以前はゲンビどこでも企画公募展というのをやっていたが、リニューアルオープンしたということで公募展も変り、Hiroshima MoCA Fiveとなった。リニューアルをテーマに公募され、5人のアーティストが選ばれたのだが、こちらも面白かった。



半円の回廊に展示されている

保泉エリの作品《うつしとどめるために》。
広島駅ビルの壁面にあった船越保武の彫刻作品2つが、工事中に行方不明になったことをモチーフとしている。
私自身は新聞かテレビ報道で知って、「何をしちょるんか!」と心の中で怒ったことを覚えている。そして美術作品の関心のなさに呆れたりもした。
その2つをデッサンしているのだが、それを見て、うっすらとそういう作品があったなあ…いや、覚えているうちに入らないな。

私自身がちゃんと見ていないという状態である(←オイ^^)。
工事中の広島駅の壁面に掲げている映像も一緒に流れている。
広島駅は路面電車を2階に引き込むという大規模な工事を行っていて、完成後はまったく駅前の様子は変わるだろう。かつてあって、そして忘れ去られていた作品を、今という時に重ね合わせているのだろう。
芸術作品は時としてとんでもない値段で取引されるが、こうやって簡単に捨てられていて、全国的にもこうしたことはあるらしい。

芸術作品って意外と軽んじられている。



展示室内に入ってすぐの壁面には、津川奈菜の作品《Better Life》。
実は4月に呉市立美術館で1室だけの展示があり、彼女の作品は観たばかりだった。
嵐のような曲線で鉛筆で描かれた絵は、一見何が描かれているか分からないが、少し引いて観ると何となく分かる。元になる話をそのまま描くだけでは当たり前すぎるが、分からなくなるくらい描いたり消したりを繰り返すと、別のものに見えてくる。

伝聞や記憶と事実とは違うもので、過去のものを正確に表出するのは難しい。その不明瞭さがこの黒いヴェールのごとく描かれた線だろうか。壁一面に貼ることでスケール感が増し、鑑賞者各々が物語を見つけていく楽しみもあるだろう。



展示室に吊るされているのは浦上真奈の作品《浮かびながら結ぶ》。
蚤の市で見つけた古い写真に刺繍を加えたものだという。
作家曰く、人間は二度死ぬ。一度目は肉体的に。二度目は人々に忘却されて。
ならば三度目の生を纏い、どこかで誰かの記憶になることを意図しているとのこと。
色とりどりの糸で刺繍され、垂れた糸が室内の微風になびいている。
私は自身のウェブサイトに撮影した写真をたくさん載せているが、私が死んで、子孫からも忘れ去られた時に、アーティストの作品に組み込んで貰うことが出来るかな~死んだ後のことは分からないが、何某か後世の人々が価値を感じてくれると良いな。



平井亨季の映像作品《インク壺としての都市、広島/呉》。
2018年の西日本豪雨で呉線が不通になったため広島から呉までを船で行き来したことがきっかけで、広島と呉という二つの都市を見つめ直した映像作品。
広島と呉は距離的に近く、広島は陸軍、呉は海軍の拠点として旧日本軍と関係の深い土地。
シンプルな線によって構成されたアニメーションで、現在と過去とを対比する。
映像作品は説明が難しいので、実際に観ていただくのが一番である。
ちょうど5/17の中国新聞に詳しい記事が出ていたので参照のこと。



西川茂の《Seeled Building -Atomic Bom Dome-》
建設・解体・改修中の足場とシートで覆われた建物をモチーフにしているとのこと。
普通の建物はシートで覆われた後、新たに建てられたり、更地になったり、新しく生まれ変わったりで変化するものだが、世界遺産となっている原爆ドームは、特別なアクシデントがなければそのまま存在し続ける。そのドームを絵の中でシートで覆っている。
シートが取り払われた時には、その存在価値が忘れ去られる時代となっているだろうか。
大量殺戮兵器など全くない戦争のない時代であれば原爆ドームは無くてもいいかもしれない。
逆に殺し合いが当たり前となった時代になれば、世界遺産など邪魔でしかないから早々にミサイルが突っ込んでいるだろう。

これらの展示は無料で観ることができるし、写真撮影OKである。
SNSでの利用可能で、作品名と作家の表記が必要。


公募展の展示はタイミングが合わずに見逃すことが多かったのだが、会期が長くなったのはありがたい。良い判断である。新しい才能に出会えるのでお勧めである。6/9まで。