イレグイ号クロニクル Ⅲ

イレグイ号クロニクル Ⅲ

釣りと読書の記録を綴ります。

 

北村雄一 「アフター・サピエンス」読了
 
遠い未来の地球の姿やそこに生きる生物を想像した本は確か2冊読んだことがあるが、この本は数千万年もしくは数億年先という未来、環境が大きく変わった地球の姿、その時に人間はどんな姿をしているのかなどを地球や生物がたどってきた歴史や生物学上の事実をベースにして書かれている。
う〜ん、本当か?と思える内容だが、著者は科学ライターであり、ただの妄想ではなくそれなりの根拠の元に書いているという。新しいタイプの空想科学読本といったところだ。
 
未来の人間の姿、これはある意味人間が進化した姿なのだが、人類がエネルギーを使いつくしたとき、そこに生存している生物は人間しかいないという前提で予測が進められている。地球上のどこでもがニッチとなるので人類は姿を変えてどこにでも進出できるというのである。しかし、一番の疑問点はそこのところだ。ほかの動物が生きてゆけない世界で人間だけが生き残ることができるのか?そんなことはいくらなんでもありえないと思うのだが著者はそれにも一応、根拠を与えている。
人間が生きてゆくためにはいろいろなエネルギーを消費しなければならない。1ヶ月ホルムズ海峡が封鎖されただけで世界が混乱の渦に巻き込まれている状況をみるとそれは確かだ。現代社会はそのエネルギーの大半を石油資源から得ているが石油は間違いなく有限の資源である。いつかは掘り尽くされる。その後、人類は何にエネルギーを求めるかというとそれは木材だと著者は考える。かつて人類が木を燃やすことでエネルギーを得ていたということになぞらえているのである。
木材という資源もある意味有限である。それは世界中のいたるところで鉄を作るために木々が茂る山をハゲ山にしてしまった事実が物語っている。
森がなくなってしまった世界では人間以外の動物は生きてゆけない。だから最後に残る動物は人類だけということになるそうだ。相当な極論のように思えるがそうなるというのが著者の考えなのでそれに従う。
限られたエネルギーを使って生き残る方法はそれを節約することだが、その節約方法のなかで最もよい方法は知能を捨て去ることである。なぜなら、人間の脳は体重に対して重量比が高く、代謝量の2割を使っているからだ。考えることを止めたらエネルギーの節約になるという考えは新鮮だ。最近、僕の体重が増えているのはまさにそれなのかもしれない。
燃やすものがなくなると鉄を精製することもできないから人類は石器時代に戻ることになる。知能を捨てると脳の容積も小さくなるから姿も類人猿っぽくなってくる。
 
ここで話は横道にそれるが、現世人類の脳と初期の人類のそれは容積比で3倍ほどの差があるそうだ。その進化の過程は200万年ほどある。その間、使われていた石器にはそれほどの進化の跡が見られないらしい。では、3倍の容積になった脳を何に使っていたのかというと口説き文句を考えるためだと著者は考えている。口説き文句を考えるのは大概男の方だから脳が発達するのは男だけになりそうだが、その言葉をきちんと理解しなければならないから女の脳も発達する。クジャクは求愛のために進化したのはオスだけだったが人間は言葉を理解しなければならないというところからメスも進化するのである。なるほど、僕はそういうことに縁がなかったから脳が発達しなかったのだ。
この説を読みながら、僕はそれはちょっと違うのではないかと思ったのである。増えた容量の部分で考えていたのはきっと、“死”についてではなかったのだろうかと思うのである。400万年間、ひたすら宗教を創る準備をしていたに違いないと思うのだ。 
話は元に戻る。人類はその後、少ない食糧でできるだけたくさんのエネルギーを確保すべく草食化を押し進める。例えば穀物だけでなくその葉や茎の部分も消化できるよう腸が長くなってゆくのだ。さらに、草食動物は肉食動物から逃げられるようにカモシカのように足も速くなる。そういう進化をした人類はこんな姿になる。

 


 頭は小さく、長い腸を納めた下腹部は大きく足はカモシカのようにつま先立ちになっている。
人類しかいないという前提の世界で敵になる肉食動物は何かというと、これもまた肉食動物に進化した人類である。犬歯が発達するほど顎が大きくなれないので前歯が犬歯の代わりになるそうだ。
 
彼らは狩りに特化した身体を持ち、槍を遠くに投げるため、手はアトラトルのような形になっている。槍を作れるだけの知能は残っているらしい。

 


 その他、さらに草食化を進めた、四足歩行で親指で葉っぱをむしり取ることができる大型人類というのも出てくる。これはゴリラの歩き方を参考に考えられているそうだが、ゴリラがおこなうナックルウォークという歩き方は親指を地面に着けないので、その余っている親指を進化させて木の上にある葉っぱをむしり取るというのである。
なんだかそんなことはありえないだろうと思うが億年単位の期間では今とは似ても似つかない姿になっているというのもありうるかもしれない。人間の祖先も1億年前はネズミみたいな姿をしていたのだから・・。
 
この本は著者がYouTubeで公開した動画を書籍化したものだ。YouTubeを見てみたが、本の中のエピソードはそこから抜粋されたもので内容はまったく同じであった。このブログに貼り付けた画像もそこから拝借した。本の中でも同じ画像が使われている。
エピソードのなかでは、この、未来の人間の変わり果てた姿というのが一番センセーショナルなものだと思えるのだが、ほかには、大陸の移動、気候変動、天変地異による生物の絶滅、ほかの惑星への移住などのエピソードが収録されている。
ほ〜!と思いながら読んだのは、大陸の移動だ。今から2億5000万年後には世界の大陸はまたひとつの大陸に合体するそうだ。どんな形に合体するのかというのは確定した見解がなく4つの説があるらしい。
ただ、大陸がどのような形になってもこの頃には地球では生物が生きられない環境になっているのだけは確実だそうだ。地上は暑くなりすぎているのだ。
その原因はいくつかあるが、火山の大噴火と太陽の表面温度の変化というのが最も有力らしい。
大陸の移動で大陸同士が衝突する地点では活発な火山活動が発生する。排出される二酸化炭素は地球温暖化を促進し、上昇した気温は海水温も上昇させ、深海に眠るメタンハイドレートを気化させさらに温暖化が進む。同じ頃、太陽の中心部では水素原子を使い続けた分、核を収縮させその温度を上げる。その活動のせいで表面温度は現在よりも1〜2%上昇する。わずかな差のように思えるが地球には大きな影響があるそうだ。
いずれにせよ地球の平均気温は50度ほどになりこの温度ではほとんどの動物の体内ではタンパク質が変性してしまい生き続けることはできない。
 
よく、人類が滅亡する原因は核戦争や巨大隕石の衝突なのだという説が語られるがそれはどうもウソらしい。核戦争や巨大隕石の衝突によって核の冬が来るというが、その原因となる塵は対流圏に留まるため比較的短時間のうちに地上に落下してくる。だから、生物が絶滅に追いやられるほどの寒冷化と太陽光の遮蔽は起こらない。絶滅クラスの冬が来るためには、塵がその上の成層圏まで吹き上がらなければならないのだ。6600万年前、恐怖が滅んだ隕石の衝突は場所が悪く、ユカタン半島沖には硫黄を含む岩石が大量にあったため大気中の酸素と反応して硫酸が地球の成層圏を覆い寒冷化が長く続いたのである。(巨大隕石が衝突したとき、そのルートに真空地帯が生まれ、噴出した塵は成層圏まで一気に上昇する。)少しずれていたら恐竜は今でも地球上に存在していたかもしれないのである。
 
高温になった地上では人類は生きてゆけない。しかし、海中の平均温度は37度くらいなので魚人間としてなら生きてゆけると著者は考える。
 

 


しかし、もうここまできたらSF、空想科学を超えて妄想か滑稽話だ。しかし、著者の簡潔で装飾のない文体はどこまでが本気で書かれているのかがわからないというところがこの本の良さなのかもしれない。だから空想科学読本的なのである。そういうことなので、この本の中身を真顔で他人に話をするとコイツ、とうとう頭がおかしくなってしまったなと思われるので注意をしなければならない。
 
そもそも、地球上に生き残った生物が人間だけになるという設定がおかしい。そんな環境では人間自体も生きてはいないだろう。それよりも宇宙空間のほうが生き残る環境としてはまだマシのような気がする。
地球が高温化して文明が崩壊するまでにはこの本に倣うと最低でも数万年という期間があるだろう。その間に宇宙に逃げようと考える人たちもいるはずだ。そこで進化した人間はどんな姿をしているだろうか?重力がない世界では筋肉が衰え体は細くなる。使えるエネルギーが少ないから小型化もする。人工的な食事ばかりでは顎も小さくなる。宇宙船の中は太陽光もないから頭を保護するための髪の毛が必要でなくなり気温も一定に保たれてもいるだろうから汗をかかないので眉毛もなくなる。高度なテクノロジーにより相手の思うことはコンピューターを介してまる解りになるから相手の心を読むという努力が必要なくなり白目が不要になり、室内ばかりの生活では光が少なく白目の部分も黒目になる。
そんな姿を想像するとこれは一時流行った宇宙人のグレイではないか!

 


70年前くらい前にはその姿が目撃?されていたそうだが、そんな昔にある程度説得力のある姿の目撃が報告されていたというのは、そういった、人間と同じDNAを持った異星人が地球を訪れていたに違いないと確信してしまう・・。
この本では、グレイの形は生物の形としては破綻しているとされているが、魚人間よりもマシだろう。
と、いうような妄想なのかどうかわからないものがこの本全体を覆っているのである。
 

 

場所:加太沖

条件:若潮4:42満潮 10:32干潮

潮流:4:03上り3.0ノット最強 8:07転流

釣果:マサバ6匹

 

 

先週、港の片隅に横たわっていた鳥がとうとう死んでしまっていた。身体に傷がついていないところを見ると野良犬やほかの鳥に襲われることなく安らかに永遠の眠りについたのだろう。この鳥はきっと、人の往来があるところでは敵になる動物が近寄ってこないということを知っていたのかもしれない。

死を意識する動物というのは一説では人間だけらしい。死の恐怖に怯えるのは人間だけだということだが、この鳥は最後の瞬間まで自分が死ぬということを本当に認識していなかったのだろうか?ならばなぜあの場所を最後の場所に選んだのか・・。せめて死の間際は何者かに牙を立てられることなく死にたいと思ったからではないのだろうか。そうなるとあの鳥も死を意識していたことになる。人間だけが知性や知能を持っているからほかの動物よりも偉いのだと思うのはあまりにも驕り過ぎた考えだということを亡骸を見ながら思うのである。

この辺りをねぐらにして時には僕の船に糞を落としていたのかもしれない。ある意味、憎っくき相手で会ったのかもしれないがせめて彼がこの世に存在した証を残しておいてあげようとその身体を写真に収めた。

 

 

 

この週末は土日ともいい天気だ。しかし、潮はいまいちで午前8時40分には潮が止まってしまうが今日は加太に行く。噂ではサバが釣れているらしい。噂が真実でも僕に釣れるとは限らないがほんの少しおこぼれに預かれればありがたい。

 

今日も暖かい。ヒートテックの上下は着ているが、あとはヤッケの上だけ羽織ってバイクで港までやってきて、ヤッケの下を履くのを忘れて船に乗り込んでしまうほどであった。手袋もはめてはいたがそれもすぐに脱いでしまった。

 

できるだけ釣りをする時間を稼ごうと朝は午前5時14分に出港。もう少し早くてもよかったか、新々波止の前を通り過ぎた頃にはかなり明るくなっていた。

時間がないので四国ポイントに反応がなかったらすぐに第二テッパンポイントに向かおうかと思っていたら今日はその四国ポイントに大船団ができている。ホルムズ海峡クラスの混雑である・・。

 

 

これはきっとサバが釣れているに違いないとサビキ仕掛けを準備して船団のなかに突入してゆく。

魚探には時々ものすごい反応が出るがアタリはない。周りの船は時々魚を上げている。いつも思うのだが、あの人たちと僕は何が違うのだろう。アジやサバって、魚さえいれば何でも喰ってくるという考えを改めなければならないがそれをどうやったら改められるか、あまりにも引き出しが少ないので全然改まらないのである・・。

 

やっとアタリが出たのは3回目の流しの頃だっただろうか。型のいいサバが上がってきた。噂は確かであった。

その後は時々アタリがあるものの、ほかの船のように満艦飾のような喰い方はしてこない。常に1匹ずつだ。やはりほかの人とは何かが違っているに違いない。

ひとつはサビキじゃなくて高仕掛けのほうがよいのかもと考えて交換してみたがこれもぱっとしない。潮が緩みつつあったからかもしれないがサビキのほうがよかったような気がする。

そうこうしているうちに少しずつ船が少なくなってきたので僕も移動を決断。今日は新しく考えた仕掛けを試してみたかったので第二テッパンポイントに行きたかったのだが沖の方を見てみると沈船ポイントに船団ができている。

 

 

郷に行っては郷に従えで、新型仕掛けの試用は後回しにして沈船ポイントに行ってみることにした。この仕掛けのお披露目はもう少し先になりそうだ。

ここでも釣る人は釣っている。しかし僕にはアタリはない。いつでもどこでも必ず釣る西脇の漁船が僕の目の前で釣り上げたのを見て、やっぱり僕はダメだと心が折れてしまい、今日は潮が止まった後も頑張ってみようかと思っていたが潮止まりの午前8時40分に終了とした。

 

この漁師さんは見たところおそらく80歳近い年齢に見えるが僕がこの年齢までここで釣りをやり続けたとしてもこの人ほど釣ることはできないだろう。そんなことを思うともう、やっていられないと思うのである。いつものことだが、立ち直るにはしばしの時間が必要になりそうだ・・。

 

 

「ばけばけ」が最終回を迎えた。半年間も放送していたとは思えないほどあっという間に終わった感がある。これはけっこう面白かったので早く時間が過ぎてしまったのか、それともなんとなく観ていてなんとなく終わってしまったのか観終わったあとでもそれがよくわからないのだ。

僕の髙石あかり論は以前に書いたが、そういう意味ではあまり期待をして観始めたというわけではなかった。最初、このドラマのヒロインは別に髙石あかりではなくてもいいのではないかというのが正直な感想であった。しかし、ずっと観続けてみると、まあ、これはこれでいいのではないかと思えてきた。あの、生気のない真顔で怪談を語るシーンはこの人しか演じることはできないのじゃないかと思うのだ。それと、和服を着ての所作も練習して演じているというよりもこの人はずっとこの所作で生きてきたのではないかと思うほど自然であった。

そういう小さな部分の積み重ねが時間を忘れさせてくれたのかもしれない。

また、主人公が外国人というのでこれもきっと違和感があるぞと思っていたが、なんだかうまいことまとまっていた。

絶賛するほどではないが、悪くはなかったというところだろうか。「#OO反省会」というようなスレッドがSNS上でも立ち上がらなかったのだから世間もほどほどにはよかったと見ていたのだろう。まあ、そういう批判さえ出てこないほど誰も関心を示さなかったというのならそれはそれで残念だが・・。

 

そしてタラノメ採り。

先週の日曜日、調査に行っていたのだが、いくつかの芽は食べられるほどに成長していて、いくつかの芽はほんの少し緑色を見せ始めていた。これはきっと来週は間違いなく採り頃であると期待をしながら休日を待った。おおよその感覚であるが、そのエリアの桜が五分咲きから七分咲きくらいになった頃が採り頃のように感じている。週の半ば、和歌山でも桜の開花宣言があったので期待はますます膨らんでいた。

 

まずは海南市の住宅街の外れのポイントから入っていったのだが、道中の桜はほとんど花を咲かせていない。ここら辺りは市内よりも少しばかり気温が低いのである。

これはダメかと思いながら第5ポイントに行ってみると、確かに新芽が満開というには程遠い。もう少し先かと思ったがそうではなく、食べごろの芽は先に盗られてしまっているのである。

 

 

このポイントを見つけてから多分5年くらいになると思うのだが、その時は誰も盗った形跡を見ることがなかった。しかし、道からまる見えの場所なので僕が採っている姿を誰かに見られていたのだろう。少しずつ盗られる数が増えてきたが今年は特に大胆にやられている。僕に追随するのはやめてくれ・・。ここではほんの少ししか採ることができず、これでは叔父さんの家に持っていく分を確保できそうにない。

落胆していても仕方がないので第6ポイントへ。ここも食べられそうな芽はまばらだ。ここは盗られているのではなく、まだ芽が大きくなっていない。少し斜面を上ると日当たりのいいところにはそこそこ芽が出ている。

 

 

中には大きくなりすぎている芽もある。第5ポイントもそうであったが、今年の気温の変化の加減か、芽の成長具合にかなりのばらつきがある。

そういう状況というのは長期にわたって採れるのでありがたいが、休日が土日に限られている身にとっては来週まで待てば大きくなりすぎているか誰かに盗られているかのどちらかである。それなら一斉に芽を出してもらって一気に採って知り合いの所に配るほうがいい。

自然の摂理には逆らえないのであるが・・。

 

それでも3ケ所のポイントを周りエコバッグ七分目ほどのタラノメを採ることができた。早朝は今でも寒いのでヒートテックの上下を着てきたが斜面を上り下りしていると汗が大量に出てくる。いい運動になった。

一度家に帰って叔父さんの家とその近所に配る分を仕分けして港の近くの第7ポイントへ。ここはほかのところよりも遅いのでほとんどの芽はまだ開いていない。

ここの特徴は表のポイントと裏のポイントがあることで、ここを見つけた当時、裏のポイントは誰にも見つかっていない感じであったがここにも盗られた跡がある。裏のポイントは道路からは見えないが釣り人からは丸見えだ。なるべく人目につかないように朝早くに出てくるがここまでたどり着く頃にはかなり遅くなっている。おまけに釣り人も朝が早いのでかち合ってしまうのだ。

ここも成長にかなりのばらつきがあり、多分大きすぎて盗られなかったやつと採るにはちょっと早いかと思うが放っておいても誰かに盗られるであろう芽を採って市場へ向かい1回目のタラノメ採りを終えた。

来週は残っていたとしてもほとんどが大きくなりすぎているだろうが春の残り香を味わいたいと思っている。生石山も控えているので春はふたたび巻き返しとなるのだが・・

 

この分では新たなスポットを探さねばならないが、バイクで廻れる範囲で見つけることは至難の技なのではないだろうか。体力的にもあと10年以内には終わることになると思っている。これだけのポイントを抱えていれば間違いなく逃げ切れると思っていたが、ここにも逃げ切れないものが現れた。

世界はなんとも僕には冷たいものだと実感しているのである・・。

 

 

西野弘章 「避難所に行かない防災の教科書」読了

 

南海トラフ地震がいつ発生してもおかしくないという状況の中、これはきっと参考になるのではないかと思える本を見つけた。

この本のタイトルのとおり、僕は被災しても避難所へはいかないと決めている。人嫌いな人間がたくさんの人が集まっているところが居心地よいわけがなく、周りの人に迷惑をかけるだけだ。それに加えて避難所に指定されている中学校は僕の家よりほんの少しであるが標高が低い位置にある。津波が来たら僕の家よりも先に避難所が水浸しになっているんじゃないかと考えられるからだ。

古い家なので1981年以降の耐震基準も満たしておらず、この家は必ず倒壊する。僕はその傍らでテントを張り倒壊した家の柱を燃やしながら暖を取り調理をして過ごそうかと思っている。普通はかなり悲惨な状況に見えるが僕は密かにそれを楽しみにしているのだ。自宅でぼっちキャンプができるのである。こんなに楽しいことはない。

 

この本は、そういう過ごし方のノウハウや裏技が書かれているのかと思ったらまったく違っていた。今住んでいる家を災害に負けない強靭な家にDIYで改造する方法やある程度インフラが復旧するまでの2週間を生き延びるために必要なものは何かというものが紹介されていた。すなわち、「逃げなくていい家」をどうやって造りあげるかを説明した本なのである。建て替えるとなると大変なお金がかかるからある意味現実的な本だとも言える。

 

確かに、自分の家を燃やしながら生き延びようなどと考える人間はごく少数だろうからそんなことを書いても販売数は伸びないだろうし、そういうことを考える人間は普通、すでにそういうノウハウを持っているはずだからわざわざそんな本を読まなくてもいいのである。

 

家の強靭化についてだが、耐震という面ではホームセンターなんかに売っている建築用の金具がいいそうだ。柱と梁の交差点や軒下、基礎と柱の間に取り付けるだけでもかなり強化できるらしい。その他、耐震ベニヤで壁を補強するのもいいそうだ。

暑い時期や寒い時期に被災した時に備えて断熱化もお勧めだそうだ。天井や壁に断熱材を貼り付け、窓は二重窓に加工すると普段の生活も省エネでかつ快適になるらしい。

著者は自分の家を実際に改造して2019年9月の台風15号後の避難生活を乗り切ったそうだが、これは何をするのにもどんくさい僕にはハードルが高すぎる。むしろ、完全に倒壊したあと、いくらかの保険金をもらって強い家を建て直すほうが楽ちんではないかと思う。その時は前に〇〇のテクノロジーの本で読んだ3Dプリンターで建てる家にしようと決めている。

 

被災後の生活に必要なもののリストは参考になった。

特に電源、トイレ、水の確保というのは確かに重要だと感じる。個人的にはエンジン式の発電機が魅力的だ。なんだか他の遊びにも使えそうだ。

小型の冷凍庫というのも保冷力があり、少しの間なら時々発電機から電気を供給してやるだけで中のものはほとんど溶けないらしい。もっと家が広ければぜひとも欲しいところだ。

そして虫除けグッズも必要だそうだ。夏場に被災すると必ず虫が大量発生するらしい。ただ、これは焚き火さえあれば回避できそうなので僕には必要なさそうだ。

 

しかし、よく考えたら、僕は家が倒壊するという前提で避難計画を立てているのでこういったものはすべて家とともに破壊されてしまっているのだから持っていても意味がない。焚き火のセットだけを守って水と食料とトイレとシャワーは歩いていける避難所で調達するというのがもっとも現実的である。

それでも3日間は避難所も頼りにできないというのが定説らしいので水を含めた食料と簡易トイレくらいは準備をしておかねばと、2階が乗っかっていない玄関のホールにコンテナボックスを置いてそこに必要なものを溜め込んではどうかと考えながらやはり面倒なことはしたくないので何にも手をつけていない。結局、何の対策もしないままその時を迎えるに違いない。やはり焚き火セットだけを死守することにしておこう・・。

あとは紹介されていたロケットストーブがあればなんとかなるだろう。これもいつかは作ろうと思いながら面倒だし置くところがないしと思っていたが、これを機会に作ってみようかと考えている。

 

このブログを読んでくれている方々は、家が倒壊したらぼっちキャンプ避難をする前に家の下敷きになって死んでいるのではないかと思われているかもしれないが、正常性バイアスを強烈に持っている僕は震災で死ぬとか怪我をするということを全然考えていないのである。そんなことを考えている人間が一番危ないと思いながら

 

高田在子 「飛上りもん」読了

 

図書館でペラペラページをめくっていると、「紀州」という文字と「天狗」という文字が見えたので、御坊の興国寺の天狗伝説に絡んだ話かと思って借りてみたら、江戸時代に活躍した治水の技術者が主人公の小説であった。当時はこういう人たちのことを治水巧者と呼んだそうである。

主人公は井澤 弥惣兵衛(いざわ やそべえ)というひとであるが、この人について僕がいろいろ説明を書くよりもウィキペディアに書かれていることを貼り付けるほうがよくわかる。

 

承応3年(1654年)生まれ、 元文3年3月1日(1738年4月19日)没

江戸時代の治水家、旗本、美濃郡代。諱は為永(ためなが)。紀伊国那賀郡溝ノ口村(現・和歌山県海南市野上新)の豪農の出身。生年は1663年(寛文3年)とする説もある。

元禄3年(1690年)、徳川光貞に召し出され、紀州藩の勘定方に就任。紀州藩主であった徳川吉宗(後の第8代将軍)の命を受け、紀の川流域の新田開発を行った。その後、享保期に全国で新田開発が進み、享保7年(1722年)に将軍となっていた吉宗の命により灌漑や新田開発といった事業に尽力した。享保8年(1723年)には旗本となった(徳川実紀)。主な事業に、武蔵国の見沼干拓、見沼代用水開削、多摩川改修、下総国の手賀沼の新田開発、木曽三川の改修計画、鴻沼の干拓、小合溜井などがある。また、幕臣としても享保16年(1731年)に勘定吟味役、享保20年(1735年)に美濃郡代に就任して活躍した。

 

ウィキペディアでは関東での業績が主に書かれているが、紀州では海南市にある亀池の造成や亀の川の改修をおこなった人らしい。

井澤弥惣兵衛には師匠と言える人がいて、その人の名前は大畑才蔵という。この人はもっとすごくて紀ノ川の北岸を九度山辺りから和歌山市まで総延長32.5kmの小田井用水という灌漑用水の造成を指揮した人だそうだ。それは今も稼働しているという。大畑才蔵の手法は「紀州流」と呼ばれ、精度の高い測量と、丁場割という区間を区切って一斉に作業に取り掛かることで効率を上げるという作業工程が特徴である。用水の斜度は3〜5kmの距離で1mしかないという精度で、それを支えたのが「水盛台」という水平器だ。これも大畑才蔵が考案したものであった。

小説では

井澤弥惣兵衛は役人に取り立てられた後にこの人に弟子入りして紀州流を学んだということになっているがインターネットの中に見つかる資料では井澤弥惣兵衛が大畑才蔵を取り立てて小田井用水の事業をさせたということになっている。

どちらにしても井澤弥惣兵衛は大畑才蔵からこの技術を学んだことには間違いはないのだろう。

小説の中ではさらに、人を使いこなすために重要なことも大畑才蔵から学んだということになっている。これは、「作業にたずさわる全員がその作業の絵図面を頭に描けなければ事業は成功しない。」というものだ。労働するだけの人足でも自分が何のためにそれをやるのか、今やっていることはそのあと何になってゆくのかを知っていなければやる気も出ないしいい仕事に繋がらないという意味だが、なかなか含蓄があるし、来し方を振り返りそんなことを部下に伝えて仕事をしてきただろうかとたじたじとなる。

また、著者は、『そもそも、完全な自信を持って取り組める仕事などこの世にあるのだろうか。あるとしても、それは命懸けで挑むべき大仕事なのか。そんなものは使命と呼べぬのではないか。完全に自信を持って取り組む仕事など仕事のうちに入らない。七分ほど成功する見込みがあれば、腹を括り勇気を持って挑むべきだ。』と主人公たちに語らせている。少しでも失敗する可能性があることには手を出さないことにしている僕はこんな文章を読むとますますここにいられなくなるのである・・。

 

そんな偉人たちであるが、この人たちの存在を今の今までまったく知ることはなかった。井澤弥惣兵衛は徳川吉宗の下で関東の治水事業をおこなったそうなので、暴れん坊将軍や八代将軍吉宗のドラマの中に登場していたのかもしれないがこういう本を読んでいなければ気がつかなかったであろう。

今は、和歌山県の小学校の地域学習として、華岡青洲、濱口梧陵、井澤弥惣兵衛の3人のことを教わるそうだが僕の時代には多分教わることはなかったのだと思う。(習っていたとしても間違いなく忘却の彼方に行ってしまっていただろうが・・)

しかし、井澤弥惣兵衛の出身地のことを調べて地図をたどってみると、そこは山菜採りのために毎年通っているところであった。

 

 

道中に大きな石碑が建っているのは知っていたが、多分この人はこの辺りの篤志家か何かだろうと思っていたらそれが井澤弥惣兵衛を顕彰する石碑であった。もう、何十年もその前を行ったり来たりしていたのに申し訳ない・・。

確かに、貴志川はこの辺りで直角に曲がっているので昔から洪水には悩まされていたのだろう。事実かどうかは知らないが幼なじみを洪水で失ったことが治水を志すきっかけになったというのもその光景を見ると説得力がある。

ついでに、この人の業績のひとつである新川(地元では亀の川よりもこの名前のほうがよく使われる)は祖父や叔父に連れられて遊んだ場所であり今でもタラノメを採る場所でもあるのだから重ね重ね申し訳ない・・。

 

「飛び上がりもん」というタイトルの意味は“変わり者”ということらしいが、若い頃から曲りくねった川をまっすぐ通し直して一気に水を海まで流すことで洪水を無くすのだという、従来では考えられないような手法を言ってみたり、神社やお寺よりも高い場所に家があるというのは神仏に背いていると言って家を低い位置に建て替えたりという行為が周りの人からそう呼ばれたのが原因だそうだ。ただの飛び上がりもんで終わってしまってはそれまでだが、新しい道を切り拓いて偉業を成し遂げられる人というのは得てしてそういう突飛な心持ちがある人で、のちにそれは尊敬の言葉となるのである。

 

これも実話なのかどうかはわからないが、小説の中では、子供の頃は自分が賢いということを鼻にかけて天狗になっていたことを悔やみ、自分の部下や事業に関わる人たちの心の内に入り込んでまとめてゆく。「お前たちは子供たちのために水田を広げたくはないのか!」と庄屋の1室で演説をぶみあげるシーンなどは、いやいや、そんなことはいくらなんでも言わないだろうと思うほど作り話っぽいのだが、きっとそれは井澤弥惣兵衛の心の内はそのとおりで、それが時代小説になるとこんな表現になるのだと思うことにする。

そしてクライマックスは現代の埼玉県から東京都にまたがる総延長85kmにも及ぶ見沼代用水の建設と見沼溜井の干拓事業である。100年前からこの地を治め、灌漑を目的とした見沼溜井の建設に貢献した伊奈家との確執を乗り越えるドラマもやはり時代小説的であり暴れん坊将軍的であり水戸黄門的ではあるが、そこまでドラマティックで人情劇っぽくはなかったのだろうがよく似た出来事はあったのであろう。それを乗り切れたというのは本当に井澤弥惣兵衛の人格があったからなのかもしれない。

 

井澤弥惣兵衛が徳川吉宗の命を受けて江戸に出てきたのはなんと60歳を過ぎてからだそうだ。この本も、最初の3分の1が紀州時代で残りは関東での活躍の話である。この人の名を全国に知らしめたのはそんな年齢からの活躍なのである。僕などは、あと2年もしたら完全リタイアだと思っているのでこんな話を読んでいるとさらに頭がクラクラしてくる。

やはり飛び上がりもんの考えていることと行動力は普通の人間には想像することも真似をすることもできないのである。

 

場所:水軒沖

条件:大潮7:01満潮 13:08干潮

釣果:ボウズ

 

大きいほうの船は3月に入ってからまったく乗っていない。それどころか気がつけばまる一か月も乗っていない。今日はNさんからワカメ採りの召集がかかっているのでそれまで船のエンジンを回しがてら釣りに出ることにした。
集合時間は12時15分なので加太へは向かわずアマダイ狙いとした。アメリカのイランへの軍事作戦のおかげで燃料代が急騰しているというのもその理由のひとつだ。株価も下がるし、何もいいことがない。トランプはとんでもないことをやってくれたものだ・・。トランプはイランは脅威だと言うが、本当に脅威なのだろうか?軍事的にも経済的にも、そのほか何もかもについて優位に立っている相手が脅威となることはないと思うのだが・・。たとえ将来において核兵器をイランが持ったとしてもお互いそれを使えるということはないのだから均衡の時代に移るだけのような気がする。むしろ、この戦いに完全勝利ができなければ、たとえ大国といえども勝てない戦争があるということを世界に証明してしまうことになり、アメリカの世界に対する絶対的優位が脅かされるだけだろう。イスラエルとの付き合いもほどほどにしなくては・・。

話を釣りに戻す。
明日は春分、夜明けはかなり早くなってきた。ちょっと早めに出てきたつもりであったが出港の頃にはすっかり明るくなってしまっていた。田辺でもそう感じていたのにゆっくり出てくるとは学習能力がない・・。

 



いつものとおり双子島沖で仕掛けを下ろすがまったくアタリがない。思っていた以上に風が強くて仕掛けが底に安定していないので50号のオモリでなんとか耐える。こんな時はまあ、仕方がない。風はきっと治まってくるはずなのでそれを待つ。
午前9時ごろになってくると風が少し治まりはじめたのでオモリを軽くしてアタリを待つがやっぱりアタリが出ない。その間、雑賀崎の沖や水軒の沖を転々とするが生命反応はまったくない。

 

 


いつもの自販機のゴカイも物価高に乗ったか、こころなしかパックに入っている分量が減ったような気がする。

 

 

これじゃああっという間にエサがなくなってしまうじゃないかと思ったがそんなことは杞憂であった。アタリがないとエサの交換の必要もなく半分くらいを海に捨ててしまって午前11時に終了。

1時間もあれば帰り支度をしてワカメ採りの準備ができるかと思ったらNさんたちは僕が港に戻った午前11時20分ごろにはすでにやってきていた。意気込みが強すぎる・・。
僕も船の仕舞いだけをしてNさんたちの船に乗り込む。

当初、住金一文字のテラスになっているところで採ると聞いていたが、ここはまだ大きくなっていないということで釣り公園の横のテトラに行くという。
う~ん、テトラか・・。僕はテトラが怖いのだ。中学生の頃、今は操業を終わってしまっている初島の東燃のテトラで怖い思いをして以来、テトラでの釣りはトラウマになっているのだ。だからそれ以来、テトラには近寄ったことさえない。
Nさんは大丈夫というが、きっと何かが起こると思いカメラを船に残してテトラに上陸した。だからこれ以降の画像はない。
しかし、NさんとanotherNさんは根性があるというか、操船技術がすばらしいというか、テトラに船を近づけて上陸しようというのだ。おまけに船を沖に無人で係留させているのだ。僕は小船でもこういうことはできないであろう。

Nさんたちの言う通り、ワカメは大量に生えている。それをカマで刈っていくのだが、簡単なようで難しい。まず、ワカメが繁茂しすぎていて茎の位置がわからない。うまく切れたとしてもどれが切れたワカメかわからない。カマも切れ味がよすぎると引っ掛けて引き上げるときにワカメが真っ二つに切れてしまう。このカマはスクリューに絡まったロープなどを切るために準備していたもので、1.5メートルほどの柄を取り付けられるようにしていたのだが、それでもテトラの上では短すぎた。へっぴり腰で採っているので余計に手が届かない。Nさんたちは僕の3倍ほどの量を採っていたが、いったいどうやって採っていたのかわからない。僕は移動するのが怖くて船のそばを動けなかったのだが、お二人はどんどん別の場所に移動してしまっていたからだ。僕よりも歳上のひとばかりなのに・・。
今度はタモの柄に取り付けられるように改良して臨もうと思う。それよりも、小船でここまでやってきて船の上からカネでグリグリやるというのがいちばん効率がいいように思う。
まあ、いつものポイントで採るというのがベストに違いはない。しかし、毎年仮病を使えるわけではないので、生育が1週間ほど遅れると思われるこの場所はリザーブのポイントとしては貴重なものになるのかもしれない。

 



このブログの下書きを書いている途中、ある釣り番組で、アマダイが釣れるようになったのは黒潮の大蛇行が原因で取材した海域の水温が上がったからだと言っていた。取材場所が静岡県だからそういうことになるのだろうが、水軒沖でアマダイが釣れ始めたのも大蛇行が始まった2017年くらいではなかったかと過去の記録を調べてみたらその時期はもっと遅くて2022年が最初であった。もっと前から釣れていたと思っていたがまだ4年ほどしか経っていなかったのである。たしかに、紀伊半島沖で始まった蛇行は紀伊水道の海水温を下げる効果があるということで、出演者が言っていることとは逆の現象が水軒沖では起こっているということになる。

それでもアマダイがやってきたとなると地球温暖化の力だけで高くなった水温に導かれたからということになるのだろうか?それならば大蛇行が解消してさらに海水温が高くなってくるといったいどうなるどうなるのだろうかと恐ろしくなる。それとも、温暖化で温まった海水温は黒潮の海水温よりもすでに高くなってしまっているからこれ以上は暖かくはならないのだろうか・・?いやいや、元々下がるはずが上がっているのだからまだ上がるということかもしれない。せめてこれ以上は上がらないことを祈っている。
その蛇行が解消されつつあるというニュースが去年あった。

 

 

もう、通常ならチョクリの季節に入っていて、今年はその効果を期待できないなと思っていたが、菊新丸さんからの情報では、今年はすでに沖の方から暖かい潮が入ってきているらしい。これはきっと黒潮からの分流が原因なのだろうと思う。今年は少なくとも何かが変わることは確実だろう。そして、因果関係があるのかどうかはわからないが、アマダイと引き替えになるようにチョクリでマルアジとゴマサバが釣れなくなったのは事実だ。
何かが変わるのならチョクリで魚が釣れるようになってほしい。アマダイと引き替えになってもそう願いたい。ついでにキスも釣れるようになってはくれないだろうか?

僕は世の中のエリートビジネスマンとは違い、変わることよりも何も変わらないことを望んでいるのである。ずっと釣れていた魚が釣れてくれるという、それだけでいい。


 

 

日経BP 「日経テクノロジー展望2026 未来をつくる100の技術」読了

 

取り返しのつかないヘマをやってしまった。

最近は、ブログの原稿を書くことをスマホを使って書いている。今回のブログもスマホで書いていたのだが、せっかく書き上げた原稿を誤って削除してしまった。途中まで書いたものはメールでパソコンの方に送っていたのであるので新たに書き足すこともできるのだが肝心の本をすでに図書館に返却してしまっている。昨日、現行の仕上げを図書館でやっていて、それができあがったのでその場で返却をしてしまったのだ。そして何の気なしにファイルを削除してしまった・・。まだブログにもアップしていないのに・・。まったくアホである・・。

 

とりあえず記憶に残っているものを書き出すと、今年は特にAIが注目されている。対話型AIはAIエージェントに進化し、コンピューターに向かってこんなことをしてくれと呟くとあとは何でもやってくれるというものだ。スタートレックに出てくるエンタープライズ号の艦橋みたいな世界が現実になるということなのだろう。

AIの弱点は大量の電気を食うということだが、それに対応するために電流を使わずに光を使って信号を送るというコンピューターも生まれつつある。こうなってくると間違いなく人間がAIに敗北する時代がやってくるということなのだろう。

 

バイオの分野では豚の腎臓を人間に移植するというテクノロジーが紹介されていた。僕はそこまでして生きていたくはないし、きっとこれはものすごくおカネがかかる治療になるのだろうから人生梅コースと思っている僕には無縁のテクノロジーに違いない。

 

スタートアップ企業の資金調達の伸びから見ると、1番の注目テクノロジーは「岩石風化促進」というものだそうだ。カルシウムやマグネシウムといった成分を含む岩石が溶解して大気中のCo₂と結びつくと、炭酸塩や炭酸イオンとして固定化される。結果、空気中のCo₂を除去することができるそうで、自然環境下での岩石の風化現象は1000~1万年かかるものを岩石風化促進では岩石を破砕して表面積を拡大することで人為的に炭酸塩化を加速させるため、数年でCO₂を固定できるのだそうである。

なんだか普通の生活においてはあまり恩恵のないものであるが、こういうテクノロジーが注目されるほど地球温暖化は深刻なのだろう・・。

 

と、まあ、こんな感じである・・。

 

場所:田辺湾 金谷

条件:中潮5:25満潮 11:17干潮

釣果:チヌ2匹 (脱走)真鯛2匹 サゴシ1匹

 

今日は62回目の誕生日だ。60歳を過ぎたら磯釣りからは足を洗おうと思いながら今年も来てしまった。

去年から予約制になったというので前日に予約の電話を入れたついでにホームページを見てみたら来月から500円の値上げになるらしい・・。

 

 

いよいよ今年が最後の釣行になりそうだ。田辺への釣行のたびに同じようなことを書いているが、ガソリン代や高速代を含めた交通費を含めると1回の釣行にかかる費用は1万円を超えるようになってしまった。体力の衰えの前に財力がついてゆかないという状態なのである・・。

今日は弁当船の名残りの午前中の見回りも来なくなっていて、渡船屋も燃料費の高騰に難儀しているようだ。客数が減って固定費も上がるとなるとかなり苦しいのだろう・・。

 

出港時刻も遅くなり、今日は午前6時だそうだ。去年も少し遅くなっていたがそれでも磯に上がってすぐはヘッドライトがないと準備ができなかったが、この時間ならその必要がない。ロッドケースに入れたヘッドライトを抜き取って田辺を目指した。出港時刻が遅くなったので家を出る時間も遅いというのは楽でいいのだが、これが落とし穴であった。ETCの深夜割引は午前4時までにゲートを通らねばならないことを知らなかった。南部のゲートをくぐり抜けたとき、1350円と料金が表示されたので、あれれと思ったがあとの祭りであった。家を出たのは午前3時40分ごろだったので海南インターを通ったのは午前4時をほんの少しだけ過ぎていたはずだ・・。僕だけひと足に500円分の値上げの波に飲まれてしまっていたのである・・。

 

港に着くと船頭さんもすでに出てきていたので、一番船がえらく遅くなりましたねと聞くと、予約制にしたから来る人がわかっているので遅くてもいいのだというよくわからない答えが返ってきたがその後にボソッと言った、「船頭も歳だからよ~。」というのが本当のところなのだろう。この人も多分80歳を超えているだろう。そして客数は少ない。今日も10人ほどしかいない。本格的な春磯のシーズンはもう少し先なのだろうけれどもそれにしても少ない。それについても船頭は、「客の数は減ってしまった。時代も変わったんよ・・。」と言っていたが確かにその通りなのだろう。あれだけ大量にいたイカ釣りの客は去年も今年も皆無である。磯釣りというのは人気がなくなってきているのかもしれない。僕の顔を見て、「久しぶりやな~」と毎回言ってくれるというのは、それだけ新しい客も新たに常連に加わるような客もいないということだろう。それでも船頭は出港前よりもかなり早く出てきていたので本音ではきっともっと早く行きたいのだろう。当局の指導も入っているのかもしれない。

 

船が離岸してから遅れてやってきた客の準備を待って再度離岸した時にはすっかり明るくなってしまっていて、デッキの上からこんな景色を見たのは初めてだなと思いながら目的の磯への到着を待った。

 

 

今日の金谷は二人だけ。他の一人はフカセ釣りなのでライバルはいない。

 

 

しかし、このおじさん、こんなに環境がいいところでラジオを聴き始めた。ラジオというか、できの悪い自動音声のようなへんな声が聞こえてくる。ブルートゥースのスピーカーを使っているらしく大音量がやたらと耳障りなのである。ケンカはやりたくないがこっちは波と風の音を楽しみたいのでしびれをきらせて音を小さくしてほしいと申し入れなければならない。

少しホッとして釣りを再開。スピーカーの音が静かになったからか、すぐにアタリが出た。小さなチャリコだ。それまではエサは取られるが鈎には乗ってこなかったので音波は海の中まで響くのかしらなどと思っていたら今度は本格的なアタリが出た。午前8時、ダンゴを投入し始めてから約1時間半後、乗っ込みチヌとしては小さいが40センチほどのサイズを確保。ボウズがなくなってホッとした。

午前9時過ぎくらいまでは風は穏やかで釣りはしやすいが潮の流れはほとんどなくアタリはほとんどない。次のアタリは30分後であまり欲しくない脱走真鯛だった。

午前10時を過ぎてくると風が強くなってきた。ほぼ後ろからの風なので釣りづらいということはないが底は取りづらくなってきた。道糸を新しくしているので元々の浮き止めの位置がむちゃくちゃになっているので余計に底がわからない。何度か底を取り直してみるがどうも仕掛けは底を這っているようだ。まあ、完全に底が切れているよりマシかと思いながら適当にやっていた。

お昼前くらいになって少し風が緩くなってきた。潮は終始緩くておまけに右と左に頻繁に向きが変わる。風が緩くなると右に流れて強くなると沖から潮が入ってきて左に流れるという感じだろうか。風が強く吹くとウキも大きく流れる。ウキを大きくしてガンダマを打ったりしてできるだけ仕掛けを安定させるとアタリが出る。やっと2匹目のチヌが上がりその次は真鯛だ。

今日は間違いなくチヌが少ない・・と、思う。たまにウキが入ったかと思うとチャリコや真鯛で、大きな魚がいないのかこれが僕の腕前の限界か今日の釣果はこれで終わった。

 

今日はバラしも多かった。そのうちの一匹は多分チヌであっただろう。ほかには道糸を引ったくっていくアタリが出たもののあまり引きが強くなかったので油断しているうちに足元の磯に潜られハリスがきれてしまった魚があった。これはきっとグレだったのだろう。ボラのスレか道糸から切れてしまった魚もあった。春はめったにボラが来ないが今日はほかにも2匹ボラが釣れてしまった。仕掛けの回収中に掛かったサゴシはうまいことほっぺたに鉤掛かりしていたから獲れたが、今日の最後のアタリは同じく仕掛けを回収している最中に来た大物であった。多分メジロクラスのハマチであったのだろう。2.5号のハリスはかなり頑張ってくれて、一瞬魚が止まったのでこれはひょっとして獲れるのかと思ったが再び走り始めハリスのより戻しの結び目から切れてしまった。この時間が午後2時50分。後片付けと魚の処理のために午後3時10分には終わろうと思っていたので残り20分あるがわざわざハリスを結びなおすのも面倒になりこれで終了とした。

チヌが少ないと書いたが、青物らしきものやサゴシが釣れるということはきっと沖からはいい潮が入ってきていたのだと思う。それを攻略できなかったというのはまだまだ未熟だということだ。

 

最後の最後でハリスを切られるというのは、きっと海の神様からこれで君の磯釣り人生は終わったのだよという引導を渡されたと思うとなんだか寂しくもすっきりとしたのだが、別の方向から考えてみると、君はこんなに多彩な魚がいる場所に本当に見切りをつけることができるのかと同じ神様から誘惑されているようにも思えた。

リールはすでにクラッチがグラグラになっていて勝手に逆転してしまうし、スパイク付きの長靴もとうとうひび割れが発生してしまった。

 

 

クーラーボックスもかなり老朽化している。このサイズで足を付けた外枠を作っているのこのクーラーボックスが壊れると代替品がない。これらすべてを買い替えたり新たに作ったりして臨むほどは間違いなく長くはこの釣りを続けることはできない。かと言いながらこのリールは今でも今日の最後の強烈な引きに耐えてくれるほどの性能を維持している。長靴のひび割れも菊新丸さんに教えてもらったテントの補修シールであと数年は使えるかもしれない。クーラーボックスも船の釣り用に新たに購入して今のクーラーボックスを温存するという方法もある。そのためのジャイロキャノピーの荷台も改装しつつある。

 

 

やはり心の奥底では間違いなく未練があるのである・・。

 

渡船屋の名簿に書き込んでいる人たちの年齢を見てみると62歳というのは完全に高齢者の部類で年齢を書きこむのが恥ずかしく、そもそもどうしてこの名簿に年齢を書く必要があるの?と思ってくる。渡船屋は、足元のおぼつかない老人は遠慮してくれと言いたいのかもしれないが、師は、「大人と子供のちがいは 持っている玩具の値段のちがいだけである。」と言ったが、釣りの世界も同じだろう。

そんなことを思いながら、はて、来年はどうしたものかとすでに悩み始めているのである・・。

 

 

よいワカメが採れる時期が終わりに近づいている。多分、今年のベストは先週であったはずなのだが週末は天気が悪くて断念せざるを得えなかった。今週末の予報を見てもなんだか天気が怪しい。やきもきした気持ちで週間天気を見ていると今日か明日は行けそうだ。その後も雨は降らなさそうなので干すのにも都合がいい。

しかし、有給休暇は取っていない。そんな先のことを読んで有給休暇を取ることができる訳がない。

前の会社の最後の職場はうんざりするほど人間関係の悪い所であったが自由に休みを取れるというところだけはよかった。実際、明日はワカメ採りだと急遽休みを入れたこともあった

今の会社は土日しか休みがなく時々有給休暇は取れるが事前に入れることしかできない。

もう、これは仮病を使うしかない。定年退職後の再雇用の身で、笑点の座布団運びみたいなものだから責任のある仕事でもない。山田隆夫の仕事はこの人がいないと成り立たないが僕の仕事はそれ以下だ。上司に、もっとチャレンジングに仕事を探して積極的にと言われても、その先には何もないのである。こういうことをほんの数日前に言われて、あぁ、どういう根拠か知らないがそういう評価なんだと座布団運びもめんどうになっていた。

そういうことも後押ししてくれたが、加えて幸いなことに、今年から花粉症になったらしく、1週間ほど前から鼻がグズグズしていて加えて風邪気味なのか昨日はもっと鼻の調子が悪くなってきた。これ幸いに、夜中に鼻血が出たということにして休んでやろうと考えた。僕は本当に時々鼻血を出すのだ。1週間ほど前も、朝、顔を洗っているときに鼻をかんだら血の付いたかさぶたが出てきたのであながち仮病というわけでもないのだ・・。

だから、今日の収穫についてはSNSなどには一切アップできないししてもいない。このブログには会社の関係者はおそらくアクセスすることはないだろうと考えているので正直に真相をお話するのである。

今の時代は便利だ。わざわざ上司に電話をしなくてもLINEのコメントひとつだけで完結する。変な芝居も変な声色も必要がなく、後ろめたさもなんだか薄まってしまうような気がする。かわいい社員さんたちに「具合はどうですか?」などと聞かれると心苦しさもあるがそれを気にしていてはワカメは採れないのだ。

 

そして翌日、朝から行こうか、それとももっと潮位が下がる昼からにしようか迷いながら、130センチの潮位でも行ったことがあったよなとかすかな記憶を元に朝一に行くことにした。

本当は夜明けを待ってすぐ船を出すほうがいくらかでも潮は低いのだが、本当に風邪気味なので自然に目が覚めてからとゆっくり構えていた。起きるのがあまりにも遅過ぎたら午後の引き潮の時に行けばいいくらいの気持ちであったのだが、後からこれは考えが甘かったということがわかった。

幸いなことに午前6時半には目が覚めて30分後には家を出て午前8時前にはポイントに到着していた。そこからはひたすら採りまくる。潮位は少し高いが大丈夫だ。

 

 

ワカメはいい具合の大きさに成長していて岩の割れ目にはびっしりと生えている。

磯の際に船を留めているので座礁して怪我でもしたらどんな言い訳をしようかと考えていたが、幸いなことに風は穏やかな東風だ。船は常に岩礁の反対に流されているのでそんな心配もなさそうだ。こんな僕にでさえ天は味方をしていてくれているかのようである。

 

1時間ほどでこれくらいはほしいと考えている量を採ることができ、午前9時半頃から干す作業を2時間。干す作業のほうが倍の時間を要する。毎回めんどう臭いが仕方がない。

 

 

 

ぎりぎりお昼ご飯の前に後片付けまでを終えることができた。

 

 

お昼ご飯を済ませて県庁の税務課へ。

ずっと放りっぱなしにしていた軽油の免税証の返却のためだ。次の分がもらえないとなるとわざわざ出向く気にもならないのだが、2月21日のブログにQ太さんがコメントしてくれていたとおり、NHKのローカル番組で1月17日のブログにアップした写真を投稿したらそれが取り挙げられ、県民文化会館に展示をしてくれているというのでせっかくだからと見に行ったついでだったのだ。

 

 

 

構図が良いと褒めてもらったことがうれしくて調子に乗ってしまったというわけだ。

 

 

 

 

持ってくるのが遅過ぎると叱られることもなく無事に返却を終え家に帰ってきた頃には北風がかなり強くなっていた。これでは午後から海に出るのは無理だったなと午前中に行っておいてよかったと胸をなで下ろしたのである。

 

 

今日のワカメはあまり匂わない。いつも思うのだが、強烈に匂う時とあまり匂わない時があるのはなぜだろう。匂う時というのは多分、細胞の呼吸腔みたいな所が開いて中の成分が漏れ出てきているのだろうがそれはどんな時なのだろか?水温か、それとも干満の差なのか・・。今日は満潮時に採って、気温から類推すると水温はかなり低かったと次回の検証のために記録しておこう。

 

 

ロビン・ウォール・キマラー/著 三木直子/訳 「植物に学ぶギフトエコノミー: 互恵で豊かになる暮らし」読了

 

ネイティブアメリカンの植物学者が書いた、現代資本主義批判だ。アメリカでは刊行以来ニューヨークタイムズ紙のランキングでベストセラーになっていると背表紙に書かれていた。

植物学者らしく、サービスベリーというブルーベリーに似た植物の果実から着想を得てギフトエコノミーというものを語っている。

僕もこの言葉に引かれてこの本を読んでみようと思ったのだか、この言葉を単純に日本語に直すと「贈与経済」となる。前に勤めていた会社ではギフトとして購入される商品が売り上げのかなりの部分を占めていたのでたしかにギフトというものは会社の経済にとっても必要不可欠なものであったのだが、著者が言うギフトエコノミーはそういうものではない。ちなみに高市総理がフリーチョイスギフトを発注したのもその会社である・・。

フリーギフトとサービスベリーから得られる教訓にはふたつの意味があって、ひとつは自然からの恵みとしてのギフト、そしてもうひとつは互いに贈り物をし合うことで成り立つ経済というものである。後者はバーター経済のようなものを指しているのかもしれないが、

どちらにも共通するのは、必要以上に消費をおこなわず生きることが幸福をもたらすということで著者の主張でもある。

 

自然界から得られる植物や動物といった資源は人間側が取り過ぎずかつ適度な手入れをしてやると際限なく恵みを与えてくれる。人間が手入れというギフトを贈ると自然もそれに答えてくれる。また、人間同士の贈り物の交換は生活も心も豊かにしてくれる。

人間はサービスベリーから学ばねばならないというのである。そして著者はそういった生活をすることが持続的な社会を実現するのだという。

確かに物を贈り合うというのは心と懐に余裕と温かみが生まれる。僕は何かを買ってきて人に贈るということはまずしないが、釣ってきたものや採ってきたものをいろいろなところに配るのは常である。それはひとつの楽しみでもあり、時々はお返しをもらってよろこんだりもする。

しかし、それで生活が成り立つほど現代は単純な構造をしていない。これは狩猟採取が中心とまではいかなくても、生活に必要なもののほとんどを自分の周りで調達したり自分で作ったりしてこと足りた時代のものだろう。

 

著者が考える資本主義社会とは豊かさの代わりに何かが不足した状態を生み、分かち合う代わりに溜め込むことを促進するシステムだという。(ちなみに経済学とは、『 希少性(需要に対する供給の不足)に関する研究』だそうだ。)しかし、僕が考える資本主義社会がここまできた理由というのはひとえに“死にたくない”という願望が突き動かしてきた結果だと思っている。資源を蓄え、いざという時に備え、資産を生み出した余剰分で医療技術や清潔なインフラ、福祉を充実させてきた。その悪いほうの副産物として生態学が語るように人口爆発がおこりさらに需要に対する供給の不足を生み出したという姿が現代ということなのだろう。その前には、人間には欲望があり、「コモンズ(共有地)の悲劇」という言葉が示すとおり、共有する資源は競合する私欲によって破壊され、公共財を私的な商品に変換しようとする動きも必ずある。どちらにしても社会は資本中心に動かざるを得ない。社会主義の失敗もここにあるのだ。

 

著者のいうことは確かに理想だが、そのためには寿命と引き替えにすることを覚悟しなければならないだろう。文章の中には、どういうわけかは知らないが、エクソン・モービルの現社長のダレン・ウッズという人が悪の象徴のように書かれていたり、災害が残した残骸の中からは突如として贈与経済は現れるのだからやれないことはないと主張したりしている。結局、そういうところからもなんだか独りよがりの主張のように見えてしまうのである。災害のあとにはたしかにそういった互恵性(レシプロシティ)は生まれるがそれはいつまでも続くわけではなく一過性のものであるのは明白である。

 

とはいいながら、心の底ではギフトエコノミーという考えは、寿命なんて無視してもいいほど僕にとっても理想的な生き方であると思っている。