父その後 | Y.Y.STUDIO

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irikoとKOTA&YUZU&SEINA&AMANEのわいわい日記

PET検査の結果、父の肺癌は、背骨に2箇所、腰、大腿骨、腕にも転移してて、ステージ4でした。


4月11日の時点では、抗がん剤治療をすれば、お誕生日(11/9)は迎えられるでしょう、とのことでした。


でもこの時点で、右の肺は水が溜まり、左側の肺は気胸で穴が空いたりして、水を抜いたり(3ℓも溜まっていて、1日に1ℓ抜いた)気胸の手術をしたり大騒動。明日から抗がん剤治療です、と言われても、また気胸で苦しんで、治療が延期して…の繰り返しショボーン


GW、じいじに会いに行こう、と思っていたけれど、こうた・柚は部活の試合だらけ、星那・天音は、バレエのリハーサルだらけで、一泊でしか帰省できなく…。しかも子供たちは、病院では面会できないので、浜松にちびズを置いて、私とのぶだけで会いに行くことしかできませんでした。


その時は、孫たちに一言ずつ「君たちが大学生になるまで頑張って生きるからね」ってメッセージ送ってくれてたり。

大好きな漫画を読んでたし、病院の食事も食べれてたんだけど。


しばらくは、自分で食事の写真を家族のグループLINEに送って「完食したよ」っていうメッセージを送ってくれてたんだけど…


そのうちに、あんまり食べられなくなってきて、気胸を繰り返す度苦しがって…もう気胸の手術ができないほどに肺はボロボロ。


1週間後の5/12頃は、何を言っているかはっきりわからなかったり、皮下気腫(漏れた空気が皮膚の下に溜まっている)で、身体中が膨らんだようなブヨブヨした状態になっていたり…


夢の中で、亡くなったおばあちゃんが迎えに来たから、ベッドを水平にして、枕を北にしなきゃいけない、とか言っていたらしい。


それを聞いて慌てて、横浜からお見舞いに行っていた妹は、お墓参りをして、おばあちゃんに「まだ迎えに来ないで」と頼んだそうです。


そんな中、お医者様から抗がん剤治療は、もう無理です、後は病院で過ごすか、ホスピスに行くか自宅で過ごすか、家族で決めてください、と。


家族全員一致で、自宅で過ごすことになりました。


続く