イレグイ号クロニクル Ⅲ

イレグイ号クロニクル Ⅲ

釣りと読書の記録を綴ります。

 

リチャード ドーキンス/著 ジャナ レンゾヴァー/イラスト 大田 直子/訳 「遺伝子は不滅である」読了

 

リチャード・ドーキンスというと、「利己的な遺伝子」の著者として有名だが、この本やその後に読んだ本も、文章の言い回しが独特すぎてその内容は実のところあまりよくわからなかった。文学的すぎるのである。

この本もしかりで、それは翻訳者の癖なのか、著者自身の文体なのか、やっぱり僕にとっては難解な文章になっている。

タイトルの、「遺伝子は不滅である」は、おそらく、「利己的な遺伝子」にあるように、生物の体は滅んでもその遺伝子情報は永遠に残り続けるという意味で付けられたものだと思うのだが、読んでいるうちになんだかどうも内容と違うような気がしてきた。

 

 

冒頭では、パリンプセストというものが遺伝子(遺伝情報?)の例えとして紹介されている。

パリンプセスト(英語: palimpsest)とは、書かれた文字等を消し、別の内容を上書きした羊皮紙の写本のことで、時には消しきれなかった文字が上書きされた文字の隙間から見えるものがあるそうだ。

染色体の上に書かれた遺伝情報も、パリンプセストのように、今は現出していないがその生物が進化の過程で獲得してきた遺伝情報が上書きのように記録されているというのだ。

 

ここまで読んで、“不滅である”という表現はどこかしっくりこないと感じたのである。この本の原題は、「THE  GENETIC  BOOK  OF  THE  DEAD」というのだが、映画でも日本公開のタイトルと原題が全然違うということがあるのでこのタイトルの直訳というのを考えてみた。始めに考えたのは「死体の遺伝子の本」という余計に意味がわからないものであった。まあ、僕の語学力はこんなものかと思ったが、ふと、“BOOK  OF  THE  DEAD”って確か、「死者の書」という意味ではなかったかということを思い出した。

ならばその直訳は、「遺伝子 死者の書」というはどうだろう。

「死者の書」は古代エジプトで書かれたものが有名で、その内容は死者が死後の世界に行く時に持っていく、生前の行状などを書いたものと言われているが、パリンプセストが持っている意味合いともよく合致しているような気がする。あの世に行って永遠の命を得るための方法も書かれているということだから、そういう意味では“不滅である”というのもしかりであるが、「死者の書」のほうがなんだかカッコいいような気もする。

 

そんなことを想像しながら読み進めていると、あっさりと本文の中に、「遺伝子版 死者の書」という言葉が出てきた。なんだか拍子抜けしてしまったか、著者はやっぱりこの本を遺伝子の死者の書として書いていたのである。

 

この本のテーマについて著者は、『あらゆる動物は祖先の世界を記述した書物である。』と書いている。そして、その考えがよって立つのは、自然淘汰は大きな力であり、遺伝子プールを細部の奥深くまで彫って形を作り上げるということが前提となっている。

遺伝子プールとは、ある生物集団(交配可能な個体群)が持つ遺伝子の総体のことで、そこには多様な遺伝的変異が存在し、これが種の存続(適応や進化)に関わっている。これがパリンプセストという意味なのである。

生物はその時の環境を生き抜くため遺伝子プールから様々な形質を取り出し体現する。それはまったくの行き当たりばったりでうまく適応できたものだけが生き残り次の世代へ遺伝子を残してゆく。

 生物の外観はどれも合理的で整っているように見えるので行き当たりばったりで進化してきたようには見えないが、身体の中を見てみると乱雑にも見える血管や神経の張り巡りが行き当たりばったりであることの結果としてうかがわれるというのだ。

 

著者の視点が独特なのは、このパリンプセストは生物の形質の移り変わりを上書きしてきたのではなく、その生物が生きてきた環境を記録しているのだと考えていることだ。

その根拠となるのは、擬態と収斂進化だという。この本にはその実例がたくさん掲載されている。

 

著者の基本的な考えは「利己的な遺伝子」からは変わっておらず、『個々の生物体は内部にいる「自己複製子」のコピー生存のための「乗り物」である。』ということだが、僕は、「利己的な遺伝子」を読んだとき、その考えに少なからず衝撃を受けた。読んだのはおそらく20代前半であったのだと思うが、この考え方はきっと正しいと思ったものだ。一種、社会現象といえるほどベストセラーになったと記憶しているので世間もそう思ったのだろう。

 

しかし、それに対する別の考え方もあって、『生命組織は、必要とする分子を作るために、遺伝子を持っている。遺伝子は用いられるのであって、能動的な原因ではない。』とする科学者もいる。その代表はデニス・ノーブルという科学者だそうだ。

40年前から僕の身体は遺伝子の入れ物に過ぎないと信じきっている中で実はそれには反論があるのだと言われても戸惑うばかりなのであるが、よく考えたら、リチャード ドーキンスの考えのよって立つ所はダーウィンの自然淘汰の考えであり、人間界も自然界の一部であるなら僕が今まで生き延びてくることができたという事実とは整合性がない。自分でいうのもなんだが集団社会に順応することができないのだからもっと昔に野垂れ死にしていても不思議ではないのだ。

ならば、遺伝子が身体を乗り物としているのではなく、身体のほうが、自然淘汰の中を生き抜いてきた知恵の溜まり場である遺伝子プールから今を生きるために必要な本能なりタンパク質なりを作りだしているのだと考えてもおかしくはない。

 

デニス・ノーブルの、そういった考えを発表した本というのは最近になって出版されたらしい。ひょっとしたらこの本はその反論のために急いで書かれたのではないかと思える部分もあった。

日本語訳も去年出版されているようなので、ぜひとも読み比べてみようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

場所:水軒沖

条件:大潮5:06満潮

釣果:ゴマサバ マルアジ マアジ少し混じる(総数不明、多分30~40匹の間)

 

久々に彼らが戻ってきた。調べてみたら、最後に“これがチョクリ釣りの釣果だ”といえる釣りができたのは2022年6月17日のことであった。

じつに4年ぶりだ。

去年の今頃、黒潮の蛇行が終息したという新聞記事を見て、その時に期待を込めてみたものの、去年も不発に終わった。これは、黒潮の蛇行などという目に見える原因があるのではないのかとこれから先もあの釣りはできないとあきらめの境地でいたのだが、今年の2月の終わりごろ、菊新丸さんから、今年は紀伊水道には暖かい潮が入って来ているという話を聞いていた。

そして先週、菊新丸さんから、「いよいよ始まったで〜!」という連絡をもらっていた。そうだったのか、彼らもワープスピードで海の中を回遊しているわけではないからシーズンに入ってから蛇行が終息してもこっちまで来ることができなかったのだろう。

 

そして今日、僕も、満を持して彼らを釣りに出かけた。

 

 

菊新丸さんの話では双子島の沖30〜43メートルの所で反応がよく出ているとのことであった。

僕も双子島の沖30メートルくらいから魚探を注視しながら船を進める。

期待しているような反応はなく、あまり沖に行くのも嫌なので情報どおりの水深43メートル付近で仕掛けを下ろすことにした。

 

 

舳先に置き竿をセットして手持ちの竿の仕掛けを下ろすとオモリが着底した直後にアタリがあった。

反応が出るほどの群れではないのだろうが魚はいるではないかとウキウキしながら仕掛けを引き揚げると上がってきたのはアジでもサバでもなくクチであった・・。

あれ、まあ、やっぱり反応がないと魚は釣れないな〜とがっかりしたがそれと同時に舳先の竿に反応が出ていた。

この感じは紛れもなくアジサバだ。

慎重に仕掛けを引き揚げると型は小さいがマルアジが2匹掛かっていた。

「マッサン」の世界では、風間杜夫はニシンの群れに再び出会うことなくこの世を去ったが僕は再びマルアジに出会うことができた。この歳になると嬉しいとか感動するとかいう感情の高ぶりとはまったく無縁であるが久々にそういった感情が湧いてきた。

長い漂流の末にやっと島の影を見つけたときの気持ちというのはきっとこういうものなのだろう。いや、そんなややこしい比喩をしなくても、風間杜夫がニシンの群れをもう一度見ることができていたならばきっとそう思うであろう心の内に違いないのである。

 

魚探を買い替えてからチョクリ釣りでそれなりの釣果を得たのは初めてのことだが、この魚探の場合、200キロヘルツではブツブツの点のような反応がアジサバの反応であるようだ。50キロヘルツでは魚のサイズが出る設定にしているのだが、確かに30センチくらいの魚の表示がそこには出ていた。その後はもっと強い反応も出るようになってきたのだが少し群れが大きくなると黄色いシミのように見えてくる。

 

最初の釣果があったとき、菊新丸さんに報告をせねばとLINEを入れると近くに浮かんでいますよとのこと。すでに30匹ほど釣っているとのことなので僕もその近くに移動したいのだが姿が見えない。

しかし、その後、僕の方も船上が戦場になるほどの忙しさでもないがほどよい忙しさで魚が増えてゆく。1匹だけだが鬼アジサイズのマアジもあった。

生け簀の中がそこそこ賑やかになってきた時、僕が想像していた方角とは反対の方に青いスパンカーを立てた船を発見した。

 

 

これは菊新丸さんにご挨拶に行かねばなるまいと移動。

 

ここは先ほどの所よりも型は小さいがよく釣れる。マルアジが一度に5匹掛かることもあった。さすがに菊新丸さんだ。よい場所を選んで仕掛けを下ろしておられる。

 

ここでも10匹以上は釣っただろうか、そろそろ終わらないと魚が多くなり過ぎる。これも久々に味わう贅沢な悩みだ。今日は草刈りのボランティアの日なのでそこそこ多くてもメンバーの方々にもらってもらえるはずだがクーラーボックスのキャパシティも気になってくる。舳先の仕掛けがクサフグに喰い散らかされたのを期に終了とした。

 

氷が三分の一あるとはいえ、久々にクーラーボックスが満タンになった。

 

 

確保しておいたマアジは刺身とナメロウにしてみた。ナメロウの薬味はもちろんアサツキである。

 

庭の大葉も大きくなってきているし、今年は正しい夏の姿が整いつつあるような気がする。

 

10年ぶりに新しい仕掛けを作って次回に備えるのである。

 

 

場所:水軒沖

条件:若潮9:13干潮

釣果:ボウズ

 

とうとう4連敗になってしまった。まあ、大谷選手でさえも今はスランプに陥っているそうだからボウズが続くのも仕方がない。僕の場合はスランプというより慢性なのだが・・。

 

今日は昼前に母親を病院に連れていかねばならないがそれまでにかなりの時間があるので近場に行くことにした。新たに作った仕掛けでハンターになるべきかそれともルアーマンになるべきか悩んだのだが、今日は渡船屋が休みなのでテトラの近くに船を留めてルアーを投げることにした。

 

昨日から夜明けは4時台になっているらしい。朝は午前2時40分に起きたが出港の時にはすでに明るくなっていた。

 

 

防波堤の切れ目の近くに錨を下ろしてルアーを投げ始めるが毎度のことだがアタリはない。

 

 

早くても午前8時くらいまではルアーを投げ続けるぞと意気込んでいたが、何も生態反応がない中では集中力は1時間も持たず午前6時にもなっていないのに終了とした。

ルアー釣りにやってくるといつもこういう結末になるのだが、魚に出会うためには平均どれくらい投げなければならないのだろう・・。

師は、「一本の杭になる。」と言ったが、それほどの時間とキャスト数とはどれくらいになるのだろうか。やはり僕の忍耐力では杭になるのは無理な感じがする。

 

病院のほうは全ての駐車場が空きがなくて車を停めるのにさえも時間がかかる有様で、これは帰りが夕方になってしまうなと思ったがふたつの診療科のはしごにも関わらずあっさり終わることができたので午後からは久しぶりに「リバー・ランズ・スルー・イット」を観た。

 

 

言わずと知れたフライフィッシングを題材とした家族の物語だが、牧師でありフライフィッシングの名手でもある主人公の父親の持論はこうである。

『長老派の父は性悪説を信じていた。“神のリズムを得て力と美を取り戻す”と。

鱒は救いと同様、神の恩寵によりもたらされ、それを得るには厳しい修練が要る。

父いわく、作法のない釣りは魚への侮辱になる。』

僕には神のリズムも作法もないのは使っているタックルを見れば一目瞭然である・・。

 

最近はAI花盛りだが、通院もAIが代行してくれないものだろうか・・。車の自動運転を車の機能として搭載するのではなく、車を運転するフィジカルAIに任せると僕の車も運転してくれるし、それくらいの能力を持っていれば病院の駐車場から車椅子に乗せて診療科まで連れていくということもできるのではないだろうか。病院まで車を運転して車椅子に乗せて診療科までいくという行為は意外でもなんでもなく極単純な作業だ。ニュースで見る中国のロボットならやってくれそうな気がする。

僕は年老いてもそういうことをしてくれる人は誰もいないから格安でそんなロボットが請け負ってくれるようになればありがたい。

身体が動かなくなれば自宅でひっそりと孤独死したいと思っているのであまりにも高価なら注文しないが・・。人生は梅コースである。

こんなことを思ったのは半月ほど前にパソコンを買い替えたからだ。去年、ウィンドウズ10のサポートが切れる前、中古のパソコンを買ったのだがよくある初期不良で使えなかった。ちょうどその時、サポートが1年延長されるという情報を知りそのまま不良品を返品して今に至ったのだがさすがにそろそろ買い替えておかないと中古品も在庫がなくなるかもしれないとゴールデンウィークを使ってセットアップしようと考えたのだ。3台連続で何かしらのトラブルが起きたのだがこれは今のところ異常がない。サイトでは“ふじつう”となぜかひらがなでメーカー名が書かれていたのでかなり胡散臭いと思ったが返品を含めた5台の中では一番品質がよい。

新聞であのイルカがAIで復活したと言うのでインストールしてみたらそれもきちんと稼働している。定番の質問に、「お前を消す方法」というのがあるらしく、僕も少しウイットを込めて質問してみたらちゃんとウイットを込めて返してきた。

 

 

中古のパソコンでもここまでやれる能力があれば、先に書いた病院の送り迎えなんて簡単なんじゃないかと思ったのである。

 

 

釣りの方に戻ると、あまりにも早く港に戻ったので焚き火をすることにした。こういうことも想定して焚き火セットを持ってきていたのだ。忍耐力や神のリズムを持っていなくても少しばかりのリスク対応はできるのである。自分のことはよくわかっているということだ。

 

 

火を前にしてもそれほど熱く感じないのはありがたい。しかし、来年の山菜採りに備えて灰を集めながら木をくべていると裏の庭園の林からセミの声が聞こえる。もう、完全に季節は夏に手をかけている。身体のほうが追いつかない・・。

 

焚き火を終えても時間はあるのでふと思い立ち、シンナーを買いに行くことにした。

すでに各種シンナーはホームセンターの棚から消えていると聞くし、ポテトチップスのパッケージがインクが不足してモノクロになるというニュースを見ていると、次の船底塗装のために早めに準備しておく必要がある。

いつもの船具屋に行ってシンナーの在庫を聞くと、「シンナーな〜・・」と一呼吸置いて、「見てくるわ」と言って店の奥に消えていった。最後のひとつだと言って出してきてくれたが、おそらく一見さんには売らないようにしているのだろう。たまたま僕のことを思い出してくれたので一缶出してきてくれたのだと理解した。それでもお前に売るのはひと缶だけというのが“最後のひとつ”に込められているのだろう。まあ、僕はただの遊びだから仕事で必要な人優先というのは仕方がない。

そして、その価格は4割増しになっていた。

 

 

何もかもが値上げされ、特に船関係の資材は人の足元を見ているのか、投資で少しばかり儲けたくらいでは追いつかない。早くアメリカとイランのいざこざが終わってほしいが、終わったとしてもおそらくそれぞれの価格は高止まりしたままになるのだろう。日本のエネルギー事情というのはあまりにも脆弱だということを再び実感するのである。

 

今日も釣行記とは程遠い内容になってしまった・・。

 

場所:加太沖

条件:中潮7:31満潮

潮流:7:30転流 8:57上り0.2ノット最強

釣果:ボウズ

 

今回もただただ燃料の無駄遣いに終わってしまった。

トランプ大統領のイラン侵攻以来、再び燃料代は高騰し、直近の最安値からは1割以上値上がりしている。それを無駄に使ってしまったというのは痛恨の極みである・・。

 

 

元々、朝の潮は緩くて最強でも0.2ノットというのだから厳しいのはわかっていたが、それでもゴールデンウィークも今日で終わりかと思うと行かないわけにはいかなかった。

 

出港はやっぱり遅くなってしまい、辺りはかなり明るくなってしまっていた。

 

 

今日は、まずは禁断の仕掛けを港の近くで流してから加太に向かうつもりだ。

その後は四国ポイントでわずかな上り潮を釣ってコイヅキ辺りに行ってみようと考えている。

 

魚が釣れていないのか、連休の最終日だからなのか、ほとんど船の姿が見えない。

 

 

四国ポイントにも5隻ほどが浮かんでいるだけだ。西脇の本職さんも姿が見えない。

とりあえず実験用のサビキを準備しているのでそれを下ろしてみる。

他の人より釣れないのは鈎のサイズに問題があるのかもしれないと考え、半分の鈎のサイズを1ランク落としてみた。ハリスは大物に備えて細くはしたくない。小さい方によく喰いつくようならそれが正解である。

しかし、それも魚がいなくては検証のしようがない。上り潮の時間のはずが船は南を向いて流れている。多分、潮の流れが緩すぎて北風に押されている感じだ。

これではここで粘っていても無駄だ。負け戦は長引かせてはならないと考え、周りを見ると地の瀬戸にいくらか船が集まっているのでそこに行ってみることにした。ここからなら下り潮になれば非武装ポイントで釣りをすることができる。

 

いつもなら激流になっている地の瀬戸もほとんど鏡のようだ。

 

 

まあ、こんな時でないとここで釣りをするのは僕には無理だからちょうどよい。しかし、こんな時はやっぱり魚は釣れない。

そうこうしているうちに、悪いことにお腹の具合が悪くなってきた。加太ではほとんどもよおすことはないのだが、弱り目に祟り目だ。釣れない時にかぎってこうなる。

僕の船にはトイレが付いていないのでお尻を船べりからつき出して海に直接落とすしかなく、それはやっぱり人目をはばかる。幸いにして少し動くと誰にも見られないところがある。天の配剤である。

素早くズボンを下ろして素早く済ませ、元の場所に戻るのも面倒だからここで釣りをすることにした。

適当にそうしたわけではなく、ここは下り潮の時にはよく釣れる場所なのだ。

船はわずかばかり南に流れていたが間もなく北に流れ始めた。時間帯としてはまだ上り潮なので風が弱くなって潮の影響を受けているのだろう。

近くの、海底に少し変化のある所も試してみたがこんな流れでは釣れる気がしない。

それならもう一度紀ノ川河口近くに戻って禁断の仕掛けを流してみるほうがチャンスがあるかもしれないと引き揚げることにした。負け戦を長引かせてはならないのである。

しかし、ここでも人目をはばからねばならず、まったく釣りをすることができずゴールデンウィークが終わってしまった。

これでゴールデンウィークの釣りは三連敗だ。全部違う魚を狙って釣行したのであらゆる魚から見放されたということだ。

次の週末はおとなしくしておこう・・。

 

 

田中ひかる 「明治のナイチンゲール 大関和物語」読了

 

新しい朝ドラが始まってひと月ほどが経った。

ヒロインが二人という構成だが、上坂樹里という人はまったく知らない人であった。これを書いている時点でもどんな作品に出ていた女優さんなのかを知らない。対して、見上愛という女優さんは大河ドラマの番宣か何かで一瞬だけ観て、えらい美人だと目が釘付けになってしまった。しかしこの人が主演しているというだけで観た映画でそのイメージは完全に崩れ去ってしまった。内容がいまいち理解できないタイムループものであったことと、見上愛ってこんな顔だったかしらと思ってしまうほど顔付きが思っていた人と違っていた。平安時代が似合う女優さんであったらしい。美人というより個性的な顔立ちである。

それでも、名前を知っている女優さんがヒロインというのはなじみやすい。そこに出てきたのが上坂樹里という女優さんだ。あまりきれいな衣裳を着ての登場ではなかったが存在感がある。

このふたりの組み合わせは確かに絶妙である。

最初はそれぞれのヒロインのストーリーが交互に語られる展開に戸惑ったけれども、それも2週目には慣れてきた。

おいおい、モデルになった看護婦さんたちの情報もネットの中に出始めるだろう。こういうことも楽しみなのである。

 

 

そんなことを思いながらこの本を読んでいた。この本はズバリ、このドラマの原案としてオープニングのクレジットに出てくる本である。読んだのは文庫本で、大関和が朝ドラのモデルになることが決まって文庫本が出版されたようだ。

このドラマの主人公のモデルとなった大関和は日本で初めて誕生した「トレインドナース」のひとりであるが、この人の生涯を知るというよりも事実とドラマはどれくらいの乖離があるのかということを見てみたいというのが読み始めたきっかけなのだから動機としてはかなり不純ではある・・。

 

「らんまん」のモデルになった牧野富太郎は事実をそのままドラマにはできないほどとんでもない人だと言う印象だったのでかなりデフォルメしなければ朝ドラにはならないだろうと思ったが、今回はヒロインをふたりにするためにかなりのデフォルメが必要であったようだ。

この本には大家直美のモデルになった鈴木雅が看護学校に入学するまでの人生は詳しくは書かれていない。ドラマとこの本の内容との違いはこの部分が大きい。

鈴木雅について書かれているのは、静岡県出身で、結婚前、横浜のフェリス・セミナリーの寮に入り英語を学んだ。その後結婚し、娘と息子が生まれたが、夫は4年後に西南戦争で受けた銃創が原因で死亡。看護婦養成所に入る4年前のことであった。看護の技術があれば夫の最後の時間をもっと安らかに過ごさせることができたのではないかと思い、看護婦を目指した。

というくらいだ。雅もシングルマザーであったのだ。

 

和が桜井女学校付属看護婦養成所に入学するまでの人生を簡単にまとめてみると以下のようになる。

1858年生まれ。和の父は下野国の黒羽藩家老大関弾右衛門で、黒羽藩主大関増裕の縁戚にあたる。大関増裕は外様にもかかわらず幕府に重用され初代陸軍奉行、初代海軍奉行などを務めた。増裕の部下には勝海舟もいた。男2人、女3人の5人兄弟であった。

羽黒藩は新政府側についたのだが、幕府への忠誠心とのはざまで増裕は自害する(一説には暗殺されたとも。)維新後、弾右衛門は帰農しようとしたが慰留され家知事として残ったがその後縁戚を頼って家族と共に上京。商売に手を出すが、いわゆる「士族の商法」で失敗し、さらに病気がちになる。

 父は死ぬ直前の1876年、黒羽藩の元士族で今は大地主となっている柴田徳之進福綱との縁談をまとめた。運送業で成り上がった人ではない。しかし、嫁いだあとは夫の妾に悩む。酒癖が悪かったのではない。姑からもいじめられ、嫁いですぐは荒れ地になった田んぼを耕させられたりもした。長男六郎を生んだ後2週間で田に戻された。そんなとき、気持ちのよい風が吹き、甘い田打桜の匂いが漂ってきたというのはさすがにフィクションだろう。

和はふたり目の子供を身ごもっていたが、一緒に田を耕していた、妾の子供である綾が姑によって女郎として売られたことに怒り、長女心(シン)を生む前に実家に帰り離縁の意志を伝えた。

 その後、実家のある神田で代々幕府の中国語の通訳をしている鄭家の女中に雇われる。そこで、主人の息子から上村正度が経営する新橋の英語塾を紹介された。その縁で兄の上村正久が牧師を務める下谷御徒町の教会に足を運ぶようになる。そこで洗礼を受けている。

鄭家の主人永寧の勧めで英会話の能力を買われて鹿鳴館でおこなわれるチャリティバザーの手伝いに行くことになる。それは大山捨松が中心となった「婦人慈善会」が主催し有志共立東京病院(現慈恵医科大学付属病院)付属の看護学校を作るための資金集めであった。

そこで大山捨松と知り合う。炊き出しで再会するのではない。その後、捨松は鄭永寧を通じて和を鹿鳴館での通訳の誘いをする。

同じ頃、京都では、新島八重は同志社大学に看護学校を設立しようとしていた。

 通訳を初めて3年後、上村正久から新設される看護学校の一期生として入学することを勧められる。そこは桜井女学校の付属の看護婦養成所であった。この計画は、リィディア・バラという、かつて共立女学校で教師をしていた宣教師が立てたものであった。リィディア・バラは資金集めのためにアメリカに渡ったがフィラデルフィアで客死し、その遺志はマリア・トゥルーに引き継がれた。

そして、大関和と鈴木雅はここで初めて出会った。雅のその姿は、髪の毛を肩の上まで切った断髪姿であった。

ここまでが大関和が桜井女学校付属看護婦養成所に入学するまでの経緯だ。ドラマとはかなり違う。一致するのは鈴木雅の髪型くらいだ。

教会と関わるのは和のほうで、大山捨松と関わるのも和の方だ。入学した養成所も大山捨松たちが設立した学校とは違う。

 ドラマでは和の人生をふたりに振り分けて描かれているのは間違いがない。和の父親の人生も、情けない部分は叔父に押しつけてしまった感じである。瑞穂屋はネットの記事を読んでいると実在した商店だったそうだがこの本の中にはまったく出てこない。和が少しばかり英語を学ぶための場として付け足されたもののようだ。もちろん、研ナオコが扮する占い師は実在しないが、風を吹かせて田打桜の香りを運んだのは真風であったのは間違いない。

また、泣き虫であったのは牧師のほうではなく和のほうで、上村正久からは「泣きチン蛙」とあだ名をつけられていたそうだ。

ちなみに、りんのひとり娘の環という名前は、上村正久の娘の名前である。今は子役が変わってしまったが、最初の環役の子役はなんとも可愛かった。きっと将来は立派な女優になるのだろうが、この子がビールのコマーシャルに出る頃、僕はもうこの世にいないだろうと思うと少し悲しくなる・・。

 

そんなことはどうでもよく、大関和の桜井女学校付属看護婦養成所への入学後のエピソードは以下のとおりだ。

第1期生は8人であった。この本には大関和と鈴木雅のほか、桜川里以、広瀬梅、小池民、池田子尾という人の名前が残っている。残りのふたりはしばらくして退学したそうだ。広瀬梅、小池民、池田子尾は桜井女学校の校長である矢嶋楫子が率いる婦人矯風会で廃娼運動に関わってゆく。校長役があの花巻さんだというのはうれしい。なんだか養成所を押しつけられたような形になった教員のモデルは峯尾纓という人のようだが、このふたりの人生も壮絶かつ慈愛に満ちている。

この看護婦養成所は小規模でしかも病院併設されていなかったため、帝国大学医科大学付属第一医院で実習を受けることになった。

講師はアグネス・ヴェッチ(ドラマではマーガレット・バーンズ先生)という人で、その通訳を務めたのは雅ではなく和の方であった。

 

卒業後、大関和は第一医院外科の看病婦取締、鈴木雅と桜川里以は同じく内科の看病婦取締になった。

病院の環境整備や看護婦の待遇改善などを強く訴える和は病院の医師たちに疎まれ第一病院を去ることになってしまう。

 雅とマリアの計らいで、和は1890年、新潟県高田女学校寄宿舎の舎監として単身赴任する。

そこで元第一病院の医師、瀬尾原始と出会い瀬尾が設立した知命堂病院に看護婦長として勤めることになる。そこで赤痢の集団感染への対応や附属の看護婦養成所の設立に関わる。

一方、雅はアメリカへの留学に出発するその日、天然痘への対応を急ぐ医師の乗る人力車に撥ねられ、英語で口走ったその言葉に自分も手伝わねばとアメリカへは渡らずその医師の後を追った。

その後、雅は、日本初の看護婦の派遣会社、慈善看護婦会の設立や娼婦たちのために廃娼や社会復帰のための療養施設、衛生園の設立をおこなう。

5年半の新潟での活動のあと、和は雅と合流して活動を続けることになる。

後年の大関和は、引退した雅から慈善看護婦会を引き継ぎ、「大関看護婦会」と名前を変え、看護婦の技術の向上をさらに高めるための活動を続ける。

そして、関東大震災後の看護活動を最後に完全に引退し、1932年、74歳の生涯を終えた。

雅は1940年、静岡県の沼津で82歳の生涯を終えた。

 

ドラマではこのふたりを、「看護の世界を切り拓く二人三脚のバディ」と表現しているが、慈善看護という自己犠牲と無償奉仕が本当の看護だと考える和と、看護婦は技術によって報酬を得るべきであり、それが自立した女性を作っていくのだと考える雅はまさしくこの時代を切り拓く両輪であったに違いない。この時代の看護婦には、以下に書いているような素晴らしい能力を持った看護婦も数多おられたようだが、このふたりが特にクローズアップされることになったのは、そういったころが大きかったのではないだろうか。

 

桜井女学校付属看護婦養成所への入学時、生徒はドラマでは7名になっていた。誰が誰をモデルとしているのかということはおいおいわかっていくのだろうが、外国人教師が赴任するまでナイチンゲールの著者を訳するというエピソードや和と雅が火屋を磨くエピソードがしっかりと入っていたところを見ると、新潟での活躍や雅の活躍、仲間たちの活躍もきちんと描かれていくのだろう。今後の展開が楽しみだ。

そのほか、器械出しの名人と言われた吉村セイ、和や雅の先輩格になる慈恵医院看護婦取締松浦里子、日本で4人目の女性医師本多銓子、和が患者として担当する、後に新宿中村屋を創業する相馬愛蔵、愛蔵との縁で知り合った社会運動家の木下尚江など歴史に残る人びとが和と雅の周りに登場する。木下尚江がモデルになっているのはきっと瑞穂屋に出入りしていた島田健次郎なのだろう。はたして、りんはこの人と結ばれることになるのか・・。

島田健次郎他、この人たちがどのような形でドラマに登場するのかも楽しみである。勝海舟までもがカメオ出演のような形で登場していたのだからこれらの人も間違いなく登場してくれるだろう。

 

しかし、ヒロインをふたりにするために無理やりひとりの人生を二分割したとはいえ見事なストーリー展開だ。性格描写はどちらかというと直美の性格が和に近く、雅は冷静で論理的というミスター・スポックという感じだが、これもフィクション性を高めるための工夫なのかもしれない。

 

世間では展開が速すぎるというので評判が悪いようだが、この人たちの人生を見ているとこの速さでも追いつかないくらいだ。むしろ1年かけてやってほしいと思う。

できるだけ事実に忠実なドラマを作って、雅の生涯はスピンオフのスペシャルドラマを3時間枠くらいで作ってもらうのがよかったのではないだろうか。

まあ、このふたりや周りの人たちの原動力はキリスト教の教義を元にした博愛と慈善の精神だから、宗教的な思想が入りすぎてしまって公共放送には向かないのかもしれないが・・。

 

新島八重は「八重の桜」のモデル、共立女学校は「花子とアン」のモデルになった村岡花子が卒業した学校だ。この人たちは同じ時代を生きた人たちだが、女性が何をするのも困難と言われた時代に自分の力でその道を切り拓いてきた人たちの人生はドラマになりやすい。「ばけばけ」のモデルの小泉セツも同じ時代を生きた人でドラマとしては何事もない日常を描きながらも時代に翻弄された人だ。同じ時代のドラマが続いているという批判もあったというが、それはきっと必然なのだろう。

 

このドラマは間違いなく世間が評価しているほど悪くはない。朝ドラ史に残るような名作とまではいかないが、秀作として人びとの記憶に残るはずである。

もっと記憶に残したいならばこの本を一読することをお勧めする。文章も読みやすく、ここまで調べるかと思えるほどの内容にも驚かされるのは間違いない。

 

 

昨日の釣りから帰ってきて、貰ったグレ5匹とメバル1匹をきれいに洗って道具も洗ってご飯を食べて風呂から上がってきたのは午後11時頃であった。それから5時間後、今日は生石山だ。

今日も天気が悪く、午後からは雨が降るらしいので、山にやってくるやつも少なかろうと今年最後の山菜採りに出かけた。まあ、夜明け前から山の上をウロウロするやつもいないだろうから雨でも晴れでも関係はないのだが・・。

とはいえ、駐車場にはすでに2台の車が停まっている。多分、夕べから停まっているのだろうが、この人たちはいったい何をしにここに来ているのだろうと自分のことは顧みず不審に思うのである。

 

今日の目的はイタドリとフキとワラビの3種類で、特にイタドリをたくさん採りたいと思っていたのだが思っていた以上に大きくなってしまっていた。昔はそんなに食べたいと思う山菜ではなかったが、あの歯ごたえがいいと思い始めるといっぱい食べたくなる。この山菜は灰汁がないのでいくらでも食べられるのである。しかし、以前はいくらでもあると思っていたはずが、食べごろのものを探すとなるとそんなに見つからないということがわかってくる。それにタイミングもある。どこにでも生えているからいつでもあると思っていたが、やっぱりこの山菜も旬は2週間ほどしかないようだ。その前後は小さすぎるか大きすぎるかだ。そして、鹿が食べるのか、まだ小さいものは先っちょだけ食いちぎられている。鹿もコンペティターになっている。

ワラビも大きくなりすぎていて、おそらく9割以上はもう食べられない。しかし、わずかに残っているたべられるワラビはものすごく大きく、まさしく料亭サイズだ。

ヤマウドは先の方だけ摘めば食べられないこともないけれどもそこは資源保護のために残しておく。早い時期はどこにあるのかわからないヤマウドであるが、これほど大きくなってくるといたるところで目につく。それは少し悔しい・・。

 

逆にフキはほぼすべてが採り頃の大きさだ。茎が太くなっている。森に暮らすひまじんさんは、「フキは5月になってから。」とおっしゃっていたが、まったくそのとおりである。

 

1時間ほどウロウロして素早く山を後にした。

 

 

午前中に車のエンジンオイルを交換するためだ。といっても、僕が作業するのではない。従弟に頼んでやってもらうのだ。不祥事を起こした中古車屋が100円でやってくれなくなったので自前でやるのがいちばん安上がりだ。従弟の家には自動車整備の道具が充実しているので何でもやってもらえる。

 

 

それでもオイルとエレメントを購入するだけで5000円もかかる。これ、工場でやってもらったらいったいいくらかかるのだろう。100円の頃がなつかしい・・。

 

 

何もかもが高くなった春が終わって何もかもが高くなる夏がやってくるのである・・。

 

場所:水軒一文字

条件:大潮19:08満潮

釣果:ボウズ

 

本格的なゴールデンウイークの突入だ。今日から僕は6連休。ゴールデンウイークにこんなに長期間休むのはサラリーマン人生初めての体験なのではないだろうか・・。

 

しかし、予報を見ていると前半は風が強くて沖に出ることは難しそうだ。行けるとしたら今日の夕方しかない。それならばとNさんに、夜釣り行くのなら連れていってくださいとお願いしたら、当然のように、今日も行くでという返信が返ってきた。

 

しかし、今日も何も書くことがないほどの結果であった。アジなんていつでも釣れるはずと思ってサビキの仕掛けだけ持っていったのだがこれがまったくだ。掛かってくるのはオセンばかり。それも日が暮れるとまったく来なくなってすべてが沈黙した。

 

NさんとanotherNさんはイソメのフカセ釣りでやって来ていたので順調にグレを上げている。相変わらず魚は持って帰らない人たちなので何も釣果がない僕がもらって帰ることになるので釣れるたびに魚の内臓を抜くことだけが僕の作業になる。

スマホもカメラも港に置いてきたので画像さえない。

 

唯一のトピックといえば釣りをしている間に地震が起こったことだ。

 

 

まだ明るい時間帯の18時28分、奈良県で震度4の地震であったが、防波堤が横に大きく揺れていた。家にいると家だけが揺れているという感じだが、こんな場所にいると地面全体が揺れているのがはっきりわかるというのを初めて体験した。

これが地震だと理解するにはほんの少し時間がかかったのだが、その瞬間、これって津波が来るやつ?という心配がよぎり、その直後には、強力な正常性バイアスのせいか、それとも強力な諦観のせいか、何の恐怖心もなかった。

揺れが収まったあとにNさんたちのスマホが鳴動して震源は奈良県だということがわかり、これは津波の心配はないと何事もなかったかのように釣りを再開。その後もグレだけは釣れ続けていたので地震と釣果には何の関係もないことがわかった。そして、南海トラフ地震が起こったら、その楽観的な判断から僕は確実に死ぬなということがわかったのである。

 

そして、もうひとつ小さなトピックがある。双子島荘が廃業をする予定らしい。あの一帯を外資系のホテルグループが買い取ったそうだ。僕も釣れすぎた魚を引き取ってもらったことがあったが、Nさんも釣った魚を持っていくところがなくなるとこぼしていた。僕も、いよいよあそこの砂浜でぼっちキャンプができると一瞬喜んだが、別のホテルが買い取るとなるとそれもできそうになさそうだ・・。取り壊してホテルを立て直すのか、既存の建物の改装をするだけなのかはわからないが、工事中なら海からアクセスしてキャンプができるかもしれない。

これからの展開がちょっと楽しみである。

 

場所:水軒沖

条件:中潮4:38満潮

釣果:ボウズ

 

今日からゴールデンウィークだ。最初の日はやっぱり釣りに行く。

先週、アマダイがたくさん釣れたらしい。冬場はさっぱりだったがまた復活したようだ。しかし、復活したのは他の人たちだけで僕は相変わらず深海深く潜航したままだったが・・

 

朝は5時6糞に出港。こんなに明るい。今日ももう少し早く出ておけばよかった。

 

 

アマダイのポイントに行く前に今日も禁断の仕掛けを流してみる。

3度目の正直だ今日こそは釣れるんじゃないかと思ったがアタリさえなく終了。

一路雑賀崎の沖を目指す。

 

今日も4本の竿で勝負なのだが風が思っていたよりも強くて40号のオモリでも仕掛けが底に着かない。

 

 

最終的には50号と60号のオモリを使って釣りを続けたが仕掛けが底を這っていないのか、アタリはまったく無かった。

もらった情報では紀ノ川河口の沖ということだったが、僕のお気に入りはここ雑賀崎の沖で、今日は乗合船もここに来ていたのでまったく期待が持てない場所でもないのである。

 

 

今思えば、紀ノ川河口の沖に行ったほうがよかったのかもしれないが・・。

アタリがあったのはタイラバのほうで、ただし上がってきたのはサバフグだ。

 

 

2匹目のサバフグに鈎を喰われてしまったので手持ちの竿もイソメの仕掛けに変えたがアタリがないので4本の竿にイソメを使っても最後はエサを余らせてしまった。

なんとももったいないエサと燃料の使い方をする釣行になってしまった。

ゴールデンウィーク後半は期待したいけれども天気が悪そうだ。燃料代も再び上がり始めているし、家でゆっくりしていたほうがよいのかもしれない・・。

場所:紀ノ川河口

条件:小潮9:04干潮

釣果:ボウズ

 

先週はサゴシを2匹バラしてしまったので今週も出てみることにした。

 

その前に昨日のタケノコ採りの記録から。

タラノメ第5ポイントのそばには大きな孟宗竹の竹林がある。このポイントを見つけた時からここでタケノコを採ることができるのではないかとずっと思っていた。

しかし、竹林というのは大概は個人所有になっていてみだりに入ってはいけないので前を通るだけにしていたがここは道路の法面の上にあり、覗いてみても手入れをしている様子もない。これはきっと個人所有であっても放棄されているか自治体に買い取られているに違いないと勝手に判断して行ってみることにした。

普通ならこの時期、タケノコの季節としてはすでに遅くなってしまっている。新しく生えてきたタケノコも人間の背丈くらいにまで成長してしまっているはずだ。それでも山菜は遅れて生えてくるものもあるのでそんなのが1、2本見つけられればと思っていた。

 

しかし、法面をはい上がって竹林の中に入ってみると何もない。大きな孟宗竹があるだけだ。他の人に盗られというのでもないようだ。

かなり大きくなったタケノコがボコボコ生えていると想像していたがまったく違った景色だ。

よく考えると、毎年ボコボコと竹が生えてきたら密集しすぎて竹たちが自分で自分の首を絞めることになるし、そんなにたくさんのタケノコが採れれば値崩れしてタケノコ屋さんの首を絞めることもなる。だから、見つけにくいというのが普通なのかもしれない。

 

それでも少し辺りをさまよっていると1本見つけることができた。ちょっと大きいが僕の目で見つけることができるのは完全に地上に出てきたものだけだからこれを採ることにする。

周りの土を掘り返してなるべく下の方にナイフを入れて折り採る。

網の袋に入れて歩いているとココナッツのような甘くて少し香ばしい香りが漂ってくる。これはコシアブラやヤマウドとはまた違うなんとも言えないいい匂いだ。おそらく、タケノコを採った人にしか嗅ぐことのできない匂いなのだろう。

しかしこの1本以外には見つからない。やっと見つけてもおそらくイノシシの仕業だろう、無造作に食い散らかされてしまっている。

ここをあきらめて反対の斜面から入ってみてもう1本小さいタケノコを見つけてこのポイントを後にした。

 

 

ほんの少し標高が高いからか、この場所は今頃か先週あたりがベストなのかもしれない。また来年だ。

 

そして翌日、サゴシを求めて午前5時16分に出港。

 

 

一文字の切れ目を出て少し沖に出たところから仕掛けを流し始める。今日の仕掛けは先週の教訓を活かしてチモトにワイヤーを入れている。

あとはアタリを待つだけなのだが、全然アタリがない。潮が小さいというのが悪いのか、昨日の雨が悪いのか、釣り公園の前まで行ってもアタリがない。赤灯台まで行ってもう一度釣り公園まできた時にやっとアタリがあった。魚の引きを確かめながら糸を緩めずたぐり寄せ、魚の姿を確認して仕掛けに手をかけた瞬間またまた魚が逃げていってしまった・・。

なんということだ。これで2週連続3回のバラしだ。う〜んこれは悔やまれる。仕掛けのさばき方が悪いのか、そもそも鈎の選び方が悪いのか、しかし、鈎はこの仕掛けに使われる一般的なものだ。ということはやっぱり仕掛けのさばき方が悪いのだろう・・。

 

その後はアタリもなく、バラしたショックでルアーのキャスティングもする気がなくなり午前7時過ぎに終了とした。

 

市場に寄って家に帰り、最終段階に入っているバイクのボックスの取り付けの続きをおこなった。

 

バイクを買った時に付いていたボックスだが、中途半端な大きさなので売ってしまおうと思っていた。しかし、聞くところによると新品で買ったら7、8はするという代物らしい。おまけにストップランプが内蔵されていて、光りものが大好きな僕にとってはこの上ないギミックでもある。それでは売るのがもったいないのだがそのままではクーラーボックスが入らない。たから中途半端な大きさなのだ。あと左右に5センチづつ大きければよかったのだが・・。しかし、中古なので文句を言っても仕方がない。ここは無い知恵を絞ってボックスを持ち上げて固定し、下に空いた空間にクーラーボックスを乗せようと考えた。こうすれば今の箱に入らない大きさのクーラーボックスに買い替えても乗せることができるのだ。磯釣り用に今のクーラーボックスを温存することもできる。

いろいろ空想しながら、屋根とシールドを支えている支柱を使ってそれを実現できそうだと少しづつバイク本体とボックスの加工を続けていた。

出来上がりはこんな感じだ。ボックスを持ち上げ、その隙間にクーラーボックスを入れ、荷台とボックスで挟み込むような形で固定する。クーラーボックスだけでなくポリタンクもこんな感じに収まる。これらの他に想定しているのは収穫用のコンテナだ。

 

   

変形や合体をする乗り物というのは子供の頃からの憧れであるが、奇しくも還暦を過ぎてそれを手にすることになったのだ。全自動ではなく全て手作業でやらなければならないが。イメージはサンダーバード2号なのである。

 

使い勝手と安全性、耐久性は確かめていかねばならないがあとはストップランプの配線をすれば一応完成だ。

使い勝手を言えば間違いなく木で作った箱のほうが上だが、なんとかこれを使い続けられるように修正を加えてゆければいいと思っている。

 

藤原辰史 「生類の思想:体液をめぐって」読了

 

この本もよくわからない本であった。

著者は、農業史と環境史の専門家で、京都大学の教授だそうなのでよくわからないのは僕の責任なのである。

タイトルだけを見て、存在論的な思考を人間の身体の構造を通して考えてみようというようなものなのか?それなら斬新な哲学論を読めると思ったがそうではなく、著者が専門としている、「環境」というものを人間の身体を通して考えてみようというものであった。

第一章はこの本の出版にあたって書かれたもののようだがそれ以降は著者が以前にどこかで発表したものを載せているらしく、なんだかまとまりというか一本筋が通っていないというか、そこのところがよくわからないと感じた部分である。

書き下ろしともいえる第一章の内容はというと、これは確かにそうだと理解ができる。

著者は、「環境」という言葉にずっと違和感を抱いてきたそうだ。

「環境」という項目を辞書で引くと、「人間または生物をとりまき、それと相互作用を及ぼし合うものとして見た外界」、「そのものをとりまく外界。〔それと関係があり、それになんらかの影響を与えるものとして見た場合に言う〕」、「人間やその他の生物を取り囲み、影響を与える外界」というような説明が出てくるそうだ。

ニュアンスに違いがあっても、どれもが「何かをとりまく外界」であることは一致している。著者は、「環境」という言葉にしっくりこないのは、そこには「内界」が含まれないことであると考える。

確かに僕もきっとそう考えていた。環境とは自分を取り巻いているものであって自分は含まれていない世界だと・・。

 

そんな中、著者は「生類」という言葉に出会う。これは、「命のあるもの、生き物、生物全体を指す」言葉だが、著者はそこに環境を超える広がりを見たのである。

 

そこで、すべての命あるもの、生き物が持っている体液、つまり、生類から滲み出る、あるいはそれぞれの生き物を超えて満たす液汁を根拠に、環境というものを考直すことはできないかと考えたのがこの本であるというのだ。

体液は、海をめぐり、雲にのぼり、山に降り注ぎ、川を流れ、大気に溶け込み、数え切れぬ生類の体をつらぬく。

体液のめぐりにその根拠を置く生類の思想は、死者の体液であっても、あらゆる化学物質で汚染されていたとしても環境を巡り巡る。それゆえにとても冷徹だが、言葉の真の意味で根源的(ラディカル)であるという。

それに気付かせてくれたのは石牟礼道子「苦海浄土」であったそうだ。水俣病が認定されて今年で70年になるそうだがこの病気が長らく放置され続けたのはまさしく、環境と人間は切り離されたものであるという考えが人びとの根底にあったからである。人体は環境から隔離されたものだからそこから何らかの影響を受ける存在ではない。この病気の原因はもっと別のところにあると信じられてきた。そう考えるから有機水銀中は平気で海に流され続けたのである。

この考えを元にして第二章以下著者の環境論が続くのであるがその内容は「体液」に特化したものでもなく、いろいろなところでいろいろな人が論じている環境論とそれほど変わりがない。

要は、環境は体内と繋がっていて、環境が壊れると体内もやがては壊れていくものであるということだ。

地球温暖化や化学物質に対する警鐘、清潔になりすぎた環境がアレルギー疾患を増やしているなど、ひと昔前に書かれた本を読んでいるような感覚になる。

また、環境論にどうしてサツマイモが関わるのかというところもよくわからないが、それはきっと僕に理解力がないということだろう。