いろいろです。
いろいろ昨年末40代になりました。
20歳の時にはじめたこの仕事は、紆余曲折ありましたがもう20年。
離れたくないから努力します。
大切なものはもう40年の間にもらいました。
母はもう亡くなって11年。
子供を大切に思うがあまりに厳しい人でしたが、愛情は溢れていました。
私は他の仕事に就きたかったけど、父が自分のためにだけお金を使う人で、私は、学歴という壁の外には出られませんでした。
私は、いま、ご先祖様から受け継いだこの根性で、子供を学歴という壁の外に出したいと思っています。
私の希望は、子供に私の見なかった見られなかった景色の中で生きて行ってもらうこと。
ほかに夢も希望もありません。
私の力で私のはじめに産んだ男の子を、私の見られなかった世界に、まず一歩出すことができました。
これからまだまだ、私も頑張らなくてはいけないけれど、彼は、私の見られなかった景色を見せてくれるために、そして、自分のために。
努力という小さな事を積み重ねています。
才能と、努力と、手助けがあれば、どこまでも広い世界を飛んで行けると私は思います。
同じ子供でも、性格によって全然違います。
はじめの子は負けず嫌い。
次の子はお人好し、そして、自分よりも他人を優先してしまう。
そして次の子はもっと負けず嫌い。
そしてはじめての女の子は超がつくほどの負けず嫌いの気の強さ。
私は次男を心配しています。
「どうせ俺はダメだから。」
いつも、そう言います。
それは違います。
何度も伝えています。
努力は裏切らない。
私は、背中を見せてきたつもりでしたが、見ていなかったのかな?
長男は、短期のアルバイトに行って、1000円稼ぐことがどれだけ大変なのか実感し、先日、三男を映画に連れて行ってくれました。
私たちからもらったものは弟、妹に返すよ。
と。
涙が出てしまいました。
大人になれば分かると。
母は言ってました。
私も、母が、私に厳しくした気持ち少しだけわかります。
母が亡くなった時。
お葬式の時。
帯が曲がっていたようですが、私は誰も言ってくれませんでした。
母の友人が、教えてくれました。
その時、母なら、すぐに教えてくれて、直してくれるのに…
母なら、私が、悲しそうな顔を見るのが嫌だから、いつも、仕事で辛い事を話すと、やめればいいじゃん。
て。
私が困る顔が見たくなかったんだと、40歳になって気づきました。
私も娘が泣く顔を見るのは辛いです。
だから、母も辛かったんだなって。
思いました。
はじめの夫に殴られて、目のまわりに青あざを作って帰った時。
「何で、こんなことするの?」
「私は〇〇◯に殴られるためにこの子を産んだわけじゃない」ってすごく怒ってくれました。
お母さん。
私、いま、頑張ってますか?
子育てしてて思います。
どの子にも幸せになってほしいと。
そして、兄弟家族仲良く過ごしてほしいって私も思います。
でも、そう思っても届かない時もあります。
だけど、私はもう大切なものはお母さんからもらいました。
だから、子供たちに、それを受け継いで、そして、あなたのいるところに行くまでに沢山のお土産話しを持っていけたらと思います
頑張ります。
頑張って壁の外に子供を出します。
見守っていてください。
