田中ひかる 「明治のナイチンゲール 大関和物語」読了
新しい朝ドラが始まってひと月ほどが経った。
ヒロインが二人という構成だが、上坂樹里という人はまったく知らない人であった。これを書いている時点でもどんな作品に出ていた女優さんなのかを知らない。対して、見上愛という女優さんは大河ドラマの番宣か何かで一瞬だけ観て、えらい美人だと目が釘付けになってしまった。しかしこの人が主演しているというだけで観た映画でそのイメージは完全に崩れ去ってしまった。内容がいまいち理解できないタイムループものであったことと、見上愛ってこんな顔だったかしらと思ってしまうほど顔付きが思っていた人と違っていた。平安時代が似合う女優さんであったらしい。美人というより個性的な顔立ちである。
それでも、名前を知っている女優さんがヒロインというのはなじみやすい。そこに出てきたのが上坂樹里という女優さんだ。あまりきれいな衣裳を着ての登場ではなかったが存在感がある。
このふたりの組み合わせは確かに絶妙である。
最初はそれぞれのヒロインのストーリーが交互に語られる展開に戸惑ったけれども、それも2週目には慣れてきた。
おいおい、モデルになった看護婦さんたちの情報もネットの中に出始めるだろう。こういうことも楽しみなのである。
そんなことを思いながらこの本を読んでいた。この本はズバリ、このドラマの原案としてオープニングのクレジットに出てくる本である。読んだのは文庫本で、大関和が朝ドラのモデルになることが決まって文庫本が出版されたようだ。
このドラマの主人公のモデルとなった大関和は日本で初めて誕生した「トレインドナース」のひとりであるが、この人の生涯を知るというよりも事実とドラマはどれくらいの乖離があるのかということを見てみたいというのが読み始めたきっかけなのだから動機としてはかなり不純ではある・・。
「らんまん」のモデルになった牧野富太郎は事実をそのままドラマにはできないほどとんでもない人だと言う印象だったのでかなりデフォルメしなければ朝ドラにはならないだろうと思ったが、今回はヒロインをふたりにするためにかなりのデフォルメが必要であったようだ。
この本には大家直美のモデルになった鈴木雅が看護学校に入学するまでの人生は詳しくは書かれていない。ドラマとこの本の内容との違いはこの部分が大きい。
鈴木雅について書かれているのは、静岡県出身で、結婚前、横浜のフェリス・セミナリーの寮に入り英語を学んだ。その後結婚し、娘と息子が生まれたが、夫は4年後に西南戦争で受けた銃創が原因で死亡。看護婦養成所に入る4年前のことであった。看護の技術があれば夫の最後の時間をもっと安らかに過ごさせることができたのではないかと思い、看護婦を目指した。
というくらいだ。雅もシングルマザーであったのだ。
和が桜井女学校付属看護婦養成所に入学するまでの人生を簡単にまとめてみると以下のようになる。
1858年生まれ。和の父は下野国の黒羽藩家老大関弾右衛門で、黒羽藩主大関増裕の縁戚にあたる。大関増裕は外様にもかかわらず幕府に重用され初代陸軍奉行、初代海軍奉行などを務めた。増裕の部下には勝海舟もいた。男2人、女3人の5人兄弟であった。
羽黒藩は新政府側についたのだが、幕府への忠誠心とのはざまで増裕は自害する(一説には暗殺されたとも。)維新後、弾右衛門は帰農しようとしたが慰留され家知事として残ったがその後縁戚を頼って家族と共に上京。商売に手を出すが、いわゆる「士族の商法」で失敗し、さらに病気がちになる。
父は死ぬ直前の1876年、黒羽藩の元士族で今は大地主となっている柴田徳之進福綱との縁談をまとめた。運送業で成り上がった人ではない。しかし、嫁いだあとは夫の妾に悩む。酒癖が悪かったのではない。姑からもいじめられ、嫁いですぐは荒れ地になった田んぼを耕させられたりもした。長男六郎を生んだ後2週間で田に戻された。そんなとき、気持ちのよい風が吹き、甘い田打桜の匂いが漂ってきたというのはさすがにフィクションだろう。
和はふたり目の子供を身ごもっていたが、一緒に田を耕していた、妾の子供である綾が姑によって女郎として売られたことに怒り、長女心(シン)を生む前に実家に帰り離縁の意志を伝えた。
その後、実家のある神田で代々幕府の中国語の通訳をしている鄭家の女中に雇われる。そこで、主人の息子から上村正度が経営する新橋の英語塾を紹介された。その縁で兄の上村正久が牧師を務める下谷御徒町の教会に足を運ぶようになる。そこで洗礼を受けている。
鄭家の主人永寧の勧めで英会話の能力を買われて鹿鳴館でおこなわれるチャリティバザーの手伝いに行くことになる。それは大山捨松が中心となった「婦人慈善会」が主催し有志共立東京病院(現慈恵医科大学付属病院)付属の看護学校を作るための資金集めであった。
そこで大山捨松と知り合う。炊き出しで再会するのではない。その後、捨松は鄭永寧を通じて和を鹿鳴館での通訳の誘いをする。
同じ頃、京都では、新島八重は同志社大学に看護学校を設立しようとしていた。
通訳を初めて3年後、上村正久から新設される看護学校の一期生として入学することを勧められる。そこは桜井女学校の付属の看護婦養成所であった。この計画は、リィディア・バラという、かつて共立女学校で教師をしていた宣教師が立てたものであった。リィディア・バラは資金集めのためにアメリカに渡ったがフィラデルフィアで客死し、その遺志はマリア・トゥルーに引き継がれた。
そして、大関和と鈴木雅はここで初めて出会った。雅のその姿は、髪の毛を肩の上まで切った断髪姿であった。
ここまでが大関和が桜井女学校付属看護婦養成所に入学するまでの経緯だ。ドラマとはかなり違う。一致するのは鈴木雅の髪型くらいだ。
教会と関わるのは和のほうで、大山捨松と関わるのも和の方だ。入学した養成所も大山捨松たちが設立した学校とは違う。
ドラマでは和の人生をふたりに振り分けて描かれているのは間違いがない。和の父親の人生も、情けない部分は叔父に押しつけてしまった感じである。瑞穂屋はネットの記事を読んでいると実在した商店だったそうだがこの本の中にはまったく出てこない。和が少しばかり英語を学ぶための場として付け足されたもののようだ。もちろん、研ナオコが扮する占い師は実在しないが、風を吹かせて田打桜の香りを運んだのは真風であったのは間違いない。
また、泣き虫であったのは牧師のほうではなく和のほうで、上村正久からは「泣きチン蛙」とあだ名をつけられていたそうだ。
ちなみに、りんのひとり娘の環という名前は、上村正久の娘の名前である。今は子役が変わってしまったが、最初の環役の子役はなんとも可愛かった。きっと将来は立派な女優になるのだろうが、この子がビールのコマーシャルに出る頃、僕はもうこの世にいないだろうと思うと少し悲しくなる・・。
そんなことはどうでもよく、大関和の桜井女学校付属看護婦養成所への入学後のエピソードは以下のとおりだ。
第1期生は8人であった。この本には大関和と鈴木雅のほか、桜川里以、広瀬梅、小池民、池田子尾という人の名前が残っている。残りのふたりはしばらくして退学したそうだ。広瀬梅、小池民、池田子尾は桜井女学校の校長である矢嶋楫子が率いる婦人矯風会で廃娼運動に関わってゆく。校長役があの花巻さんだというのはうれしい。なんだか養成所を押しつけられたような形になった教員のモデルは峯尾纓という人のようだが、このふたりの人生も壮絶かつ慈愛に満ちている。
この看護婦養成所は小規模でしかも病院併設されていなかったため、帝国大学医科大学付属第一医院で実習を受けることになった。
講師はアグネス・ヴェッチ(ドラマではマーガレット・バーンズ先生)という人で、その通訳を務めたのは雅ではなく和の方であった。
卒業後、大関和は第一医院外科の看病婦取締、鈴木雅と桜川里以は同じく内科の看病婦取締になった。
病院の環境整備や看護婦の待遇改善などを強く訴える和は病院の医師たちに疎まれ第一病院を去ることになってしまう。
雅とマリアの計らいで、和は1890年、新潟県高田女学校寄宿舎の舎監として単身赴任する。
そこで元第一病院の医師、瀬尾原始と出会い瀬尾が設立した知命堂病院に看護婦長として勤めることになる。そこで赤痢の集団感染への対応や附属の看護婦養成所の設立に関わる。
一方、雅はアメリカへの留学に出発するその日、天然痘への対応を急ぐ医師の乗る人力車に撥ねられ、英語で口走ったその言葉に自分も手伝わねばとアメリカへは渡らずその医師の後を追った。
その後、雅は、日本初の看護婦の派遣会社、慈善看護婦会の設立や娼婦たちのために廃娼や社会復帰のための療養施設、衛生園の設立をおこなう。
5年半の新潟での活動のあと、和は雅と合流して活動を続けることになる。
後年の大関和は、引退した雅から慈善看護婦会を引き継ぎ、「大関看護婦会」と名前を変え、看護婦の技術の向上をさらに高めるための活動を続ける。
そして、関東大震災後の看護活動を最後に完全に引退し、1932年、74歳の生涯を終えた。
雅は1940年、静岡県の沼津で82歳の生涯を終えた。
ドラマではこのふたりを、「看護の世界を切り拓く二人三脚のバディ」と表現しているが、慈善看護という自己犠牲と無償奉仕が本当の看護だと考える和と、看護婦は技術によって報酬を得るべきであり、それが自立した女性を作っていくのだと考える雅はまさしくこの時代を切り拓く両輪であったに違いない。この時代の看護婦には、以下に書いているような素晴らしい能力を持った看護婦も数多おられたようだが、このふたりが特にクローズアップされることになったのは、そういったころが大きかったのではないだろうか。
桜井女学校付属看護婦養成所への入学時、生徒はドラマでは7名になっていた。誰が誰をモデルとしているのかということはおいおいわかっていくのだろうが、外国人教師が赴任するまでナイチンゲールの著者を訳するというエピソードや和と雅が火屋を磨くエピソードがしっかりと入っていたところを見ると、新潟での活躍や雅の活躍、仲間たちの活躍もきちんと描かれていくのだろう。今後の展開が楽しみだ。
そのほか、器械出しの名人と言われた吉村セイ、和や雅の先輩格になる慈恵医院看護婦取締松浦里子、日本で4人目の女性医師本多銓子、和が患者として担当する、後に新宿中村屋を創業する相馬愛蔵、愛蔵との縁で知り合った社会運動家の木下尚江など歴史に残る人びとが和と雅の周りに登場する。木下尚江がモデルになっているのはきっと瑞穂屋に出入りしていた島田健次郎なのだろう。はたして、りんはこの人と結ばれることになるのか・・。
島田健次郎他、この人たちがどのような形でドラマに登場するのかも楽しみである。勝海舟までもがカメオ出演のような形で登場していたのだからこれらの人も間違いなく登場してくれるだろう。
しかし、ヒロインをふたりにするために無理やりひとりの人生を二分割したとはいえ見事なストーリー展開だ。性格描写はどちらかというと直美の性格が和に近く、雅は冷静で論理的というミスター・スポックという感じだが、これもフィクション性を高めるための工夫なのかもしれない。
世間では展開が速すぎるというので評判が悪いようだが、この人たちの人生を見ているとこの速さでも追いつかないくらいだ。むしろ1年かけてやってほしいと思う。
できるだけ事実に忠実なドラマを作って、雅の生涯はスピンオフのスペシャルドラマを3時間枠くらいで作ってもらうのがよかったのではないだろうか。
まあ、このふたりや周りの人たちの原動力はキリスト教の教義を元にした博愛と慈善の精神だから、宗教的な思想が入りすぎてしまって公共放送には向かないのかもしれないが・・。
新島八重は「八重の桜」のモデル、共立女学校は「花子とアン」のモデルになった村岡花子が卒業した学校だ。この人たちは同じ時代を生きた人たちだが、女性が何をするのも困難と言われた時代に自分の力でその道を切り拓いてきた人たちの人生はドラマになりやすい。「ばけばけ」のモデルの小泉セツも同じ時代を生きた人でドラマとしては何事もない日常を描きながらも時代に翻弄された人だ。同じ時代のドラマが続いているという批判もあったというが、それはきっと必然なのだろう。
このドラマは間違いなく世間が評価しているほど悪くはない。朝ドラ史に残るような名作とまではいかないが、秀作として人びとの記憶に残るはずである。
もっと記憶に残したいならばこの本を一読することをお勧めする。文章も読みやすく、ここまで調べるかと思えるほどの内容にも驚かされるのは間違いない。