大丸ミュージアムのパウル・クレー展へ、行きました。

パウル・クレーといえば、素描と色彩の天才。色彩に興味のある人にとって、はずせない存在です。

私の手元に1993年の展覧会の分厚い図録があります。

このたびは、スイスの首都ベルンにパウル・クレー・センターが開館したことを記念しての展覧会でした。

センターの設計は、イタリア人建築家レンツォ・ピアノによるもので、広大な敷地の庭園の中央に、3つの山並みを描いたカーブの屋根が特徴的な建物。写真と映像をみると、硬い素材を用いながら、リズミカルな柔らかな曲線が、無機質な色を牧歌的なベルンの景観に溶け込ませていました。

さて、パウル・クレーの作品を見ていると、瞬時に一番肝心なものだけを見抜く力がおそろしく強いのだな、と思います。

素描にみられる最短シンプルな表現に加え、チュニジアから多くの異国文化の影響を受けた頃の作品も色彩の楽しさを味わえます。

一番新鮮に嬉しかったのは、ドイツの有名な芸術学校バウハウスの教授に就任する時の認可書?が展示されていたこと。

そこには、カンディンスキーやイッテンのサインがあるではありませんか!!

あぁ、バウハウスのなんと贅沢な教師陣。

しかし、なるほど・・と思ったのは、

そのとなりに、クレーに宛てた学校からの手紙に、クレーと音信不通なのを憂いていることが書かれており、

それと同時期にクレーから返信した手紙には、制作と教授の両立がいかに困難であるかが書かれていました。

もちろん、学生に対して自分の教えが段々浸透してきて、レベルアップして嬉しいことも。

たしかに、学校で教鞭をとるとなると、年間のカリキュラムを予定通りに消化しなくてはならないことや、学生の理解度による悩みなど、制作に没頭できない側面は否めません。

学校からの手紙に「他の教授陣も長い休みをとっているため、このままではカリキュラムの昇華は困難。いざ開始したときの欠席学生への指導も反発の種になる云々・・・」とありました。

このような手書きの手紙は、作品だけでは分からない、生身の生活感が感じられ、天才画家をもっと身近に感じられるものでした。