと嫌味を言われました。
最近では保育園の迎えはやるようになった父。
先日親ばかり頼っても月に1回もお迎えを頼んでいないのにグズグズ言われたので、じゃあなぜ私を母に生ませたのか?女の子と分かった時点で堕さなかったのか?問いました。
そしたら、
幾分対応が良くなりました。
弟はお嫁さんのご両親が孫のことをやってくれているのでそれは頼らなくていいんだけど、うちは、夫の親は何も育児を手伝ってくれないので、今いる母は亡くなっているので父にしか頼めません。
私は親に愛されていなかったので、子供をたくさん産んで子供から愛をいただいております。
だから、本当に大変で逃げ出したくなることもあるけれど、4人いる子供は全員。
いる子です。私の宝物です。
恫喝や恐怖で強制するよりも、話し合いで解決できるように子育てをしていこうと考えて生きてきました。
思春期で親の思い通りにはならないことの方が多いけれど、私が宝物と言って育ててきたので、自分に自信のある子供になってくれていると思います。
親の子育てをなぞらず、子供を1人の小さい人として尊重できる子育てをこれからもしていきたいです。