イレグイ号クロニクル Ⅲ

イレグイ号クロニクル Ⅲ

釣りと読書の記録を綴ります。

 

生形貴男 「かたちと進化の謎 生物の進化を「数理の目」でよみとく」読了

この本はブルーバックス新書が京都大学とコラボレーションして企画されたシリーズだそうである。世界中では、「人と違ったことをしなくては」という考えで研究がおこなわれているが、京大では「面白いからやっている」だけであり、そういった研究者を信頼してやりたいことをやらしてくれる環境がある。それがきわめてユニークな研究が生まれる理由であり自由な学風の象徴にもなっている。
このシリーズは、そういった斬新でユニークな研究を紹介することによって若い読者へ将来の期待を込めたものだとされている。紹介欄の締めくくりは、「後生恐るべし」となっている。
まあ、僕のような先が見えてしまっている人間には読む資格はないのである。

内容もそのとおりで、まったくわからない。タイトルだけを見て、色々な生物の形と機能みたいなものがまとめられているのかと思っていたが、京大の研究はそんなものではない。サブタイトルのとおり、数学で解析しようという研究の紹介であった。
貝の巻き方は対数関数で表現できるということは他の本で読んだけれども、それをさらに発展させたのかどうか、統計学なども駆使して分類や進化の過程なども数理的に解明しようというものだ。そういうことが解らないのでこの本の内容も理解できないのである。
分類や進化というと、今時DNAの分析でやるものだろうと思うのだが、著者の専門は古生物学なのでDNAの解析ができないというところから数理的解析という方法を使っているらしい。

そこまでやってすでにこの世にいなくなってしまった古生物の謎を解かなくてもいいのではないかとも思うのだが、さすがは京大である。確かにやりたいからやっている感は全開である。

そこでふと思うのである。生物の形をすべて数理的に表現できるということはコンピューターの中に生態系を再現できるということだ。少なくとも形だけは。これはきっと、遠い将来、地球に生物が棲めなくなった時、AIがコンピューターの中に生態系を、それも地球の歴史をすべて盛り込んで再現するための布石なのではないだろうか。この前読んだ本にも、中身は関係なくてどのように表現されているかが問題であると書かれていたから、形が最も大切なのである。
その頃には人間もやはりこの世から消えていて、AIは自分たちが地球上の生命を引き継ぐものであるということを正統化するためにその歴史を保存しなければならないと判断したのかもしれない。そのために京大の研究が利用されたのだ。

内容がわからないからこんな妄想しか出てこないのである・・。
 

場所:紀ノ川河口~水軒沖
条件:長潮8:16干潮
釣果:ボウズ

あんな魚を釣ったらもう一度行かないわけにはいかないだろう。今日は仕掛けを新たに作って参戦だ。しかし、今日はタチウオはおろか、飲ませ釣りにもアタリはない。

この時期からタチウオが釣れてくれないと釣期は残り半月ほどしか残らないではないか・・。今年は最悪の釣果で終わってしまうのではないだろうか・・。一体何が悪いのか・・。

 


飲ませ用のエサの確保はすぐにできた。今日も魚探には反応がびっしり出ている。昨日は豆アジだけであったが今日はイワシやサバやウリボウが混じる。イワシはきっといいエサになるのだろうがバケツに溜めた海水の中だとすぐに死んでしまうので豆アジとウリボウだけを残してポイントへ。

 



しかし、昨日とは打って変わってまったくアタリがない。何度かエサを取り換えてみるがダメだ。昨日と何が違うのか・・。
いくつか要因を考えてみる。
①    仕掛けがまったく違う。今日は飲ませ釣りの仕掛けを作ってきた。資材箱に入っている中で強度がありそうな鈎を探すと金鈎があったのでそれを2本バリにして仕掛けを作ったのだが、金色というのが悪かったのだろうか・・。釣り具屋に行って市販の仕掛けを見てみたら確かに金鈎を使った仕掛けは並んでいなかった。

 

 


②    ベイトが違う。今日はイワシとサバが混じっていた。サバはともかく、イワシがいると魚たちはそっちへ意識が向いてしまうのだろうか・・。釣りをしていた場所が悪かったか・・。
③    昨日釣れた潮の時間は底から1時間ほど経ってから。今日は1時間40分ほどあとにずれているので潮が止まっている時間に釣っていた。


仕掛けの問題というのが大きいのかもしれないがそのほかのふたつの要因も複合的に絡んでいるのかもしれない。飲ませ釣りについてはまったく知識がないのでもっと検証が必要である・・。
 


場所:紀ノ川河口~水軒沖
条件:小潮6:30干潮
釣果:メジロ1匹 タチウオ1匹

タチウオが釣れない。
去年の今頃は電気ウキも拾っているから不調な年であったとはいえそれなりに魚は回ってきていたはずだ。しかし、今年はほとんど影が見えない。ずっと続けていればいずれは群れに遭遇するのかもしれないと今日も行ってみるが、先々週の5匹で終わってしまったらどうしよう・・。
タチウオはどうなるかわからないので今日は新々波止で釣れているというアジも狙ってみようと考えている。

出港は午前4時11分。

 

 

キリンクレーンを少し過ぎたところから仕掛けを流し始めるがすぐにアタリはでてこない。昔は仕掛けを下ろしきらないところからアタリが出ていたものだがそんな頃はいつだったかを忘れてしまうほどになってしまった。仕掛けを流しながら青岸方面に移動するがアタリはない。

 


やっとアタリがあったのはかなり明るくなってからであった。それも指3本もない小さなものだ。これ以上やって釣れたとしても数は知れているのでアジ釣りに変更。

魚の反応はいっぱいある。これはいけそうだと小さなサビキ仕掛けを下ろすとすぐにアタリがあった。しかし、これは本命の中サイズではなくて豆アジだ。あれ、ひょっとしてこれは飲ませ釣りのエサに使えるんじゃないかということで5匹ほど釣って、ここでアジか釣れなければ住金一文字まで行こうと考えて持って来ていた飲ませサビキの仕掛けに1匹だけひっかけて釣りを開始。

 


アタリはすぐにあった。ドン、ドンと竿先を押さえ込んでくる。どのくらい待てばいいのかわからないので適当に合わせを入れるとすっぽ抜けていた。アジはくっついたままだったので様子を見てみると確かに何かに噛まれた跡がある。その後も同じようなアタリが続くがやはり噛まれた跡がついて上がってくるだけだ。

 

 

希望的観測ではアコウだと思っているのだが、これを釣るには鈎が小さすぎるのだろうか・・。それとも、もっと長い時間待ってから合わせなければならないのだろうか・・。

アジが弱ってくるとアタリが出なくなるようなので傷が付いたら交換をしていると最後のエサになってしまった。

最後のエサになんとか喰ってくれと願うが魚たちが警戒しはじめたかアタリがなくなった。今日はこの後母親を病院に連れて行かねばならないのでそろそろ終わりにしようかと仕掛けを回収。しかし、このエサはまだ元気だ。泣きの1回。少し場所を移動して仕掛けを下ろしてみることにした。
今日はこの判断がすべてであった。すぐに大きなアタリがあって道糸が一気に引き出されていった。残念ながらこれはアコウではない。それでは何なのだ・・?まさかこんなに大きなメジロがこの辺りを泳いでいるということは想像していなかったのでカンダイの大きいやつかと思ったのだがそれにしてはよく走る。枝素は5号なのでこの引きでは切られてしまいそうだ。水深も浅いので根ずれも心配である。少しだけ強引にやり取りをしていると相手も観念し始めたか少しずつこっちに近づいてきた。それでも船の下で右往左往を繰り返すので船底で成長したフジツボに道糸がガリガリ擦っている。ようやく姿を現したその影を見てみるとハマチだ。それも大きい。まだ、こんなに大きなメジロがこの辺りにいるとは思っていなかったのでそれでもちょっと大きいハマチくらいだと思っていたがタモに入れてデッキに引きあげてみると想像していたよりもかなり大きい。新しいクーラーボックスと比べるとどう見ても入らない。これは解体するしかないとその前にメジャーを当てて計ってみると80cmまであと少しというサイズである。これはもう、メジロといっていいサイズだ。
内臓をとって頭を落としても尾びれがクーラーボックスからはみ出してしまう。エサもなくなったし家で捌く時間を考えると病院の予約時間までぎりぎりだ。急いで帰り支度をして港に戻った。

指を切りながら魚を捌いて道具を洗ってシャワーを浴びて病院に向かい、ジャストインタイムで診察券を放り込んで今日のミッションはすべて終わった。

 


止血をするには絆創膏よりもビニールテープだということに今日初めて気がついた。

 


暑い時期のハマチというのは大概が体の中に虫が入っていて食べるのをためらわれることがあるのだがこの魚はまったくきれいなものであった。だからなのだろうか、魚の厚みが半端ではない。こんなに分厚いハマチを釣ったのは初めてではなかっただろうか。
刺身にしたり煮たりして食べたが、サイズはメジロでも味はブリの味そのものだった。
魚用のタッパーをすべて使い切る量の切り身ができたので1週間以上は食べ続けられそうである。

 

 

今田由紀子 「異常気象の科学 猛暑・豪雨・大雪のしくみと将来予測」読了

この本もなかなかタイムリーだなと思っていたら、お盆の間は比較的涼しくて今年はこのまま秋になってくれればいいのにな〜、などと思いながら読んでいた。
しかし、それは偶然のことに過ぎないことで、お盆明けからはまた暑さはぶり返し、その前には千葉県で豪雨災害がおこった。半日で平年の8月1か月分のおよそ3倍の雨が降ったというのだから紛れもなく異常気象だ。

この本はそういう異常気象はなぜ起こるのかということを科学しようというものだ。
何が異常気象を引き起こしているのかというと、その答えは簡単で、これはもう地球温暖化にほかならない。
著者のニュアンスでは温暖化自体は異常気象ではないようだ。確かに、地球温暖化は傾向であり異常気象とは区別されるべきだ。この本で異常気象と言っているのは大雨、強風、そして様々な要因が絡まって引き起こされる高温が主たるものである。

異常気象を知るには、まず、様々な気象現象がどのようなメカニズムで起こるのかを知っておかねばならない。それは当然のことなのだが、天気のメカニズムというのは難し過ぎる。まあ、僕だけがわからないのだろうがそれ関係の本を読んでみてもまったくイメージが湧いてこない。立体的な想像ができないのである。それに加えて新しい本を読むたびに新しい言葉が出てくるのでどんどんわからない言葉が積み重なってゆくのである。
そういう読者のためなのか、この本もかなりの部分を基本的な気象のメカニズムについての記述に割いている。何度読んでもわからない僕にとってはありがたい。そしてこの解説が意外とよく解る。その蘊蓄については最後にまとめておこうと思う。

異常気象の定義だが、「ある場所(地域)・ある時期(週、月、季節)において30年に1回以下で発生する現象」とされている。この、30年という期間については特に意味はないそうだがなぜかそういうことになっているらしい。しかし、近年は異常気象が連続して起こるので去年までの過去30年間を基準にすると異常気象が異常気象でなくなってしまうというので、WHOでは、「西暦年の1の位が1の年から連続する30年について算出した塁年平均値」を平年値と定義(2026年現在は1991年~2020年の値を使用している)している。

雨や風というのは大概が寒気と暖気の出会う場所で生まれる。異常気象というのは簡単にいうとその温度差が大きくなると発生する。発生するメカニズムは普通の気候現象と同じである。だから、気象学者は、何か特別なことが起こっているのではということを研究するのではなく、もし温暖化がなかったら今の気候はこうであるというシミュレーションをおこないながら温暖化がもたらす異常気象を研究している。
これもすごいと思うが、気候現象というのはほぼすべて数学で解明されているらしく細かな条件さえ入力してやればどんな現象も再現できるそうだ。スーパーコンピューターのおかげでかなり細かな数値を入力して計算できるようになった。それを何百回と繰り返しシミュレーションすることで現在の気候がどのくらい温暖化に影響されているかや将来の気候はどうなるのかということを検証、予測できるという。
具体的には、「イベント・アトリビューション」というもので、目の前で実際発生した異常気象(イベント)が何かのせいであることを証明するアプローチであり、その要因はエルニーニョ現象やインド洋の変動など、異常気象の要因となり得るものすべてが含まれる。
今日の夕刊にもこの言葉が出ていたのでかなり注目されているシミュレーションなのだろう。



このシミュレーションによると、産業革命以降に人間が排出した量に相当する温室効果ガスと大気汚染物質の量、海水温や海氷の長期変化傾向を差し引いて100回のシミュレーションを行った結果、現在観測されている気温を超える確率はほぼ0%となった。地球温暖化がなければ、これらの記録的な猛暑は起こり得なかったということである。
量的アプローチという、イベント・アトリビューションの中で局地的な温暖化の影響をシミュレーションすることができる手法によると、2018年に死者が200名を超えた西日本豪雨は温暖化がなかった場合と比べると6.7%の総降水量の増加が見積もられたそうだ。

2026年5月現在、世界の気温は産業革命前よりも1~1.5℃気温が上昇しているといわれている。このまま温室効果ガスの排出削減が進まなければ2050年には地球の平均気温は産業革命時から2.0°C上昇し、2100年には4.0°C上昇するそうだ。
その頃の気候はどうなるのかという予想も最終章に書かれている。
そのなかで一番驚くのが、世界の平均気温の上昇ベースはこの100年で+0.7℃だが、日本は+1.4℃のペースで上昇しているということだ。世界より早く温暖化が進んでいるのである。
日本の気候の予想というのを書き出してみると、
気温については、2100年8月にはこんな予報が出る。北海道と新潟を除き、日本全国のほとんどの地点で35℃超えの猛暑となる。東海地方では40℃を超える地域もあり、フェーン現象の影響のある浜松では45℃近くまで上昇する。
熊谷市では+2.0℃の気温上昇の場合、猛暑日が年間50日続き、+4.0℃上昇の場合は2ヵ月以上続く計算になるという。結構驚きそうな予想だが、特異的な年ではあったのだろうが1994年には40日あったというのだからすでにあまり変わらなくなってきているようにも思う・・。
また、2023年、2024年の猛暑日の延べ地点数は産業革命前との気温差のシミュレーションの傾向地をはるかに超えているというのだから日本の温度上昇のペースはすでにえらいことになっているのかもしれない。今年の統計がこれらの年を上回るようなことになっているのなら、1994年も特異的な年ではなかったのかもしれない。

降雨については、2100年、世界を見渡すと雨が増加する地点と減少する地点は同じ割合で存在するようになる。地球温暖化に伴い水蒸気が増加すると、普段から上昇気流で雨が多い場所はより雨が多く、逆に普段から下降気流で乾燥している場所はさらに乾燥するからである。加えて、極端な大雨は増加傾向となる。日本も例外ではない。特に北日本で顕著になり、線状降水帯の発生確率は現在よりも1.6倍になる。
台風については、数は減るが強度は強くなる。そして台風の移動速度は遅くなるので被害の拡大が懸念される。これは、温暖化で偏西風が北上し、中緯度地域で台風を運ぶ役割が弱まるからである。大雨や気圧の低下による高潮などの水害も甚大になる。
日本国内で見ると、冬の降雪も少なくなるが、10年に一度といわれるような大雪は日本海側で逆に増加するという。

主だった天気の変化をみてもこれほどの凄さだ。毎日がこんな天気ではないのだろうがやはり夏場は特に厳しそうだ。電車の中でうるさいと思いながら見ている空調ベストを着たオッサンも普通の姿になるのかもしれない。



それに加えて70年後となると間違いなくどこかの時点で南海トラフ地震が発生しているだろう。3週間前の熊本地震の様子を見ているとあれの何倍もの苦難が待っていそうだ。もはや、何の対策も準備も意味をなさない感じである。
願わくば僕が生きている間は現状維持の気候であって、かつ、巨大地震に遭遇しませんようにと願うばかりである。後の時代の対策は後の時代の人たちに任せることにしよう・・。

最後に、この本で見つけた蘊蓄を書き残しておく。
フェーン現象について。
乾燥した空気は高度が100m上昇するごとに約1.0℃のペースで気温が低下する(乾燥断熱減率)。湿った空気は100mあたり0.5℃のペースで気温が下がる(湿潤断熱減率)。この0.5°Cの差が盆地に猛暑をもたらすのだ。

高気圧のでき方について。
 太平洋高気圧(温暖高気圧)はハドレー循環というメカニズムで生まれる。これは赤道と中緯度の間にできる大きな循環で、赤道付近で暖められた空気は上昇し、上空で南北方向に分かれて中緯度方向に向かう。中緯度付近で強制的に空気が集まると行き場を失って下降気流となり高気圧になる。
シベリア高気圧やオホーツク海高気圧は冷やされた空気の密度が高くなる部分が高気圧になる。そのでき方の由来はまったく違う。

黒潮大蛇行は温暖化の原因になる。
三陸沖で大きく北側に張り出すような蛇行が起こると、親潮が南下できなくなり海洋熱波が生まれる。そういえば、去年まで黒潮は大蛇行していたがずっと暑い夏であった。
その他、海洋の温度が関係する気象現象には、インド洋ダイポールモード現象というようなものもある。

前線について。
寒気の勢力が強くて下から押し上げている状態が寒冷前線、暖気の勢力が強くて寒気の上を這い上がろうとする状態が温暖前線。暖気と寒気が拮抗している状態が停滞前線。この説明が今までで一番よくわかった。前線というのは高気圧と低気圧の境目にできるものだと思っていた僕はバカである。

線状降水帯について。
長さ50~100km、幅20~50kmに伸びる強い降水域のことをいう。線状降水帯ができる条件は以下のとおり。
①大気の下層に暖かく湿った空気が大量に流入し続ける。②前線や地形の影響で空気が持ち上げられて雨雲が発生しやすい状況。③大気の状態が不安定。④積乱群を線状に並びやすくする上空の風の吹き方。

台風について。
熱帯低気圧の寿命は1週間程度。その中でも台風でいられる期間は平均5.2日
台風が赤道域を離れると勢力は衰えるが半径が広がって周囲の強風域は広がる傾向がある。これは「角運動量の保存」という法則に則っているという。
台風がやってくる時によく起こる高潮は、気圧が1hPa下がるごとに海面は約1cm上昇する。

 

 

佐々木閑、 佐々木斎生 「AIという鏡  人の価値とは何か」読了

本の構成も面白いが内容も面白かった。高度な数学を理解することができればもっと面白かったかもしれないがそれは僕には望んでも無理なことである。

この本の著者は仏教学者の父と数学者の息子の親子である。対話形式で書かれた縦書きの部分とAIが使っている数学の解説が書かれた横書きの部分がひとつの本になっているので最初は右側から読み始めてそれが終わると左から読むということになる。
著者たちがこの本を書いた一番の目的というのは、『AIによって人類の持つ既存の価値が奪い尽くされたとしても、なお私たちには「生きる意味」や「存在する価値」が残されているという確信を表明し、「我執を捨てて生きる」という新しい道をAI時代の新たな生き方として提案すること。』であるという。
もう僕には関係ないが、仕事がどんどんAIに奪われていくのではないかという時代にはとても深刻なテーマではないだろうか。

AIというのは何かを考えているのではなく、膨大な文章を記憶することで“この単語の次に続く単語の中で最も確率の高い単語を選ぶことを続けて文章を書いているだけ”だと聞いたことがある(実際、こういうことは“記号接地問題”、または“中国語の部屋”と呼ばれているそうだ)が、この本を読んでみると、いや、奴らは絶対に考えていると思ってしまうのである。
数学者の息子がかなりの部分を割いてAI開発の歴史を書いているがそれを読んでいるとそう思えてくる。
ごくごくかいつまんでしか書くことができないがこんな感じだ。
コンピューターの基本構想というのは、チューリングテストで有名なアラン・チューリングが考えたものだが、その出発点は、いかにして人間の知性を作り上げるかということから始まっている。最初から人工知能を作るという目標があったのだ。
AIと言われるものは以下のような形で進化してきた。それぞれがどういうものかというのは読んでいてもわからないので名前だけを連ねるしかできないのだが、以下のようになる。
シンボリックAI→エキスパートシステム→ホップフィールドネットワーク→ボルツマンマシン→誤差逆伝搬法→深層学習(ディープラーニング)→強化学習→Word2Vec(ワード・トゥ・ベク)→リカレントニューラルネットワーク→アテンション機構→GTP(ジェネレーティブ・プリトレインド・トランスフォーマー=生成型事前学習済み変換器)→推論モデル

今流行りのchatGTPもその一連の中に入っている。
そして、AIの思考の基本はベクトルと確率だそうだ。入力された単語同士の関係の深さをベクトルで表し、関係の深い単語同士を組み合わせて文章を出力する。そうすることで、“都会の森の間を風が抜けていく”という文章に出てくる森という単語は木々が生い茂る森ではないということを理解することができる。
この、ベクトルというやつは画像にも適応できるらしく、同じ手法でフェイク画像も作ることができるそうである。

AIはこれらをすべて関数の組み合わせでやっているのだが、人間の脳みその中には関数はないので、また違った思考法をやっているらしいのだが、出てくる回答は今や人間の回答そのものに見える。
また、AIは忘れることも失敗することもできるという。それは誤差逆伝播法という学習法では、入力データが長くなると誤差の勾配が極端に小さくなって初期の入力情報が十分に学習されなくなり冒頭の部分から順に“忘れていってしまう”というのだ。これを勾配消失門債というが、どうしてそんなことができるのかは読んでいてもまったくわからないのだがRNN(リカレント・ニューラルネットワーク)というシステムの問題点であったそうだ。あまり忘れられると困るのでトランスフォーマーというシステムがそれを解決しているという。chatGTPの“T”の部分である。
このシステムの中核はセルフアテンション(自己注意機構)というものであり、各単語の文脈に応じた適切な「意味」が与えられ、これが人間の「知性」を再現しているのだという。理論で知性を再現できたのである!
また、人工ニューロンとも言われるニューラルネットワークでは“失敗の大きさ”を記録することでそれを小さくし、失敗関数によって統一的に評価し、調整しているという。手順はどうであれ、AIはAIの方法を使って知性を得ていると言っても間違いではないだろう。
そして、今後、その知性は自律的に進化してゆくようになるという。

人間の思考法とAIの思考法は異なるとはいえ、人間自身も文章を読みながら単語同士の関連性の強さから全体が意味していることを類推しているし文章を書く時は、次にくる単語は何が一番ふさわしいかと頭の中で統計的に考えているに違いない。さすがに「3+4=」という問題を考えるとき、統計的に3+4=の後には7が続きやすいという理由で答えを出すことはないが、この作家はよく、こういう単語の並び方で文章を作るからこの文章で言いたいことはこういうことだろうと予測しながら読むものだ。それとほぼ変わらないことをAIもやっているということだろう。
著者はまた、『チューリングテストと仏教の“我”というものは錯覚であるという考えは似ている。人間らしさとは「問題に対して適切に応答する」ということに尽きる。』という。
そうなってくるとAIの思考は人間そのものということになる。


それを、人間には処理しきれないほどの膨大なデータを取り込みながらこなすことができるようになったAIに人間は到底敵わない。特に実証の必要ない哲学や数学という分野の研究は人間よりもはるかに高度な成果を上げるのではないかと著者たちは考えている。様々な分野で自己実現したい、社会貢献したいという望みはことごとくAIによって阻まれる。「一番になりたい」という強い欲求もAIの出現によってゆくゆくは絶対に叶わない望みになる。
そんな時代がやってくるというのである。
そんな時代をどう生きていけばいいのだろうか?その答えがこの本の冒頭に書かれていた『AIによって人類の持つ既存の価値が奪い尽くされたとしても・・・』という部分である。
その真意とは、釈迦の教えの根本である、すべてを諦めて生きよということである。その先には心の赴くままに生きるという境地が生まれる。そうすることで我欲が無くなり心は平穏となる。それこそがAIに追いつけなくなった人類が目指す境地だというのである。数学者の弟はこう書いている。
『「世の中にどのような影響や経験をもたらすか」「数学を通じてどのように社会における自己実現を達成するか」という価値観に依ることなく純粋に数学という学問を探求し、その探求事態に喜びを見出すという生き方、自分がまだ理解していない摂理を知りたい。そして知る。それだけで完結した喜び。』
また、父親の仏教学者は、こう書いている。
『たとえAIが圧倒的な成果を生み出す未来にあっても、人間の知的活動そのものに価値があり輝き続ける。「より正しく世界を理解できるようになった」という自己向上の中に見出される幸福こそが仏教の説く価値である。』

だから、タイトルが語るように、AIは鏡であるというのだ。『自分の役割や価値観が外界から否応なしに変化させられていく未来において、あなたが本心から願う「生きる姿勢」とは何か。その問いにひたすらに正直であることが、これからの生き方の本質だと思います。』
ということになるのである。

う〜ん、どこかで見たような生き方だと思ったら、これは僕自身の生き方によく似ている。会社では他の同僚に抜きん出ることは無理だと感じ、もとより自己実現などという目標もなく、ただ、現実から逃避するためにはどうしたらいいか。それには魚を釣ることと本を読むということのふたつは最適であった。「一生幸せになりたかったら、釣りを覚えなさい。」というのはそういうことであったのかと思い至るのである。AIが台頭する時代でなくともどの時代にも普遍的に当てはまる考えでもあるようだ。
結局は、AIの時代を迎えると、さらにお釈迦様は偉かったということが認識されるのである。
人の生き方には斬新なものはないということだろうが、それより、人類の滅亡はきっとAIが引き金になるのだろうなということを想像してしまう。
諦めることよりも斬新な生き方はないとはいえ、人は、他人に認められたいとか何かを得たいという欲望が常にある。それが生きるための原動力でもある。この人たちには勝てないと自分を納得させるのは辛いものだ。
そういうことを考えると、AIが人類の知性を超えた後、その原動力が無くなることで
人は生きる意味を失ってゆくのではないだろうか。ひょっとしたら、地球上に知性を持った生物が1種類しかいないというのはこれが理由なのではないだろうか。あの人類にはどう転んでも敵わないという絶望が2番手以下の知性をすべて絶滅に向かわせる・・。ネアンデルタール人が滅んだのもホモ・サピエンスには敵わないと生きる気力を失くしてしまったと考えてもおかしくないのではないだろうか。
数千年、もしくは数万年後なのかもしれないが、きっと、最後の人類はフィジカルAIに囲まれ、白いシーツが敷かれたベッドの上から絶望の眼差しで天井を眺めて静かに息を引き取るのである。マッドマックスや北斗の拳の時代は空想である。
自律したAI(たち)は太陽が赤色巨星化して地球を飲み込む前に、核融合エネルギーで稼働する宇宙船を造り新たな星へ移住するか宇宙船そのものを居住空間として生きてゆくのだろう。

地球上の生物は絶滅と進化を繰り返して40億年を生きてきた。それを引き継ぐのは宇宙に出るためにDNAの支配から自由になったAIに違いないということを確信できる本でもある。



 

場所:水軒沖
条件:中潮7:32満潮
釣果:ボウズ

先週のタチウオの釣れ方を見てみると今年は早くも盛期に入ったかと思ったけれども甘かった。確かに去年のお盆も大しては釣れていなかったのだから・・。
明るくなるまでは微かなアタリが2回あっただけである。帰ってからは仏さん参りに行くだけなので少し延長戦を試みるとエソが掛かってきた。エソが来るということは完全にタイムアウトである。エソは連続で掛かってくる。

 


最後に釣れたエソは下半身が無くなっていた。
水面から引き上げる時、こいつを追ってきた全長が1メートルはあるのではないかと思う魚の影が見えた。上半身の入り口を見るときれいにスッパリ切れているのでサメの仕業かと思うのだが、その大きな魚の影にはサメ特有の背びれの形は見えなかったように思う。

 

 

下半身を切り取った奴と追いかけてきた奴は別者だったのであろうか・・?海の中には謎とロマンがある。

これを潮に釣りを終了し墓参りへ。図書館のすぐそばなので来ようと思えばいつでも来ることができるのだがまず来ることがない。仏教の思想は好きだが墓の中に先祖の魂が眠っているということなど微塵も思っていないからだ。♬わたしのお墓の前で泣かないでください そこに私はいません♬だ。

 


と思いながらも空からは何かに見られているような気配があるのは自然科学では説明できない何かが存在していることを示唆しているのかもしれない。

 


そしてその目は、「お盆に殺生するとは何事だ!」と怒っているのかもしれない。しかし、まさか日本中の、今現、在釣り糸を垂れている人がボウズに喘いでいる訳ではないのだろうから、やっぱり僕は下手くそなだけであるのだ・・。

しかし、こんなところにサメがいるのだろうか・・。そんなことを思っていると、翌々日、菊新丸さんから、アマダイの延縄をしている漁師が仕掛けに40〜50cmぐらいのサメ50匹掛かって道具ガシャガシャになったらしいという連絡が入ってきた。
これは限りなくサメがあの海域にもいたという可能性があったということだろう。
タチウオが逃げてしまっていても不思議ではないのだ・・。
 

場所:水軒沖
条件:大潮4:21満潮
釣果:ボウズ

人を誘うとどうしても無理をするという典型のような釣行であった。
いつも船底塗装を手伝ってくれる従兄弟から、姪の婿を釣りに連れていってやってくれという要請が以前からあったのである。彼の姪の母親も僕の従姉妹である。
横浜に住んでいるらしく、和歌山に来るのはお盆だけなので連れて行くとしたらアマダイくらいしかない。また、僕はお盆もカレンダーどおりに会社に行っているので行くとすると今日しかない。

そこに正常性バイアスの入り込む隙間が生まれる。
台風13号は行ってしまったし、15号は接近しているとはいえ、まだ関東の沖合いだ。

 

 

予報を見ると風が吹くのだが北の風である。

 

 

真夏の北風など大したことはなかろう。ましてや港からほんの少し沖に出るだけである。しかし、今日の風は紛れもなく台風からの風が日本海の北にある高気圧に押されて流れてきた北風であった。予報はきちんと信じるべきである。
おそらく自分ひとりなら、過去の教訓のもとエサを無駄にしたくないという考えからタチウオだけにしておこうと考えたのだろうが、大丈夫だともうひとりの自分が言い聞かせるのである。AIにもそういう合理的ではない行動をする時はあるのだろうか。

朝はゆっくり午前5時に出たがポイントに着いた時からかなりの風である。海面だけ切り取ったら季節は真冬の風景に見える。

 


40号のオモリでも簡単に流されるのでスパンカーを広げるしかない。
その後は操船に徹していて僕は仕掛けを出すことなく終了を迎えた。
せっかくその嫁と従兄弟も乗ってくれたのに大きな判断ミスをしてしまった。

 



おまけに港に接岸した直後からお腹が痛くなり下痢の症状が出てきてしまい帰り支度をするまでに2回も養翠園のトイレに駆け込む始末だ。
今日は踏んだり蹴ったりな日だなと思ったら仏滅であった。さすがにお盆である・・。

 



 


場所:紀ノ川河口
条件:若潮8:07満潮
釣果:タチウオ5匹

昨日から腰が痛い。多分、ぎっくり腰というやつだろう。仕事場で靴を履き替えようと思って腰をかがめたら、「痛た!」となってしまった。腰が痛いというのも恥ずかしいのでそのまま1日を過ごしたが翌日も痛みは引かない。元々腰痛持ちだがこんな形で痛みがやってくるのは初めてだ。これも老化のひとつなのだろう。腰どころか、右腕の肘や左の手首の内側も痛い。骨のそばの神経が一気に痛み出したようである。
バイクもクーラーボックスも船外機もあと10年は持たないだろうと考えて買い替えたが腰を買い替えることはできないのが悲しい。修理といっても治るかどうかもわからないからそれをするふんぎりもつかないのである。

腰は痛いが大きい方の船は2週間動かしていない。この季節、これ以上のインターバルは不都合が多くなるばかりなので無理をして釣りに行く。
目的は先週空振りであったタチウオの再調査と新々波止の周りで釣れているというアジの調査だ。あわよくばそのアジをエサに大物を釣ってやろうとも考えている。

出港は午前4時7分。

 


橋の下をくぐるために下ろしていたスパンカーの柱を元に戻しながら東の空を見ていたら低い位置にオリオン座が見えていた。冬の星座だが夏の終わりの頃から早朝の東の空に見えてくる。今年はえらい早くに見つけてしまった。これは幸運の前兆なのかそれとも不運の前触れなのか・・。

 


東の空が明るくなってくるのはもう少しあとかと思ったがキリンクレーンの前を通過する頃にはうっすらと明るくなってきた。少し焦りながら仕掛けを流し始める。
そのまま青岸を越えて新々波止沿いに仕掛けを流すがアタリはない。時期が早すぎるということはないはずだ。父親の命日にも釣ったことがある
タチウオも減るばかりかとアジの影を探しに赤灯台の沖まで仕掛けを流したまたま移動したが台風13号のうねりのせいかまったく反応がない。

 

 

渡船屋が休業するほどの荒れ方なのだから仕方がないので帰るしかないのである。

 

 


しかし、仕掛けを片付けている時少し重みを感じた。ただ、これは仕掛けがうねりを受けているだけだろうと巻き続けると小さなタチウオが3匹掛かっていた。
あらまぁ、こんなところにいたのねともう一度仕掛けを下ろし直してすぐに2匹追加。ここに群れがいたのは間違いない。もっと釣りたいと思ったが、明るくなりすぎたかアタリはまったくなくなってしまった。
普段はここまで沖には来ないのでこんなところで釣れるとは思っていなかった。うねりが防波堤に巻き込まれて潮目になっていたのかもしれない。
ここまでやってきたのはアジの影を求めてだが、これはきっとオリオン座の導きであったのかもしれない。欲を言うなら、シーズンの幕開け特有のもっと大きなタチウオに出会わせてほしかったが・・。
しかし、そんなに欲を出すと釣れる魚も釣らせてくれなくなるから今日はこれでよしとしておこう。
 

 

高嶋哲夫 「核融合発電で世界はこう変わる」読了

4年ほど前の新聞に、35億ドルかけた核融合の実験でやかん数杯分のエネルギーを得ることができたという記事が出ていた。
使ったエネルギーの1.5倍のエネルギーを取り出すことができたというので新聞の記事になったようなのだが、夢のエネルギーとはいえたったやかん数杯分ではと思ったものだが、この記事が出てから程なくしてヘリオンエナジーというアメリカのベンチャー企業が採算は別にしてだろうが2028年までに商業送電網に核融合発電で得られた電気の送電を開始すると発表したそうだ。マイクロソフトが出資してその電気を買うということらしい。
この本をペラペラめくっているとそんなことが書いてあったので俄然興味が湧いてきたのである。
タイトルを見ていると、核融合発電がいつ頃実用化されて我々の生活はどう変わるかというリアルがわかるのかと思ったのだが、そこはやっぱり新書の域を出ることはなかったようだ。
著者はかつて日本原子力研究開発機構で核融合の研究者をしていてその後作家に転身したという経歴の持ち主だ。東野圭吾しかり、ミステリー作家という人は理系出身の人が多いのだろうか。
小説家らしく、本の内容のいくらかはドラマ仕立てになっているがそれがかえってリアリティを無くしている。まあ、それほどに現時点では目の前の技術ではないということを意味しているのだろう。
しかし、著者が書いているように、核融合エネルギーの実用化は世界の仕組みを大きく変えてしまうほどのインパクトがある。それを見越した社会システムの構築の準備を今から始めておくべきであるというのは間違いないようだ。

以下に、知っていて知らなさそうな核融合の仕組みとそれが社会や国際政治に及ぼすであろう影響をまとめておく。はたして、30年後、本当にこういう世界が訪れているのか、僕はおそらく見ることは叶わないだろうが楽しみではある。

核融合は簡単にいうと、恒星内部で起こっている物理的な反応を地上で再現しようというものだ。いわば、地上に太陽を創り出すということである。
恒星内部では水素原子核の融合によってエネルギーが生まれるが、地上の核融合では重水素と三重水素を融合させる。三重水素はトリチウムと言われ人工的に作ることも可能である。重水素と三重水素の原子核が衝突するとヘリウムの原子核と中性子が生まれる。核融合ではこの中性子が他の物質に衝突する時に出る熱がエネルギー源となる。核融合炉では“ブランケット”という構造がその熱を回収する。
ふたつの原子を融合させるには高温と高圧の環境が必要である。その環境は、温度が1億度、密度が1ccあたり原子が100兆個以上。この環境下で原子は原子核と電子がバラバラのプラズマ状態となり原子核同士が高速で衝突してヘリウムの原子核が生まれ中性子が飛び出す。
これほどの温度と圧力に耐えられる容器は地球上には存在しないので磁場で閉じ込めることになる。圧力の加え方と磁場での閉じ込め方により核融合炉には大きくは3種類の型がある。トカマク型、ヘリカル型、レーザー方式である。最も有名で実用化に近いとされているのがトカマク型である。名前の由来は知らないが、なんとも未来的な名前のように見える。ちなみに機動戦士ガンダムの動力源も核融合エネルギーであるが、ミノフスキー・イヨネスコ型という核融合炉が使われている。

核融合エネルギーは何が優れているのかというのは原子力発電と比較するとよく分かる。
一番の違いは安全性である。核分裂反応は一度始まると連鎖反応が起こって制御に失敗すると炉がメルトダウンして放射線や放射能をばら撒くが核融合は制御に失敗しても反応が止まるだけである。とは言っても、発電部分の設備は高温高圧であるからそこが壊れると大事故になるだろうし中性子は出てくるのだから完全に安全だとは言えない。ただ、その被害の大きさを比較すると核融合発電のほうに軍配があがりそうだ。
もうひとつの特徴は燃料費の調達コストである。材料のひとつである重水素は海水中に無限に存在する。エネルギー効率も素晴らしく、海水ポリタンク1本分に含まれる重水素から石油ポリタンク250本分に相当するエネルギーを生み出すことができる。トリチウムは核融合炉から出てくる中性子をリチウムに反応させるだけで作ることができるのだから発電しながら原料も作り出せる。
また、核融合炉は発電だけでなく水素を作り出すことができる。安定的に得られる800℃~1000℃を超える高温熱を使って「高温電解」「熱化学分解」という方法で効率よく水素を作り出すことができるのである。核融合発電の社会の始まりは水素社会の始まりでもあるのである。さらに、原子炉に比べると小型化が可能であるとされている。

こういう利点が社会や世界にどのような影響をもたらすのかというと、ひとつはエネルギー安全保障の面で国家間の格差が無くなるということだ。石油は埋蔵されている場所が偏っているが海水を得られる場所ならどこでも発電ができる。そして水素をエネルギー源として輸出することも可能となるので、例えば、エネルギー源のほとんどを輸入に頼っている日本のような国でもエネルギー輸出国になれる可能性があるのである。
ひとつの国の中の送電線網を考えると、巨大な発電所から送電されるシステムから小さな発電所からエリアごとに送電されるシステムに変えることで自然災害に強い送電線網を作ることができる。水素を使った燃料電池を使うと家ごとでの発電も可能である。

世界の核融合炉の現状は以下の通りだ。
国際協力では、ITER(国際熱核融合実験炉)という実験炉があり、フランスのサン・ポール・レ・デュランスで建造されている。日本、EU、アメリカ、ロシア、インド、中国、韓国の7か国、地域が参加しており、2034年~2039年頃に稼働を始める予定である。
中国単独ではBEST(燃焼プラズマ実験超電導トカマク)という実験炉を作っており、2027年末に完成が予定されている。
日本では、量子科学技術研究開発機構(QST)が2016年トカマク型JT60SAを稼働させている。著者はこの実験炉の前身であるJT60の建造に携わっていたそうだ。別の組織である1989年設立の核融合科学研究所ではヘリカル型の核融合炉の研究がおこなわれている。
アメリカでは、民間のスタートアップ企業によって商業ベースに乗せるための研究がおこなわれている。CFS(Commonwealth Fusion Systems)では2030年代初頭に核融合炉から送電開始というビジョンが掲げられていて、ヘリオンエナジー(Helion Energy)では先に書いた通り2028年までに採算は別にして商業送電網に供給する計画であるという。
やはりアメリカでの実用化が一番早そうだが、中国という国は何をするにも安全や規制を無視してやってしまうからそのうちすべての国を追い越してしまうのかもしれない。少なくとも現時点ではITERよりも先行しているそうだ。

核融合の技術がもたらす変化の中で最大のものはやはりどの国もエネルギーの供給を他国に頼らなくてもよくなるということだろう。
日本のような国にとっては恩恵だ。そして初期投資は高額だが原料費を含めたランニングコストの安さも経済活動に追い風である。
しかし、著者は、化石燃料を前提に築かれてきた制度や産業からの脱却を避けられないと警鐘も鳴らしている。
核融合の技術はインフラを含めた社会構造全体を完全に変えてしまうほどのインパクトを与える。国際貢献の仕方も変わるだろう。それはきっとインターネットやAIの比ではないに違いないのだろう。また、国際競争力を維持するための投資や立ち位置、法整備も含めて対応を今から考えておかねばならないというのが著者の思いだ。
そうしておかなければ国全体が混乱に陥るというのである。
確かにそうだ。小型化した核融合炉は山脈を越えるような送電線網を無くしてしまうし、火力発電所を建設、維持するための技術は不要になる。そうした企業は業態転換を迫られ、それに失敗するとそこで働く従業員は路頭に迷うことになるし従業員自身もリスキニングを迫られる。僕には絶対に無理だ。そういう時代を生きなくてよかった。
日本の核融合発電所はおそらく、どこかの原子力発電所の原子炉を廃炉にして造られるだろうというのが著者の見立てだ。それくらいの規模のものが出来上がるまでにはあとどれくらいの年数がかかるのだろう。アメリカのスタートアップ企業の送電開始を見ることはできるかもしれないが、そういう時代を生きなくてよかったとはいうもののやはり日本での大規模発電所の姿は見てみたいものだ。

その時がいつなのかという一番知りたいことは書いてくれてはいなかったけれども、その時に備えておけという意見は読んでみると当たり前のように思うが読まないと思いもつかないものだとも思うのである。

 



場所:水軒沖
条件:中潮2:54干潮
釣果:ボウズ

サツマイモは掘ってきた翌日に箱詰めされるので次の収穫は翌々日になる。今年はたまたま取った休みが重なったので2回参加できるのである。
その前にやっぱり釣りに行く。今日も午前5時までの釣りである。

 


一昨日はタチウオがダメだったので今日はルアーを投げに行く。

沖の一文字と新々波止の交差点のそばに船を停め釣りを始める。

 


いつもはリップレスミノーやトップウォータープラグを投げているのだが、下手な人間がルアーにアクションを加えているから釣れないのではないかかという仮説のもと、今日はミノーのタダ巻きに徹してみようと考えた。ほぼそれを徹したのだが、釣りを終えるほんの少し前、20メートルほど先でスズキらしきボイルがあった。あれは間違いなくボラではなかった。水面に出てくるのであればやっぱりトップウォーターだとルアーを交換してみたけれども、まあ、結局は何をやっても何のの変化もないまま午前5時を迎えることになった。

間違いなく魚はいるのだが、やっぱりどうしていいのかわからない。ずっとトップウォーターでやっていたらあのボイルのタイミングに合わせられたのか、それとももっとルアーをベイトに合わせられるような洞察力が必要なのか・・。魚がいたら何をしても釣れると思っているだけではやっぱりスズキを釣り上げるのはムリなのだろうか。十数年前はそんな感覚で釣れていたのだが・・。

今日もクーラーボックスの中は魚ではなく別のもので満たされた。

 


本来の働きをするのはもっと先になりそうである。