眼精疲労ケアアイクリーク代表の加藤真理です。
前半3日間のレベル1のテーマは、「慈悲の瞑想」。
3日間かけて、「慈悲と育む」ための講義と瞑想を行いました。
慈悲を育むために必要なことは、『愛』と『智慧』。
『愛』は、親しい人に対してだけでなく、
それほど親しくない人、あるいは知らない人、
さらに嫌いな人や苦手な人にも向けるようにします。
特に、嫌いな人や苦手な人からは、
多くのことを学ばせてもらっていることに感謝して、
より一層の愛を向けます。
なかなかできないことですが、なるほどです。
『智慧』に関しては、あまりに難しく、
正直、きちんと理解できませんでした。
皆さんも混乱していて、ずいぶん質問も出ましたが、
やはり難しい…。
現実に起こっている現象は、
全てが夢のようなもの、幻想のようなものであるということ。
これは量子力学的にも認められていることであり、
確かに量子力学的にいえば、人間も原子の集合体にすぎません。
人間は、言語によって現象を現実化しているにすぎず、
全てが幻想ととらえれば、
怒りや悲しみ、苦しみをはじめとした様々な感情もコントロールでき、
世間八法にとらわれず、執着を手離せるというのです。
世間八法とは、
快楽と苦痛、賞賛と非難、名誉と不名誉、利得と損失です。
まさしく『エゴ』のことですね。
『慈悲』と『エゴ』は、シーソーに乗っているのようなもので、
片方が大きくなるともう片方が減ってしまう、相反する関係です。
以前、『エゴ』について書きましたが、
いまだに自分の中で『エゴ』をなくすことができず、
ずっと模索していました。
この『智慧』の概念は、たいへん難しいものの、
自分の中に、何か一筋の光が差し込まれたように感じました。
素晴らしい考え方をいろいろ学ぶたびに、
ほんとうに心から感動します。
ところが情けないことに、
現実の生活の中では、なかなかきちんと実践できません。
でも、実践できないなりに、
イライラしたり、カッとなった時に、
深呼吸して気持ちを静めるのに役立ちます。
と同時に、『エゴ』を手離せない自分を自覚させられ、
毎度かなりへこみます。
でも、自分の内面を見つめるという点では、
うまくいかないという自覚こそが、ささやかな第一歩。
ネガティブな感情をポジティブに変えることこそ、
感情の衛生化につながります。
まだまだ人生の修行は続きますね。
前半3日間のレベル1のテーマは、「慈悲の瞑想」。
3日間かけて、「慈悲と育む」ための講義と瞑想を行いました。
慈悲を育むために必要なことは、『愛』と『智慧』。
『愛』は、親しい人に対してだけでなく、
それほど親しくない人、あるいは知らない人、
さらに嫌いな人や苦手な人にも向けるようにします。
特に、嫌いな人や苦手な人からは、
多くのことを学ばせてもらっていることに感謝して、
より一層の愛を向けます。
なかなかできないことですが、なるほどです。
『智慧』に関しては、あまりに難しく、
正直、きちんと理解できませんでした。
皆さんも混乱していて、ずいぶん質問も出ましたが、
やはり難しい…。
現実に起こっている現象は、
全てが夢のようなもの、幻想のようなものであるということ。
これは量子力学的にも認められていることであり、
確かに量子力学的にいえば、人間も原子の集合体にすぎません。
人間は、言語によって現象を現実化しているにすぎず、
全てが幻想ととらえれば、
怒りや悲しみ、苦しみをはじめとした様々な感情もコントロールでき、
世間八法にとらわれず、執着を手離せるというのです。
世間八法とは、
快楽と苦痛、賞賛と非難、名誉と不名誉、利得と損失です。
まさしく『エゴ』のことですね。
『慈悲』と『エゴ』は、シーソーに乗っているのようなもので、
片方が大きくなるともう片方が減ってしまう、相反する関係です。
以前、『エゴ』について書きましたが、
いまだに自分の中で『エゴ』をなくすことができず、
ずっと模索していました。
この『智慧』の概念は、たいへん難しいものの、
自分の中に、何か一筋の光が差し込まれたように感じました。
素晴らしい考え方をいろいろ学ぶたびに、
ほんとうに心から感動します。
ところが情けないことに、
現実の生活の中では、なかなかきちんと実践できません。
でも、実践できないなりに、
イライラしたり、カッとなった時に、
深呼吸して気持ちを静めるのに役立ちます。
と同時に、『エゴ』を手離せない自分を自覚させられ、
毎度かなりへこみます。
でも、自分の内面を見つめるという点では、
うまくいかないという自覚こそが、ささやかな第一歩。
ネガティブな感情をポジティブに変えることこそ、
感情の衛生化につながります。
まだまだ人生の修行は続きますね。