先日、新型コロナ用のワクチンについて、被害者が国を訴えたというニュースが報じられた。
今までも被害を訴えている人たちは多かったが、取り上げるのはほんの一部のテレビ局のみで、殆どの局が無視であったのが、ようやく全国ニュースである。
今まで被害を知らなかったということはあり得ず、もしそうなら報道機関としては失格である。これまで報道しなかった理由として考えられるのは、因果関係が不明だから報じなかったということだろうが、今話題の紅麴などはまだ因果関係は不明なのに大々的に取り上げており、ワクチンとの取り扱いの違いは理解ができない。因果関係が疑われるのであれば、紅麴の件のように、いったん中止して原因追及すべきと報道するのが筋である。

以前、政治家とコラボするユーチューバーについて、後に批判されるようになるから、慎重な立場の専門家と別でコラボしてバランスを取るべきだと書いたことがあるが、今となって批判されているようである。彼らはお金を貰っていないとのことだが、被害者を生み出した要因の一つとしてこれからも言われ続けるし、その業を一生背負うことになるだろう。評価が定まっていない時点で、一部被害が報告されている時点で、偏った発信をしたことは責を問われるべきだろう。調査能力がない個人ではその善し悪しは分からないのであるから、手を出すには慎重であるべき事柄であり、扱うのであれば、両論併記を最低限すべきことである。

こういった訴訟はかなり時間が掛かる。
子供の頃に学校で習った水俣病問題も未だに裁判が続いている。国は基本的に責任を認めないし、司法は行政に従属しやすいので国の責任を認めない傾向にある。
結局のところ、責任問題をうやむやにして、被害者救済ということで和解金を払ってお終い、というのがありがりな解決手段であるが、今回は過去の公害や薬害問題とは規模が別次元であり、今後の人々の健康被害が進めばとんでもない事態になる。
薬害の可能性を分かった上で勧めた側は責任を回避するために金と権力を使うからどこまで明らかになるかは分からないし、これまでの報道機関の態度を見ると積極的には動かないだろう。直接的な因果関係の証明が難しいようであり、この点を突いて逃げ切るつもりだと思われる。

宗教的な観点になるが、他人に苦しみを与えた報いは必ず受けるものである。間違いは間違いとして認め、少しでも被害を受けた方々を救済すべく動かなければ、その業はとてつもなく深く重いものになる。目先の私利私欲に流される人は多いかもしれないが、それが自分のためにも、世界のためにもならないことを知らなければならない。