ちょっと今日も語ります。
夜中に書いた記事はこちら→今日は語ります。語ってます。



よく人間関係の悩みの解決策で。。


"あの人は可哀想な人だと思えばいいのよ"

みたいな気持ちの持っていき方があるけれど、
私はその

"可哀想な人"

っていうのがどういう人を指すのか、イマイチわからないまま大人になった。

そもそも可哀想な人なんてこの世にいないよね。

と、思っていた。


でも昨日自分の本音に気付いた時に、思いっきり自分は旦那さんを"可哀想な人"とか"仕方ない人"って視点で見てたことに気がついて、

めちゃくちゃ失礼なことをしてたのかもと思った。

結婚前にストーカー気味だった時も、出産祝いをこそこそ盗んでいた時も、浮気相手の女と私に挟まれてうつむいていた時も、ギャンブル依存症だとわかった時も、喧嘩の後に私を笑わせようとしてる時も、日常の中で好き好き言ってくる時も、いつも大前提で"可哀想な人"だと思ってた。


それと同時にあることないことどころか、ないことないことを周りに吹聴したり、誰も旦那を責めていないのに本人が"あの人が怖い"とか"悪く言われている"と思い込んでいるから、

始めから話が通じない統合失調症ぽいこのパターン、私は物心つく前から母親とやってたわーと思って。

まさかの旦那といて感じる恐怖心は、自分を捨てた母親とのやりとりそのものの繰り返しだった。

さらには私はその母親のことを幼い頃から"可哀想な人"とか"仕方ない人"って思ってたことに気がつき、

子供ながらに母親の不倫の恋愛話を聞いてあげたり、不倫相手との旅行のカモフラージュ役にもなってあげてたなぁってなんてことを思い出して。。

怖ーーーーっゲッソリ

と、思いました。

自分に湧き起こる感情を深掘りしてくと、次から次へと答え合わせが起こって面白い。

けど、人生の中で3分の1も一緒に過ごしていない母親との関係がここまで人生に影響してるとは。

ほんと驚きゲッソリ
(私もうアラフォーですよ)


そしてこれって私の人生に何度となく現れるパターンだった。

・小学生の頃の女子のいざこざに巻き込まれた時
・中学生の頃先輩に呼び出された時(時代を感じるw)
・父が転んで怪我をして病院へ行った時
・旦那が浮気相手に話してた内容を知った時
・浮気相手の弁護士から初めて電話がかかってきた時
・旦那のことで子供達と警察署に呼ばれた時

等々。。

事実じゃないことで一旦、悪者扱いされるやつゲローゲー
(結果的にわかっては貰えるけれど)

あれね、本当に怖いんですよ。

全く予想もしなかったことを、ある日突然突きつけられるから。

はぁ??ムキーってなると同時にどこをどうしたらそんな捏造出来るんだろう!?と素直に驚きます。

これは私特有の感情なのかも知れないけれど、全く身に覚えのないことを言われると、ゾワーーッと生存本能を脅かされるような恐怖感が湧きます。

それでも私には人を疑う機能が搭載されていないし、そもそも疑うことに興味がないし、そんな自分ならではの良かったことも沢山あるから変える必要はないと思うけれど、

人のことを信じすぎてそのまま受け止めるだけではなくて、一つ一つの出来事を吟味する必要はあるんだなと思った。

でもね、今まで人のことは素直に疑いなく信じられるのに、自分のことを信じる気持ちは皆無だったように思う。

そもそも"自分を信じる"って何だろう?くらいのレベル。

でも人を素直に信じていたように、そのまま自分も信じてみたらいいのかも!!と答えが出た。

これからはその良いところを生かして、自分を1番に信じてあげることに使おうと思って♡

基本的に人が好きなのもあって、今までの人生長いこと外に外に意識が向いていたからね。

誰もが簡単に出来そうなことでも、私にとっては新たな挑戦♡

最近、小さな一歩とか小さな夢とか、そういうコツコツしたことが心地良くて楽しい。

そして私が離婚を考えた時にずーっとなんか違うって感じていた違和感も、

もう怖い!離婚したい!ってなるほどの恐怖感の種も、

信じる気持ちの使い方も見つかって、また大きな答えが1つ出た気がして。。

妙にスッキリデレデレ


それに母親に対しても、旦那さんに対しても勝手に"可哀想な人"とか"仕方ない人"って思ってたなんて、本当に失礼な話だよね。

ほんと何様笑い泣きって話よ。

反省しまーす。