とつぜんの | 生きてる時も死ぬ時も笑顔でいたい いろいろないろ

生きてる時も死ぬ時も笑顔でいたい いろいろないろ

健やかで心地よい暮らしを提案するナースセラピストにゃおのブログです

ちょっとヘビィな内容なので、
スルーしてもらって大丈夫です。

自分自身の為に、いろいろ吐き出そうと思ってて、その中の一つの文章なので。



御嶽山噴火のニュース。。。
犠牲者の方のご冥福を祈るばかりです。
その他にも、ミュージシャンの方の死とかも。。。


事故、自然災害、自死など、
突然に別れなくてはいけない事態って
遺される方も辛いですよね。

仲間や大切な人を助けてあげることが出来なかった、とか、
自死であれば、苦しんでるのを気づいてあげることが出来なかった、とか、
そう、自分を責めてしまうことも多いかもしれません。

遺された自分が出来ること。。。
それは精一杯生き延びる事なのかな、と、思います。


私は小中学生の時はそれはそれは根が暗く、
自分は生きてても仕方ないとか、必要とされてないと感じ、
どうやって死のうかなんて事を考えている子どもでした。
実行にうつす勇気も無く、ただ悶々と、
他人からの承認欲求ばかりを求めて、でもそれを出す事が出来ず、
卑下して悲観的な考えをしていました。

友達とかといる時も、それなりに楽しいと思うものの、なんだか違うと感じていました。


そんな時に父の死が突然やってきました。
なんとなくここ数日の父の様子が変だなぁなんて感じつつ。
中学三年生の私には何も為す術も無く。
あれから随分と経ってから、父は多分、鬱病になってたんだろうと思います。
でもあの頃はそんな病気の存在はあまり知られてもいなかったし、
知っていたとしても助けてあげられるだけのものは私には無かったんだろうと思います。

病院のベットで人工心肺で動かされてる父の姿を見たとき、
父の顔は安らかで微笑んでました。
それを見て、あぁ、よかったな、と思いました。お父さんやっと楽になれたんやな、と。
酷いかな。

ただ、それ以来、
私は生きなくちゃダメなんだと思うようになりました。



父と過ごした年月よりも、
居なくなってからの年月の方が随分長くなってしまいました。


私が父の事を話しても泣かないでただ事実として話せるようになったのは、
父と過ごした時間と同じだけの歳月を経た28~9歳の頃です。

生きていた頃の父は仕事仕事で、そんなに語り合った事も無いのに。


肉体は無くなっても、魂というのか、その人の存在は自分の心の中でずっと行き続けています。




悲しい時は悲しい思いに想いに存分に浸って、もうそんなおもいに疲れたら、少しずつまた自分の人生を歩きだして欲しいなと思います。

遺されたみなさんが、
逝ってしまった人の分も、笑顔で楽しく過ごしてくれたらいいな。
それが1番の供養なんじゃないかなと思うのです。