広島市現代美術館の特別展には毎回観に行っているのだが、レビューしやすいものとそうでないものがあり、後者の場合はある程度の熱量がないとシンドイので、気が乗らない時は書かない時もある。

今回の特別展も、概要を読む限り何のことやらサッパリ分からず、レビューが難しそうだなと思っていたのだが、良い意味で予想を裏切られたので書いていく。

現代アートに限らないが、「抽象」が絡んでくると理解が難しくなる。鑑賞者は作品の意味を理解しようとするが、作家は具体的なメッセージを分かり易く作品にしたりはしない。鑑賞者は意味を見出そうと凝視しても、おそらく視神経に負担を与えただけで終わる。

今回の展覧会のタイトルはその「抽象」に加えて「崇高さ」とあり、概要に「デカルト」なんて哲学の巨人の名があると、何やら厄介そうだなと感じるのが普通である。

階段を下ったところからスタートである。
暗い展示室に教会の模型があって、ライトによって小さなステンドグラスがきらめいている。暗闇の中の光。


それに対するように壁には何かよく分からない物体?の映像が流れる。トリシャ・ドネリー≪Untitled≫。実体の掴めない光の揺らぎ。光は希望のイメージではあるが、それだけではない。
壁の裏側には今回の展示を企画した田口和奈の写真作品≪たゆたう≫が飾られている。セルフポートレートであるが、多重露出(だけでないような)によって撮影されたもので、揺らぎを感じる。

先程の映像と表裏一体である。

人のいろいろな側面を表す一方で、分類できないよく分からないものを表裏で示しているのだろうか。
そしてセルフポートレートの正面に対しているのは岸田劉生の麗子像。それも珍しい二人の麗子像である。≪二人麗子図≫。同じ人物を表現する画家の視点の違いを感じる。

展示室の一角に扉があり、中の小部屋にヴァイオリンが起き上がる様子?を多重露光で写し取ったかのような立体作品がある。アルマン≪復活≫。メインではない隅の方に人知れず立ち上がる意思を表現したものだろうか。



展示室と壁とのわずかな隙間に光が差しており、何のための照明かと近づいてみれば、ここにも田口和奈の写真が飾られている。斜めなのではっきり分からないが、他人ってよく分からないものであるし、鑑賞者を見る彼女の視点にも思える。それの対面に扉の隙間から光が漏れている。まだ表に出ていない光るものを表しているのか。

棚が置いてあり、3点だけその中に置かれている。

一つは図録、一つは作品ではなくその模型、一つは左耳だけを作った三木富雄の作品。

網羅するもの、作品にする前段階、左耳だけというこだわり。

この棚はアーティストの作品を並べるための心の棚ということか。

展覧会の中心となるというジョアン・カイガーの《デカルト》という映像作品であるが、意味を見出すのはなかなか難解。デカルトというと「我思うゆえに我あり」で有名であるが、感想は書きにくいというより分からない^^

ナンシー・ルポのインスタレーション。

白い花弁(に見立てたもの)が床に広がり、広島で見つけた建築現場で使われる道具や、回転する大人のおもちゃ^^が展示されている。

花弁は美しいものの象徴としての意味か。建築現場の道具は、ありふれたものにも美しいものが含まれていること、大人のおもちゃは、アート作品で使われる性的表現のことか。

壁面に隠れるように小部屋が造ってあり、数字や蠟燭をモチーフとした作品がある。もちろん展示室内で火は使えないので電気的なものだが、蠟燭の明かりは落ち着く輝きであるし、数学的なアプローチで作られる作品もあるなあ。

須田国太郎の≪牡丹≫はカッコイイ。

呉市蒲刈の三之瀬御本陣芸術文化館にまとまったコレクションがあり、何回か彼の作品は観ており、暗い色調であまり好きにはなれない印象だったのだが、この牡丹の絵はカッコイイ。

あぁそうか、床の白い花弁へとつながっているのか。花は多くの画家が描くモチーフの代表格である。

3枚に分けて、自分の病気について書かれている文章。テキストによる作品もあるよな。

最後の光の庭の入り口手前に展示された3つの作品。
なるほど~光の庭を効果的に使った展示方法である。

光の中に作品が包まれて輝いているように見える。

そうか。

先程の死を連想させるテキストと対になったものか。

雨の日に見たらまた印象は変わるだろう。

外の天候で印象が変わるのも面白い展示方法である。

 

抽象というのは難解であるし、正解を提示してもらえないし、正解を覚えることで成績を残している日本の学校システムで育った多くの人にとって苦痛でもある。今回の特別展ではアートを考える上での視点をいろいろと提供しているように思える。

光と揺らぎ、動態の変化、視点の合成、他者の視点、心の中の蓄積、様々なモチーフ、生と死の対比、表現しようとする精神、それらを踏まえた上で、崇高なものを目指す意思。

いや~なかなか難しいなあ~でも、嫌いではないなあ~あぁ、面白いぞ^^

リーフレットに印刷してあるのは、美術史に評価されることもなく、どういった人物か分からない画家クレメットの作品である。

一番最初に、階段を下りたところのソファーがあるところに、気づかれないように飾ってある。ファインアートとして扱われない作品であり、コレクターにとっては価値がない作品であるのだが、こうした公的に評価されていない作品は世界中に山ほどある。私もそうした写真を撮っている。アーティストとして活動していなくても、人々はそれぞれに”作品”を生み出している。みんながアーティストであるという文脈ではないと思うが、美術評論家やコレクターに知られていないだけで、光る作品を作っている埋もれたアーティストはたくさんいるのだろうと思う。

今年もモカパスを購入したので、時間があればもう一度観に行こう。また違う見方が出来るかもしれない。