先生にお願いして
病院の選択に少しだけ時間をもらい…
自宅アパートから
車で約30分の隣町に住む私の母に
Ryoの現況と
Kanを期間未定で
預かって欲しいことを電話で話し
知人にKanを実家まで
送ってもらいました
次に…ダチョウ先生に電話をして
学校はしばらくお休みする旨と
Kanの担任の先生に伝言を
お願いしました
ダチョウ先生は
しきりに…
Ryoの様子を心配していました
病院の選択に…と
もらった時間も…
電話連絡に使ってしまい…
結局考える時間もなく…
迷いに迷った結果…
病院は…市立病院と連携の取りやすい
長い名前の…
K………センターに決めました
すぐにKセンターへ連絡がされ
RyoはKセンターのICUの
受け入れが整い次第
救急車で搬送されることになりました
Kセンターに行ったら
もう戻れないことを思い
10分だけ時間をお願いして…
自宅アパートへ
仕事帰りの制服の着替えと
一週間は過ごせるだけの宿泊荷物を
思い付くままバッグに詰め込みました
荷造りに10分どころか
30分近く所要し…
市立病院へ戻った時には
救急車と救急車に乗せられたRyoが
私の到着を待っていました
これから治療を受ける病院の選択が…
あれこれしながらの…しかも短時間で…
Ryoの腫瘍の正体もわからない不安…
一歩目の決断への不安も更に増え…
震える足取りで…救急車に乗り込みました
後で知った話ですが…
ダチョウ先生は私の電話を受けてから
心配で…いてもたってもいられなく…
市立病院へ駆け付け
外でずっと…
救急車が見えなくなるその時まで…
Ryoの無事を祈り
見送ってくれたそうです
Ryoも私も知らない
ダチョウ先生の『祈り』と『見守り』の
パワーは
これから…深く暗い海の底まで
沈んでいく私たちに…
いつも、どんな時も、どこにいても、
『光』を照らしてくれたのでした
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