Page 2 からの続き〜。
5月 2日
月明けの翌朝、
光の粒子が目の前を 何度も流れた。
20年近く前から 目にするようになって、
虹の羽と同じように、
高次の存在たちからの合図なのを
感じていたけど、
久しぶりに 肉眼で目にして、
その光も、さらにクリアに輝いていて、
あの時の「白光」と同じだったことに
気づいた。
6回訪れたペルーも そうだったように、
同じ場所でも、その時によって気づくことや、
見えてくるものが 変わってくる。
その土地の磁場 や スピリットたちと、
私たちのハートが共鳴して、
新しいフィールドを生み出しながら、
その時の状態によって、
瞬間・瞬間に 変化していくから。
今回の巨石フィールドは
白光と黄金だけでなく、
これまで隠れていた精霊たち・・・
お休みしていたスピリットたちも、
次々に姿を現して、
それも みんな微笑んでくれていて、
アフリカの「笑う動物リーズ」と
同じ感じに なっていたのでした〜。
3日&4日の「博多どんたく」も、
雨のジンクスから、
二日間とも見事に快晴だったのも 象徴的で、
天界も お祝いモード満載に。
5月 5日(昇龍の日)
黄金週間(昇龍ウイーク)の締めくくりとして、
今年も出てきたのは「天拝山」。
黄金週間&天拝山については、
こちらを参照。
前日の夕方、部屋の中に光が入ってきた。
この時期 夕日は見えないし、
入らないはずの光が こんな形で・・・
明け方、夢の中に、
父と一緒に 子供の頃に飼っていた犬が 出てきて、
そこに アイスクリームを抱えた
マサシが 帰ってきた。
それも 20リットルぐらいの
業務用サイズの大きさ。(うはは!)
グラスを出して 取り分けながら、
「今回は いつまで?」と聞いたら、
「今日を入れて、あと2日・・・」と
言ったところで 目が覚めた。
天拝山は、二人で数えきれないぐらい登っていて、
この日と同じ「子供の日(昇龍の日)も、
登っていたので、
「今日も一緒だから・・・」と 言いたかったみたい。
> 新月と重なった日。
天気も良かったので、ガルーダちゃんでGOー!
引っ越した後は、いつも電車だったので、
この道を走るのも 久しぶり。
1時間ほどで 到着して、
入り口ゲートの「椿花山 武蔵寺」から。
睡蓮が咲く 心字池に、
御神木の龍神(女神)
いつも会うのを楽しみにしていた
樹齢700年以上の「長者の藤」さんは
例年より早く咲いていて、新芽でいっぱいに。
> 「よどひめ神社」で満開の藤を目にしたとき、
この「長者の藤」さんが浮かんで、
一緒に挨拶してくれたのを 感じていたのでした。
> 七色の藤のトンネル「河内藤園」より
大黒天さまも 再び小槌ふりふり。
境内を出ようとしたら、
カップルのアゲハ蝶が ヒラヒラ。
初めて登ったときから現れていて、
あるとき、アマテラスさまのお使いだったことも。
太陽神の大日如来さまの周囲も、
この日は 白光に・・・
入山前のお清めの場所「紫藤の滝」
その昔、この滝の前で、
HWを注ぎながら 祈っていたときには、
黒に白の紋様が入ったアゲハ蝶 が現れて、
その水を飲んでいたことがあったり、
道真公の手彫りの像が納められている、
御自作天満宮では、
天神さま(道真公)の生まれ変わりという方と繋がって、
呼んで頂いたお屋敷で、
貴重なものを拝見させて頂いたことも。
> 「陰陽和合の日」に。
その道真公を 天拝山まで導いた「白瀧大明神」
白瀧=白龍
とてもパワフルな神様で、
この日も こんな感じになっていて・・・
白光に包まれた 虹のシャワー
登山道を見下ろすと すでに準備万端状態。
> ここで文字数 「1400」
「天神さまの径」 今日も行ってみよう〜!
> 気づいたら、ピッタリ「10:10」
天のお時間に。^^
白光を送りながら、一歩ずつ・・・
光が フィールドの中で揺らめき、
精霊たちとハーモニーを 奏でながら、
白光を 共同創造していく。
8合目に差し掛かったところで、
あることを 思い出した。
新月のワークショップを兼ねて 数人で登っていたとき、
ここで急に体調が変わり、
ホワイトゴールドの光で覆われて、
目の前が見えなくなるぐらいに、
周囲全体が 光り輝いて、
そのまま ペルーレポートと
リンクしていたこともあった。
それも今なら 多次元のポータルに入って、
フィールドで 融合していたことがわかります・・・
> ポータルも、波動が同調した瞬間に
開かれます。
「山は神仏のいる場所であり、人がいって征服する場所ではない。したがって、元気いっぱいに体力をつけて山に入るのではなく、むしろ体力を落としていくのだ。」
昔の修験者は、木の実などしか食べずに登山をした。殺生をせず(動物性を食べない)、見も心も清浄なまま山に入った。徹夜で行をして眠らず山に入るというのも普通のことだったという。
なぜそんなことをするかというと、身体も心も弱らせると、自我の心も弱って、神仏を感じる力が増してくる。
大自然の前で、自己を可能なかぎり謙虚に保とうと努力するのである。・・・・
大自然の中では、自分は限りなく小さなものである。大自然の中の一分子としての自分を知り、その小さな自分の小さな心の悩みが煩悩と呼ばれるものだと感じる。
悩みも欲望もほんの目先の小さなことから生じるのであるが、大自然の中に入って苦しい息で登山をすると、自分が広大無辺な大宇宙の一端に位置すると感じることができる。
この宇宙を支配しているのと同じ真理が、自分の中にも流れている。
つまり、山に登ると、自分を広大無辺な大宇宙の中に解き放つことができるのである。そこまで感じられれば、自分の心を素直な気持ちで見つめ直すことができる。目先の悩みや欲望など、ほんの小さな取るに足りないものと感じることができる。・・
その時間が「11:11」になっていて、
頂上に着いたときには、巨大な白龍が、
這うように現れていたことも。(2006年)
白瀧(白龍)大明神のことを知ったのは、
そのあと・・・
同じ場所で「白光」の光に 統合していたら、
今回も こんな感じになっていて ・・・
祈りの場所だった 9合目も・・・
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