イレグイ号クロニクル Ⅲ -2ページ目

イレグイ号クロニクル Ⅲ

釣りと読書の記録を綴ります。

場所:水軒沖

条件:小潮4:12干潮

釣果:ボウズ

 

先週は検査で病院に行き、今日はその結果を聞くための診察で病院だ。今日もその前にコウイカの調査に出る。先週よりも時間に余裕があるので午前8時までやれる。今日はいつもの場所だけでなくいろいろな場所で調査してみたいと思っている。

航海灯が必要ない頃に出港。

 

 

まずはいつもの、新々波止の元の切れ目跡の前から。

 

 

船の流れ方はいい感じだがアタリはない。やっぱりかと紀の川河口方面へ転進。

 

 

埋立て地のテトラの前でやってみようかと考えていたが、沖の方を見ると釣り公園辺りまでは行けそうな気がしたので足を伸ばすことにした。遠めには穏やかな感じであったが風と波は意外と強く体中潮まみれになってしまった。途中で帰ろうかとも思ったがせっかくここまで来たのだから引き返すのはもったいないので無理をして突進したのだが、よく考えるとこういう行為が事故を招くのだろうなと反省をするのである。

 

ここら辺りの水深は新々波止の南よりも5メートルくらい深い。船もいい感じで流れているので期待をしたがしばらくやってみてアタリがないのですぐに紀の川河口に移動した。風は弱くなっていくはずだが反省を込めて安全圏へ早い目に移動しておこうということだ。

 

 

ここら辺りは新々波止の南よりも4メートルほど浅い。船もいい感じで流れていて、ここを開拓できれば少し風があっても釣りができるのでありがたいのだがどうだろうかと思っていたら不意に大きなアタリがあった。イカではなく魚だ。スッテは魚もアタッてくるのでアシストフックも付けているのだがこれに引っ掛かったようだ。今まで釣り上げてきた40センチ前後の大きさならおそらく獲れるのだろうがそれより大きかったのかもしれない。カンナだけに掛かっていることも多く、糸を出すとすぐバレるのでこの釣りをするときはドラグを締めてしまっているので一気に走られてしまい貴重なスッテを失ってしまった。

 

 

3号の糸では弱すぎたか、それとも、去年から糸の張り替えをしていなかったのが悪かったか・・。

 

その後は残ったスッテだけを結び直して新々波止の南に移動したが予定の午前8時になったのでボウズのまま終了。

 

 

今年は未だコウイカを手にしていない。嫌な予感しかしてこない…

 

 

場所:加太沖

条件:8:18満潮

潮流:4:51転流 8:56上り3.3ノット最強

釣果:サワラ1匹 真鯛1匹 ハマチ5匹 シオ1匹 カワハギ1匹

 

先週アマダイを釣りに行っておいたのは、今日、加太に行くためである。今週の土曜日は午前中が上り潮になっていたからだ。1週間先の天気を予想することはできないが行くなら上り潮のほうがいいと思っていた。

幸いにして、予報では風は吹くものの徐々に治まってくるようだった。

 

朝は少し明るくなった頃に出港。

 

 

田倉崎の前までは順調に航行できていたけれどもそこを越えると急に風が強くなってきた。釣りができないほどではないがあまりよい条件とはいえない。寒さもあるが、今頃から防寒着を着ていると厳寒期が思いやられるのでヤッケの上下で我慢する。

 

今日も四国ポイントの様子を見てテッパンポイントを回るという僕にとってのゴールデンコースで行こうと考えている。

 

まずは四国ポイントだが、今日も船が少ない。西脇の漁師がひとりだけだ。

 

 

おまけに釣りを中断して誰かに電話をしている。おそらく、アタリがないので仲間から情報収集をしているのだろう。かなり期待薄だがとりあえずサビキ仕掛けを下ろしてみた。

これから潮が速くなっていく時間だがすでにかなりの速度で流れている。魚探の表示から見ると2ノット以上の速度はありそうだ。船は漁礁の上をあっという間に流れ過ぎていってしまう。ここは少し漁礁を離れるともうアタリがなくなってしまうのでこの速さでは厳しい。釣れることは釣れたが小さなサバでこれは持って帰れない。

 

 

もう一度だけ流してみて第一テッパンポイントに移動した。

 

 

加太沖釣行当然ながらここも潮は速いがポイントか広い分アタリが出る可能性は高いだろう。

 

魚探の反応はないけれどもとりあえずサビキ仕掛けを下ろしてみると間もなくアタリが出た。

ものすごく引く。ひょっとしてメジロクラスのハマチかもしれない。糸は5号だが慎重にやりとりをする。5分くらいは格闘しただろうか、やっと上がってきた魚を見るとやけに小さい。アレレ?と思っているとそれはハマチあるあるで、その下にもいっぱい掛かっている。3匹目を落としてしまい4匹目を取り込み5匹目も落としてしまったが、そこから下は仕掛けがなくなってしまっていた。最低でも6匹は掛かっていたことになる。それはよく引くはずだ。ハマチもメジロクラスになってくると身質が変わってきてすごく美味しくなるのだが、残念だ。

この場所でもう1匹追加したがあとが続かない。潮が速いので魚たちもどんどん潮上に移動しているのだろうか?すぐにここを見切って第二テッパンポイントへ移動。

 

 

その選択がよかったか、ものすごいものを釣ってしまった。最初からよく引いたのでまたハマチが大量に喰いついたかと思ったがそれとも違う。走る時は一気に走り、時々横方向にも走りまた潜ってゆく。これは釣ってはいけない禁断の魚じゃないかと赤身の刺し身を思い浮かべながらやりとりをする。一時期は水深よりも10メートル以上長く道糸を引き出されたか無理をせずに慎重にやりとりをして上がってきた魚の姿を見て驚いた。今までに見たことがないほどの大きさのサワラだ。サゴシでもなくヤナギでもなく、十分サワラと呼べる大きさだ。

ここからの緊張感は尋常ではなかった。目の前で逃す魚ほど惜しいものはないがこの魚を逃すとその後悔は一生続きそうである。おまけに、以前この場所で逃した、記憶の中では大きく成長したサワラの記憶がよみがえってきた。(今日の魚の大きさから類推するとあれはせいぜいヤナギサイズであったのだろう)

焦っていたのでほとんど記憶がないのだが、間違いなく一度はタモ入れに失敗している。そして一度は仕掛けを持ったままの状態で反転された。それが同時に起こったのかどうかの記憶がない。最後は上手く頭がタモに入って下半身が飛び出たままデッキの上に放り上げた。よくぞ5号のハリスで持ちこたえてくれたものだ。掛かりどころがよかったのだ。

改めて見ると大きい。これだけの大きさになると体高も身の厚さも今まで釣ったヤナギとは段違いだ。えらいものを釣ってしまったという思いと同時に、これを持って帰ることはできるのかと思い始めた。僕のクーラーボックスには体を折り曲げたとしても明らかに入らない。頭を落としても無理そうだ。鮮度を保つためにはこのまま発泡スチロールの箱に尾びれだけを出したまま放り込んで今すぐ帰るべきだが今日はこのあとカワハギをやりたいと思っているので帰るわけにはいかない。

やはり切断してクーラーボックスに詰め込むしかなかろうと釣りを中断して観客のいないひとり解体ショーを始めることにした。頭を落として肛門の所で切断すると尾びれははみ出すもののちょうどクーラーボックスの中に収まった。

解体前に長さを測ってみると1メートルまであと2センチ。僕の身長の半分以上ある。確かに大きい。

 

釣りを再開してハマチを1匹追加して、もうハマチはいらないと高仕掛けに変更。するとこのあとにも美味しい魚か掛かった。40センチほどのシオだ。これはうれしいと生簀に放り込んだが、その下にまだ真鯛が掛かっていたことに気付かなかった。

その前にもハマチを釣っていたのでこれで十分だと思い、まだまだ釣れる潮ではあったがカワハギを狙いに行くことにした。

北風は相変わらず強いままなだか、今日は田倉崎の別荘の前でやるつもりなので問題ない。ここは以前から乗り合い船が浮かんでいることが多く、一体あそこで何を釣っているのだろうと思っていたところ、先週のテレビ番組で、ここで奴らはカワハギを釣っているということを知ったのだ。

 

 

前回はいつもの場所でまったく釣れなかったので新しいポイントを開拓できればありがたい。

行ってみると水深は20メートルほど。根掛かりは少ないが岩場になっているようだ。ゴロタ場でもなさそうで、砂地のところもあるようだ。アタリは岩場の所で出る。砂地の所にはさすがにいないようだ。

ただ、アタリはあっても魚が掛からない。カワハギではないのか、カワハギでもサイズが小さいのか、それとも使っているアサリが悪いのか・・。今日は生のむき身ではなくてすべて冷凍のむき身を使っている。朝ドラの影響でもないのだろうが、いつも買っているスーパーにはシジミしか置いていないのだ。

やっと手にしたのは小さなカワハギ1匹だけであった。エサはいっぱい余っていたが帰って魚を捌く時間を考えるとここら辺りが限度だと、午前11時に終了とした。

 

テレビではよく、全身トロだと言って紹介されているが確かにそのとおりだ。ヤナギとはまったく肉質が違う。ものすごい量の脂を含んでいる。柳刃もすぐに切れなくなってしまうほどである。サイズ感が麻痺してしまっていてかなりの分量を刺し身用に切り出したが、食べ過ぎると胸焼けをしそうになる。

しかし、これは美味しい。これこそ一期一会というのだろうが、もう一度食べてみたい魚であるのは間違いない。

 

場所:水軒沖

条件:大潮5:03満潮

釣果:ボウズ

 

昨日は木枯らし1号が吹いたそうだ。海面下のことはわからないが海面上はすでにコウイカの季節になったような雰囲気なので調査に出ることにした。

哲学の世界では形而“下”のことは実体として見えるが形而“上”のものはそれとして見えないと定義されているが、海ではそれが逆になるのである。

波もないので加太までででも行けそうだが、今日は病院に行くために休みを取っただけなので午前7時には港に戻らねばならない。そういう事情もあって近場に行くことにした。小船にも塗装をして以来乗っていないのでちょうどよいのだ。

 

しかし、こんなに急に寒くなってしまうと体がついて行かない。心と体は未だに今年は暑いのだと思い込んでいる。今朝の気温は平年に対しても4.1度低かったらしいが、暑いなら暑いままで初心を貫けよと地球に言ってやりたい。

ただ、やっぱり寒いことには間違いはないのでバイクに乗る時も手袋が必要だし釣りをするにも手袋が必要だ。

 

 

少しでも釣りをする時間が欲しいので暗いうちに出港。

 

 

ポイントに着いてもまだ航海灯を点灯させておかねばならないほどであった。

今年一発目の仕掛けの投入は新々波止の少し沖からとした。

 

 

ここ2年、コウイカもまったく釣れなくなりいつも釣れるような、波止に元あった切れ目のところは期待薄だ。いっそ沖のほうがいいのかもと考えたけれども、まあ、どちらも五十歩百歩なのである・・。

 

形而下である水面下はまだまだ水温が高いようで海面上にはかすかだが霧が出ている。これはやっぱり期待薄だ・・。

その通りアタリはまったくない。アタリがないと周りの景色が気になる。今日は空の景色がいつも以上にきれいだ。新海誠のアニメに出てくるような景色だ。雲が光っている。そして、太陽が昇ってくるにつれて刻一刻とその景色が変わってゆくので見逃せない。もう、イカのことはどうでもよくなってしまうのである。

負け惜しみに違いないのではあるが、この景色を見るだけで朝早くここにやってきた甲斐があったというものだ。

 

    

 

たから、今日は当然ボウズなのである・・

 

場所:雑賀崎沖

条件:中潮3:23満潮 9:34干潮

釣果:アマダイ5匹

 

Nさんに住金一文字に連れていって欲しいと頼んだら、また海保に見つかって今度来たら軽犯罪法違反で逮捕すると言われたので行けないという。

それならアマダイ行きませんかと声をかけたら船酔いがイヤなのでひとりで行ってくれということだったので今日もひとりでアマダイを釣りに出ることにした。アマダイ釣りではラジオを聞くことができるのでNHKでワールドシリーズの中継をやってくれていたらそれを聞きながら釣りができるじゃないかという期待もあった。まあ、これは残念ながら中継していなかったのだけれども・・。

 

朝はゆっくりで、東の空がかなり明るくなってからの出港とした。

 

 

“した。”というよりもそうなってしまったというほうが正しい。元々ゆっくりと行こうとは考えていたが、護岸を離れたあとでそこにクーラーボックスを置いたままになっているのを見てしまったのだ。当然取りに戻らねばならないのだが、潮の流れが速い中、狭い範囲で船を回頭させるのに手間取って10分ほど時間をロスしてしまった。日の出前のこの時間は一気に明るくなるのでいつもの撮影場所に出たときにはかなり明るくなっていたというわけだ・・。

 

目指す先は前回もよかった双子島の沖である。

 

 

今日も竿4本体制でいつもと同じオモリの号数で仕掛けの準備をしたのだが思いのほか潮の流れが速い。道糸はかなり斜めになっていて仕掛けはすぐに底を切ってしまう。これはちょっとまずいと思うのだがとりあえずこれで様子を見ることにする。

 

 

これはかなり厳しいなと思っていたら真ん中の竿にアタリがあった。30センチ半ばのまずまずの型のアマダイだ。手持ちのタイラバ用の竿を除くとこの竿だけPE1号の糸を巻いている。この0.5号の差は大きく、ギリギリで底近くをトレースしていたようだ。

今朝のスーパーにはあんこのおはぎが売られていなかったので今日はどうなることかと思ったがとりあえずボウズではなくなった。

 

 

やはり底をきちんと取ることが大事かと考えてそれぞれの竿のオモリを大きくする。いままで使ったことのない、40号、50号、60号の体制である。魚には鉤を口にした時の違和感が大きくなるだろうが底を取ることを優先する。

船はかなりの速度で流され続けているのでふたたび32メートルのラインに戻って仕掛けを下ろす。

こんなに重いオモリで大丈夫かと思っていたら間もなくアタリがあった。これもPE1号の竿だ。やはり細い糸のほうがいいらしい。

これも型がいい。魚を取り込んで血抜きをしていると舳先の竿にアタリがあった。多分、うまいことアマダイのコロニーの上を通ったのだろう。これも型がいい。

オモリは軽いほうがいいに決まっているがこれくらいの重さでも魚は喰ってくるようである。

タイラバの竿はというと、やっとアタリがあったかと思ったらサバフグで、次のアタリは間違いなくアマダイであったが掛かりが浅くて途中でバレてしまった。いきなりドン!ときたアタリであったので追い食いさせずに合わせたのがいけなかったのだろう。真鯛のようにもう少し巻き上げてゆくべきであった。経験不足が露呈してしまった。

 

2回目の移動のあと、急にアタリがなくなってしまったのだが、これは仕掛けの点検を怠ったせいで、舳先と真ん中の仕掛けが絡んでしまっていたのが原因だ。今日は流れが速いので仕掛けは絡まないだろうと思い込んでいたのがマズかった。うまくいけば1匹追加できていたかもしれないが残念だ。竿は多いほどアタリの確率が上がるが仕掛けが絡んでしまうリスクが大きくなってしまうのだ。PEラインの太さの違いで道糸の傾き方に違いが出るので余計に絡みやすいのである。

 

そんなことをやらかしなからエサはあっという間に無くなり1本づつ片づけてゆかねばならなくなってきた。いつもは有り余るくらいの量が入っているが、ふたたびインフレの波が押し寄せてきたのかそれとも繁殖具合で量が変わるのかそれともハズレを引いたか、とにかく量が少なかった。

そんな中、艫の竿にアタリがあって置き竿は全員安打だ。今日は魚の活性がいいのか鉤を2本とも喰っている魚が2匹いた。この魚はそのうちの1匹で、おまけにタイラバの仕掛けと絡んでしまっていたので仕掛けを切っていちばん最初に片づけることになった。

最後に残った1匹のエサを真ん中の竿に取り付けアタリを待つとこれにアタリがあった。

 

この時点で午前10時。終わり良ければ総て良しだし、ちょうどいい時間になったので今日はこれで終了。

 

終わってみればエサの分量はちょうどよいということなのだが、この分量なら500円にならないものかとインフレのこの世を呪うのである・・

 

トマス・ハートッホ/著 水谷淳/訳 「宇宙・時間・生命はどのように始まったのか?:ホーキング「最終理論」の先にある世界」読了

 

著者はスティーブン・ホーキングの最後の愛弟子であったそうだ。

この本は、師匠であるホーキングとの思い出をふり返りながら、表題の通り、宇宙や時間の始まり、どうしてこの宇宙は人間が棲むのに最適な条件を備えているのかという謎に対して、ホーキングたちがたどり着いた答を紹介している。

スティーブン・ホーキングというと、「ホーキング宇宙を語る」という本で有名な宇宙物理学者だ。AIがまとめてくれたものによると、以外のような業績をあげた人だそうである。

『 異点定理:ロジャー・ペンローズとともに、一般相対性理論が破綻する「特異点」が、宇宙の始まりやブラックホールに存在することを証明。

ホーキング放射:量子力学の理論を応用し、ブラックホールが完全に真っ黒ではなく、粒子を放出していることを提唱しました。これは「ブラックホールの蒸発」と呼ばれる現象で、ホーキングの最大の功績の一つとされている。

無境界条件:宇宙の始まりに特異点が存在しないという理論を展開し、宇宙の始まりを解明する新しい理論を提唱。

時間順序保護仮説:タイムトラベルが不可能であるとする仮説を提唱。』

 

「ホーキング宇宙を語る」は僕も読んだ記憶はある。イギリスでの出版が1988年であったそうなので僕が読んだのは就職してからのようだ。今よりももっと知識がなかったのでおそらくは何も理解できなかったのだろう。何の記憶も残っていない。

本書によると、ホーキングは当初、アインシュタインが初期に提唱した定常宇宙論を支持していたが、のちにジョルジュ・ルメートル提唱した膨張宇宙論を支持するようになったそうだ。この考え方の変化が後に人間原理といわれる、どうしてこの宇宙は人間が棲むのに最適なのかということを考える契機になったそうである。

 

膨張宇宙論というと、すぐにエドゥイン・ハッブルを思い浮かべるがハッブルよりも早くその考えを発表したのはジョルジュ・ルメートルのほうである。ビッグバンという、宇宙は膨張しているという考えは、ソ連のアレクサンドル・フリードマンが最初に発表したものであるが、一般相対性理論の方程式と銀河が遠ざかっているという観測結果を元に宇宙は始原原子という特異点から爆破するようにして始まったと発表した。

ハッブルは観測結果から遠くにある銀河のほうがより速く遠ざかっているということを発見しただけなのだが、ルメートルという人は司祭であったことと栄誉や名誉に対する執着をほとんど持っていなかったらしく、あまり表に出ることはなかったのでハッブルのほうが有名になってしまったのである。

著者はルメートルを高く評価しているのか、ホーキングが高く評価していたのか、ルメートルの評価に1章を割いている。

 

このことからわかるように、ホーキングはその生涯で何度か、宇宙の始まりや進化について大きく考え方を変えている。

 

そして、ホーキングたちが最後にたどり着いた考えというのは、トップダウン宇宙論という、我々が観測することによって宇宙の歴史が決まるのだという、摩訶不思議としか思えない考え方だったのである。

これは、ジョン・ホイーラーが考え出した、量子は観測されるまでは不確定な状態(重ね合わせ)であるが観測された瞬間に位置や速度などの状態が確定されるという、不確定性原理を発展させたものだ。例えば数十億光年彼方からやってきた量子が重力レンズなどの影響を受けて進路を曲げながらやってきたルートは観測者が観測して初めて決まる。それまでは、量子は重力レンズの原因になっている天体の右を通ってきたのか左を通ってきたのか上だったのか下だったのかはわからないのである。宇宙を始まりからたどってゆく考えをボトムアップ、現在から過去へ下りながら考えるのをトップダウンと呼んでいるそうである。

観測によって定まったルート、それは取りもなおさずその量子が通り抜けてきた歴史にほかならない。だからこれは、観測者がこの量子の歴史を創り出したということなのであるというのだ。

これは、ヒュー・エベレットが考え出した、観測するたびに世界が枝分かれし、無数の宇宙が生まれてゆくという、多重宇宙論に対抗するものであった。ホーキングたちは、宇宙が無数に生まれるというような無駄なことがあるはずがないというところからトップダウン宇宙論を考え出したらしいが、未来のひとが過去の歴史を決めるのだというのも無数の宇宙と変わらないくらい荒唐無稽な話じゃないかと僕は思ってしまう。

それでは、僕のこのくだらない人生を決めた未来人は誰なんだ!責任者出てこい!と叫びたくなるではないか・・

 

この考えも当初は、「この宇宙を超越した究極の法則というものが存在し、その法則が我々人間を含め宇宙のすべてを支配している。」という考えから、「我々人間が過去を振り返ることによって、時間をさかのぼってこの宇宙の法則が形をなしていく。」という考えに方針転換したものである。

 

ホーキングたちの思考はさらに進み、今度は、我々が存在するこの世界は壁に映し出されたホログラムのようなものに過ぎず、実体のある世界は我々の手の届かないどこかにあるのだとした。プラトンもかつて、我々が見ている世界は、洞窟の壁に、焚き火の炎によって映し出された影のようなものであると言ったそうだが、まさにそれだというのである。仏教でいう、唯識論にも繋がりそうである。私たちの経験する4次元の中のあらゆるものは、実は時空の薄いスライス上に隠された現実が現れたものであるというのである。

これらはブラックホールの研究の過程で見つかったそうなのだが、ブラックホール内の情報(これはブラックホールがたどってきた歴史とも言える)もその境界面上にホログラムという形で映し出されているという。宇宙の歴史も同じように高次元の世界が低次元のホログラムとして映し出されているというのである。

 

 

この類の本を読んでいると、にわかには信じ難いことばかりが書かれているということには慣れっこになっているが、この本の内容はさらにその上をいっている。今の私が過去を観測したから無数にある歴史の可能性のひとつがそれに決まり、観測している私が現に存在しているからこの宇宙は人類が生存に適した世界なのだというのだろうがどうも合点がいかない。

それは複雑な数式をただ弄んだ結果に過ぎないのではないかとしか凡人以下の僕には思えないのである。

ホーキングという人は宇宙の始まりとブラックホールの研究に尽くした科学者だったそうだが、どちらも見えるようで見えないものの典型だ。だから、著者やホーキングが唱えている説が正しいとも間違っているとも誰にもわからない。ホーキング自身も自分の考えが正しかったかどうかを知ることなくこの世を去り、おそらく著者も生きている間にはそれを知ることはないのだろう。研究と観測が続けられたとしても真実が分かるのは数千年、数万年先のことになるのだと思う。もちろん僕も、ニュースで宇宙の始まりが分かったとかブラックホールの内側が見えたというようなことを知ることは間違いなくない。

だから、この本の内容が正しいかどうかというのも特に気にする必要はないのだか、それでもこの宇宙で生きているかぎりそこはどんなところであるのかということは知りたいと思うのである。

 

ホーキングはまた、この宇宙も、現在の姿をしているのは物理法則を含めて進化してきた結果である。と考え、進化というキーワードから生物の進化をそれに重ね合わせていたそうだ。そして最晩年には宇宙の進化と生物の進化はひとつながりの歴史でありそこには境界や区分はないのかと考えるようになったという。すなわち、ダーウィンとアインシュタイン、ハイゼンベルク、ボーアはみんな繋がっているというのだ。これも突拍子もない考えだと思いながらもなぜか、あながちそうなのかもしれないと思わせられてしまうのがこの人たちの洞察の深さを物語っているのだろう。

 

結局、何が書いてあるかがまったくわからない本であった・・。

 

場所:加太沖

条件:中潮8:24満潮

潮流:5:22転流 9:24上り3.2ノット最強

釣果:真鯛5匹 マハチ3匹

 

連休もあと2日、明日は雨模様で今日も昼前から雨が降るらしいが今日しかない。出港する時に降っていなければ気分的にはなんとかなるだろう。

 

今日は上り潮の日なので四国ポイントの様子を見てテッパンポイントからナカトシタを廻ってタチウオの実証実験に向かおうと考えている。

 

朝は5時30分に出港。紀ノ川河口でタチウオはやらずに一路四国ポイントを目指す。

 

 

四国ポイントには誰もいない。

 

 

月曜日にはいたけれども、ここは平日限定のポイントなのだろうか?

魚探の反応もないけれども、テッパンポイントに向かうにしても潮が動き始めるまでには時間があるのでとりあえずサビキ仕掛けを下ろしてみる。しかし、ほぼ転流時刻から30分ほどしか経っていないがかなり潮が流れている。また潮流表を見誤ったかと思い見直してみたが間違いはない。ここはアタリがないし、これだけ流れていればテッパンポイントにも脈があるかもしれないとすぐに北上することにした。

第一テッパンポイントの上を通過すると少しだが反応があるのでここから再開することにした。

 

 

最初はそのままサビキ仕掛けを使っていたがすぐに高仕掛けに変更したが、それがよかったのか間もなくアタリがあった。小さなハマチだ。かなり小さいがおかずにはなる。

その後真鯛が掛かりさらに真鯛とハマチが一荷で掛かってきた。今日は調子がいい。少しアタリが遠のいたのと潮が速くてすぐにポイントを離れてしまうのでポイントの範囲が広い第二テッパンポイントへ移動。

 

 

ここでも真鯛とハマチが釣れた。それぞれもう少し大きければ文句がないのだが贅沢は言えまい。

ここも少しアタリが遠のいたのでナカトシタへ。

 

 

もっと粘ればまだ釣れるかもしれないが、タチウオのポイントに少しでも近づいておこうということと、釣れている時はどこでも釣れるだろうからいろいろな場所で釣果を上げたいという気持ちで移動したがここはまったくアタリがない。

それならと早くもタチウオを狙いに行こうとナカトに入って行ったが潮流表では速度がいちばん早い時間帯であったので船が翻弄されてこのままでは転覆してしまうのではないかと思うほど船が前後右左に傾く。必死のぱっちで逃げ戻り地の瀬戸経由でタチウオポイントに向かった。ナカトの潮を甘く見ていた。燃料の節約にはなるが命も節約してしまいそうであった。

 

 

今日の実証実験は従来のプロトタイプに加えて明日香村でIさんに聞いた話をヒントに作ったプロトタイプ弐号を試す。

まずは従来のプロトタイプ、これを壱号と呼ぶことにするが、これにはアタリがない。アタリがないと早く次の仕掛けを試したくなる。まあ、弐号も同じようなものでアタリはない。しかし、半分あきらめていた時、確かにアタリがあった。仕掛けがどんな状態になっているか確かめようと引き上げてみると確かに喰われている。この仕掛けには壱号とは異なる素材を使っているので弱さがあるようだ。タチウオのひと咬みで仕掛けが使えなくなる。新しい素材に付け替えて仕掛けを下ろすとまたアタリがあった。しかし、鉤のところまでは喰ってこないようで鉤には乗らない。

 

  

 

午前11時になりそろそろ帰ろうと仕掛けを回収してみるとすべての新素材の部分が食いちぎられていた。アタリを感じた以外にも喰いついてきた魚がいたようだ。これは明らかに壱号よりも成績がいいようだが、鉤に喰いつかせるにはどうすべきかという難題が新たに持ち上がった。アシストフックという手と疑似餌を小さくするという考え方が候補としてすぐに頭に浮かんだが、どちらも疑似餌の動きを妨げそうだ。

今年の実証実験は今日が最後だと考えているので、この難題は来年までじっくり考えよう。

 

今日の真鯛の結果だが、前回ベンチマークさせてもらった船頭さんの誘い方を参考にさせてもらった。この人の手の動きを見ていると、2回手繰ったあと少し手の動きを止めていた。この動きを真似るべく、僕もリールの巻き方に揺らぎを加えてみたことが奏功したのか、それとも昨日観た映画が、ラヴェルが「ボレロ」を作曲するまでの過程を描いたものだったので、今日は終始僕の頭の中では「ボレロ」の旋律が流れていて、あのリズムが僕のリールをのハンドルを回す動きに何かの異変を加えたのか・・。どちらにしても、少なくとも今日は定説である当直直線運動よりも効果があったことには違いがない。

次回は先日買った防水スピーカーを持ち込んで「ボレロ」を流しながら試してみようかしらなどと根拠のあるようなないようなことを考えたりしているのである・・

 

高仕掛けの世界は奥が深すぎるのである・・

場所:紀ノ川河口

条件:中潮7:46満潮

釣果:ボウズ

 

この時期になってやっと小船の船底塗装にとりかかる。買い替えたエンジンの慣らし運転が終わったタイミングにやろうと思っていたけれども慣らし運転が終わった時点でインジケーターの表示が出ると思ってそれを待っていてもぜんぜん点灯せずにこんな時期になってしまった。しかし、取説を読み間違えていたらしく読み返してみてもそんな説明書きはどこにもなかった・・。

結局、連休をとったタイミングでの作業となったのである。

毎回、港の崩れかけたスロープを使うのだが、オイル交換をするにはここは不便なのがわかったので、エンジンが新しくなったタイミングで船体もきれいにしてあげようと雑賀崎のスロープを借りることにした。

 

エンジンオイルとギアオイルの交換をするのがメインだが、それが順調に進めば塗装自体はそれほど時間がかかるものではないので作業開始を午前7時にしている。午前6時までは釣りができると思い、今シーズン最後のタチウオ釣りに出かけた。アタリがないのを確認しての終了にしたいと思っている。

 

出港は午前5時18分。

 

 

今週はグッと気温が下がったのでヤッケの上下を着て出港である。順調にアタリはない。かなり明るくなってきて、やはりこれで今シーズンのタチウオも終わりかと思い始め頃にかすかなアタリらしきものがあった。あれっ?と思って仕掛けを回収しているとこんどは確実にアタリがあった。船は停止していて仕掛けが沈んでいる状態でのアタリだったということは気温が下がってきているせいか、底の方に沈んでいるのかもしれない。オモリを重くして探れば1匹くらいは手にできるかもしれないが、雑賀崎のスロープに急がねばならない。

 

午前6時半過ぎに雑賀崎のスロープに到着。機械小屋の扉を開け、ウインチのスイッチを入れてみる。前回勉強していたのでどのスイッチを入れればよいかは分かっている。

午前7時に従弟が到着。今日も彼に手伝ってもらう。手伝ってもらうというか、オイル交換については彼に完全にお任せである。

 

 

 

まずは船底の掃除から。1年間上架していないのでフジツボが密集しているのかとおもったが意外と隙間が見える。

 

 

ただ、ひとつひとつのフジツボはかなり成長している。タケノコのように成長しているものもある。フジツボにもいろいろ種類があるようだ。

 

サクサクと掻き落としてオイル交換の作業へ。

 

 

このエンジンはどうしてこんなに整備性が悪いのかと思うほど面倒な作業が必要だ。オイルフィルターはエンジンの下の方にあって、サイドカバーというものを外してさらにエンジン本体の蓋を外してエレメントだけを交換する。普通のエンジンみたいにカートリッジになっていないのだ。

 

 

加えて、オイルを抜くボルトは六角ネジになっているし、ギアオイルのネジはプラスドライバーで回さねばならないのでなめてしまう恐れがある。

それもすべてのネジが硬い。これがあれば大丈夫かと持っていった300円で買ったボックスレンチはまったく役に立たない。

ひと通り見た従弟が必要な工具を取りに家に戻ってくれた。

特にギアオイルのネジは堅く、素手では回らない。インパクトドライバーというやつで叩いてやっと回すことができた。こういうのも従弟が事前にYouTubeでこんな事態が起こるかもしれないと調べてくれていたので一緒に持ってきてくれた。ジャンクに近いレンチセットだけを持ってきた僕のことをどう思っていたのだろうか・・。

エレメントの蓋は燃料フィルターの奥にあるし蓋を開けるとオイルが漏れ出てくるし、整備のことをまったく考えていないのかと思えてくる。まあ、プロがやるとサクサクとやってしまうのだろうが、はじめてやる素人には未知なることばかりだ。素人にやらせて機械を壊すことがないようにという配慮だというのならあまりにも深遠な設計思想である。

 

そんな試行錯誤をしながら、そして雑談で時間を潰しながら午前10時過ぎにオイル交換と復元作業を終了。従弟は用事があるのでここでしばしのお別れ。

その後、ひとりで塗装をして後片付けをやり、スロープの使用料を支払うため徴収人のおじさんを探してお金を払いバイクを港に回してトボトボ歩いて雑賀崎のスロープに戻っていると従弟が戻ってきてくれて無事進水。

 

10年間水洗いをしていないボディはあまりきれいにならなかったけれども、フジツボが取り去られた小船はスピードがグッとあがった。エンジンも古くなってくると出力が落ちるのか、初めてスロットル全開で走らせるとこんなに速かったかしらと思えるほど速度が出る。少しばかり恐怖を感じるのである。

 

 

スロープの使用料は5000円なのかと思ったら3000円でよいという。田舎あるあるなのだろうが、その時の気分で値段が変わるようだ。徴収人のおじさんは組合長か誰かに電話をして、「船外機の船やけどなんぼもらっとこ、半分くらいでいいか?」と相談してその場で値段が決まった感じなのである。理由は何でも安くしてくれるのはありがたい。3000円で高圧洗浄機も使えるというのならこれからは毎回ここを使わせてもらうことに決まりである。

 

庭の植木の剪定も終わり2隻の船の塗装も終わってやっと秋の行事が終わった。毎回ブログに書いているが、これだけ苦労をしても来年の夏にはすべてが元に戻っているのだからなんだか空しくなるのである・・。

 

 

 

 

場所:加太沖

条件:大潮6:36満潮

潮流:5:46上り2.3ノット最強 9:10転流

釣果:マサバ5匹 マルアジ2匹

 

今週は連休を取っている。せっかくの連休なのに天気がずっと悪い。ずっと雨か強風である。今日も朝は雨模様だ。しかし、釣りに行ける日は今日しかない。午前3時に起床して雨が上がるのを待つ。

 

午前5時前、ようやく雨が上がったので家を出発。午前5時46分出港。

 

 

今日からスパンカーが新しくなっている。今まで使っていたものはかなりボロボロになっているというのはこのブログにも書いているが、春に買っておいたものを昨日、ようやく付け替えた。これも今回の連休にやっておこうと思った作業だ。スパンカーの取り替えは腐ってしまっている柱の基台を取り替えてからだと考えていたが、2軒の業者に聞いてみても大丈夫だというので疑心暗鬼ながらそれを信じることにしてスパンカーの取り替えをした。僕としては働いている間にお金のかかることはやっておきたいと思っていたのだが・・。

 

 

今日も秘密のタチウオ仕掛けを試してみたかったのだが思いのほか風が強い。予報では昼前までは風速3メートル以下となっていたが田倉崎まで来ると倍近く吹いていそうだ。潮は間もなく転流でその後は下りに変わるので2,3時間したら友ヶ島の北に出たいと思っていたのだがとんでもない。とりあえずは四国ポイントで風と波の様子を見ることにした。

 

ここ何回かは四国ポイントに船がいなかったが今日は3艘の船が出ている。

 

 

1艘は帝国軍だ。帝国軍の船頭が魚を上げている姿が見えたので期待が持てる。

魚探の反応はほとんどないけれどもサビキ仕掛けを下ろしてみる。

すると僕にもすぐにアタリがあった。上がってきたのはアジが2匹であったが、どうもこれはマルアジのようだ。夏には全然釣れなかったが遅れてここまでやってきたのだろうか・・? 秋まで残っているマルアジは脂が乗っていて美味しい。

次に掛かってきたのはサバが2匹。なかなか調子がいい。しかし、6匹目のサバを目の前で逃して以降アタリがなくなった。今日はこの帝国軍の船をベンチマークとして後ろについて回っていたのだが、そんなところで釣れるのかと思えるような田倉崎の際に移動した。まあ、とりあえずおかずは確保できたので僕もついていくことにした。

 

 

もっと浅いのかと思っていたら水深は30メートルほどあるので普通に釣れそうだ。そしてはやりここでも船頭は魚を上げている。ただ、僕にはアタリはない。アタリがなかったわけではないのだがそれはほんのかすかなもので、仕掛けを上げてみると枝素が1本切られていた。サゴシなのかタチウオなのか、やっぱり魚はいるようである。それでも僕にとっては四国ポイントで粘っていた方がよかったのではないかと思うのである。この船頭はどういった意図をもってここに来たのか。傭兵をひとり乗せていたのでこの人が釣りやすいように風を避けるために陸地に近いところに移動してきたのだろうか。それとも潮が緩んでくるとここはいいポイントになるのだろうか。

 

しかし、間もなくこの船も北上していった。おそらくナカトシタまで行くのだろう。船頭の腕前では釣り上げることができても傭兵レベルの腕では歯がたたなかったのだろう。それなら風を避けてここに来たというのでもなさそうだ。やはりいいポイントとして認識されているのかもしれない。ただ、傭兵レベル以下の腕前の僕ではやはり歯が立たないのである。

この風では僕の船では追いかけてゆくのが怖い。仕方がないので四国ポイントに戻り釣りを続ける。この時点ですでに高仕掛けに変更していたのだが、まったくアタリがなく、サビキ仕掛けのほうがよかったかなと思いながらも取り替えることなく横着してしまった。

ここでこのままいても埒が明かないと思い意を決して第一テッパンポイントへ向かう。ここはさらに風が強く、一応、潮は上っているはずだが風に押されて船は南に流されるようになっていて、これではだめだと本来ならお昼抜きで釣りを続けるつもりであったがあっさりと午前8時45分に終了した。

 

 

今日、ベンチマークをさせていただいた帝国軍の船は、おだんごクラブの会長さんが傭兵として乗っている船だ。この船頭さんは帝国軍の中でも特に穏健派で、我ら同盟軍に対しても非常に寛容である。それを知っていてかなり接近しながら仕掛けの手さばきの観察をさせてもらったのだが、手繰る動きをしているかと思ったらアタリを聞いているのか手を止めている時がある。

いったいどんな仕掛けを使っているのかわからないのがもどかしい。

家に帰って会長さんに問い合わせてみると、船頭さんはサビキを一切使わないそうだ。と、いうことは、あの手さばきは高仕掛けを操っているものだったのだが、僕が知っているセオリーに反して途中で仕掛けを止めていた。あそこはアジとサバのポイントだからそんな動かし方をしていたのか、真鯛でもそういう動かし方が効果的なのか、そこがわからない。それを観察するために12000円を使うというのももったいないのでそれは永遠に謎に包まれている・・。

 

高仕掛けは奥が深すぎるのだ・・。

 

先々週行きそびれた明日香村へ今日行くことにした。

高松塚古墳の見学期間は終わってしまったがキトラ古墳の見学はまだ終わっていなくてダメ元で申し込んだらあっさり当たってしまった。当たったというより、多分、申し込めば全員OKというシステムになっているのだろう。万博のパビリオンの抽選とは大違いだ。

 

季節の変わり目なのか、週間天気を見ていたらどんよりした天気だ。前々日になってやっと予報が曇りに変わった。これで念願かなって巨石と日本の国の始まりの場所を見に行くことができる。ここも、死ぬまでに行きたい場所のひとつだったのだ。

 

朝はこの日のために買った折り畳み自転車とともに始発電車に乗って万葉まほろば線畝傍駅まで。

 

 

途中、和歌山、天王寺、王寺でホーム間を移動しなければならないのだが自転車が重い。鉄製のフレームでハンドルが折り畳めない自転車なので本来はこういう使い方をしないのであろう。それはこのあともっと身にしみて思い知らされることになる。

 

予定通りの時間に畝傍駅に到着。ホームで自転車を組み立てまずは藤原宮跡へ。

 

 

ここは文武天皇や持統天皇が皇居を構えたところだ。平城宮跡のように立派な建物は復元されてはいないが大極殿院南門のあった場所に柱の位置を示す印が作られている。

 

 

遠くにはコスモスの花がいっぱい咲いていたがここに来るまでに少し道に迷ったのでキトラ古墳見学の予約の時間まで1時間半を切っている。

 

 

家に帰ってニュースを見ていたらそのコスモス畑のことが放送されていてそんなに有名なら無理してもっとよく見ておけばよかったと思ったがあとの祭りである。

 

 

ここからは一路明日香村の中心街を目指す。

今日の目的のひとつがここに住むIさんを訪ねることなのである。インターネットで人と人が出会う時代、この人も海の上でしか会ったことがない。ひょんなことからこの人は明日香村に住んでいるということを知り畝傍からキトラ古墳まで自転車でどのくらい時間がかかるかということなどを教えてもらったりしていた。途中には飛鳥寺があるのでそこも見るつもりだ。

 

藤原宮跡から飛鳥寺まではかなりの距離がある。おまけに怪しい雲行きは本当に怪しくなり雨が降り出した。カメラ2台に図書館で借りた本がリュックに入っているのでこれを濡らすわけにはいかない。スマホと本をビニール袋に入れカメラを輪行バックの下に隠して雨の中自転車を漕ぐ。

平たい地形のように見えるが微妙に高低差がある。変速機のない自転車には辛い高低差だ。

 

たどり着いた飛鳥寺はなんとも小さいところであった。

 

 

元は元興寺と言ったそうだが平城京への遷都とともに移設されたので、ある意味取り残されたのがこのお寺ということになる。当時はきっと巨大な伽藍を誇っていたのだろうが夢の跡というところだろうか・・。

本尊は元祖アルカイックスマイルの通称「飛鳥大仏」で、ぜひ拝観したいと思うのだが時間がない。まあ、拝観料が必要というのもあってここをスルーして近くの首塚を見てみる。この首塚の主は蘇我入鹿で、乙巳の変で首を切られた時、その首がここまで飛んできたという伝説の場所だ。

 

 

事件は飛鳥宮で起こったので直線距離で600メートル。柳田理科雄なら人間の頭部の重さを考慮に入れてその時の初速はどうだったかと計算しそうな場所である。

600メートルしか離れていないのなら僕も訪ねて見たかったが場所を事前に確認していなかったので訪問先にはまったく候補にはあがっていなかった。残念・・。

 

Iさんのお店の方角に向かって走っていると酒船石の看板が見えてきた。途中に見えてくるはずだと思っていたが適当に走っていたものでこのルートが当たっているのかどうかわからなかったがそれは正しかったようだ。時間はギリギリなのかもしれないが今を逃すと帰り道に寄るのは無理だろうと考えて自転車を降りる。

 

酒船石は道路から300メートル先にあるという。駐車場の横にある階段を上らねばならないのだがすでにこの時点で僕の足には乳酸が溜まりつつある。しかし、ここを上らねばそれを見ることはできない。疲労に耐えながら階段を上る。あまりにもしんどいので階段の写真を撮るのを忘れてしまっていた。

 

始めて見る飛鳥の巨石となった酒船石は山の中に置かれた巨大な硯石の感じである。

 

 

実際、何のために造られたかというのはよくわかっていないそうだが、斉明天皇の時代、何かの占いのために造られたという説が有力らしい。飛鳥の謎の巨石と言われているものはこの斉明天皇が統治した7年ほどの間に造られたそうだ。この、斉明天皇という人は、巫女のような人であったらしく、呪術を使って政治をおこなっていたらしい。また、朝廷とはいっても日本全国を制覇していたわけではなく、東北に住んでいた先住民との交渉や朝鮮からの使節団に対して、巨石であってもこんなに自由自在に操れるのだということ誇示するためこんなものを造ったという。噴水みたいなものを造ったりもしていたらしい。

大化の改新の始まりはこの少し前であったので、飛鳥の巨石群というのは、神秘的な政治手法から律令国家という官僚組織が政治を行う時代への過渡期に生まれた最後の遺物であったと言えるのである。

 

しかし、権力を誇示するならもっと平らでみんなが見やすい場所に置いておいてくれよと思うものだが、当時は周りに石段が築かれていて祭壇風に見上げるような設えであったそうだ。

 

 

それはそれで威厳を持たせるためになっていたのだ。それが1400年ほどの間に山の中に埋もれてしまったというわけだ。

酒船石の前にたどり着いた時点で午前10時15分。キトラ古墳の予約時間まで45分しかない。

ここからキトラ古墳までどれくらいの時間がかかるのかはまったくわからない。とにかく先を急ぐ。

地図の上ではIさんのお店はすぐ近くのはずだ。そしてその通り1分ほどでIさんのお店が見えてきた。Iさんのお店というのは理髪店なのだが、駐車場には海なし県には不似合いなボートがいっぱい置かれている。

 

 

この人も大の釣り好きで、こんなに釣ってどうやって食べるの?と思うほどの釣果を毎回上げている。この人を訪ねた目的は秘密のタチウオ仕掛けを託すためだ。釣りの腕前は僕よりはるかに上だ。この人に試してもらえば開発のスピードが上がるのではないかと思うのである。

 

 

仕事中に押し掛けたにもかかわらず話の相手をしてもらい、キトラ古墳までの道すじも教えていただいた。ルートの指示と振る舞っていただいた麦茶の水分補給がなければ僕は予約時間に間に合わなかったと思う。

距離にして4.1キロメートル。平地ならおそらく10分ほどの道のりなのだろうが、ここからはさらにアップダウンが激しくなった。これは大きな誤算であった。変速機のない自転車に乗る還暦過ぎのホワイトカラーにはきつすぎる。キトラ古墳を前にした上り坂でとうとう足が動かなくなってしまった。自転車を降り押しながら午前11時3分、予定の時間に3分遅れで到着した。

 

 

見学開始は午前11時15分。いよいよキトラ古墳の石室壁画とご対面だ。

石室壁画で有名な古墳にはもうひとつ高松塚古墳があるが、それぞれどんな人が葬られているのかということははっきりわかっていない。ただ、高松塚古墳は皇子クラスの高貴な人、キトラ古墳は家臣クラスの人であるというのが定説だそうである。

薄暗い展示室に案内され、ご対面したのは玄武の図だ。4面全部の壁画を見ることができるのかと思ったら、1面ずつの公開なのだそうである。年に4回公開されていて、全部見ると1年で4面すべてをコンプリートできるという仕組みになっているそうだ。少しがっかりしたが、それほどの値打ちがあるものなのだろう。明日香村一帯の遺跡の量を考えると4回来てもついでにすべてを見ることはできないだろうから現実的なシステムになっているのだろう。そこは万博のパビリオン並なのである。

 

その壁画は想像していたものよりもかなり小さかった。幅が104センチ、高さが115センチ、玄武の図柄にいたっては横25センチ、縦15センチである。展示室に入る前に双眼鏡を貸してくれたが、確かに必要である。

 

 

石室の奥行きも2.4メートルということなので、棺桶を置くとほとんど余裕がないほどの大きさである。天井には精緻な星座の絵も描かれているそうだが、これらの絵を描いた人はそうとう窮屈な思いをしただろう。

 

約20分の見学を終え、キトラ古墳本体を見に行く。古墳の墳丘も石室のサイズに合わせてかなり小さい。阪和線の車窓から見える古墳があまりにも大きいのでそう思うのかもしれないが・・。

 

 

これでキトラ古墳の見学は終了。少しだけ休憩をして高松塚古墳へ。とりあえず墳丘だけを見る。ここも幹線道路から離れていて、しかも小高い丘の上にあるのでそこへ向かうだけで疲れる。これも整備された盛り土という感じなので、やはり古墳は中身を見ないと感慨はない。

 

 

その後は途中にあった持統天皇と天武天皇の墓を拝んで石舞台古墳へ。

 

 

石舞台古墳への道も坂道だ。途中からは自転車を押して登ってゆく。駐輪場までもう一息というところで一気に距離を詰めようと立ち漕ぎをしてみたら僕の足の筋繊維の何割かがプチっと切れる音がした気がした。そして数分間の間、まともに歩けなくなってしまった。こんな経験をしたのは10代の頃以来だろう。

 

足を引きずりながら石舞台古墳へ。

 

 

この古墳の主は蘇我馬子と言われているが、さすが天皇に次ぐ権力者。石室の大きさはキトラ古墳の比ではない。今は石が積まれているだけだが、きっと漆喰できれいに塗られて壁画も描かれていたのだろう。

 

 

これで今日の目的はすべて終わった。本当は甘樫丘にも上りたかったのだが帰りの時間が迫っているのと、なにより、もう、そんな体力が残っていない。せめて甘樫丘の麓をかすめて帰ろうと来た道とは違う道で帰途につく。途中、亀石の表示が出ていたのでほんの少し寄り道をして見学。

 

 

こういう遺物がいたるところにあるのがこの村の特徴だ。そして、こういうものと同居して暮らしている人々がすごいと思う。

そして、もうひとつすごいのが村のほとんどの場所に広がっている田んぼが耕作放棄地や宅地に転向されることもなくきちんと農業が営まれているということだ。どこを掘っても遺跡が出てくるような場所ではなかなか土地開発も進まないのかもしれないが、正統な里山がきちんと残っているのだ。

 

   

 

実は、1300年前の遺物たちよりもそっちの方に感動してしまったのだ。

 

午後1時過ぎに畝傍駅に到着。次の電車は約1時間後、近くにコンビニはないかと駅の周りをうろついて缶酎ハイを購入して電車がやってくるのを待つ。

 

 

自転車で走り抜けた距離はGPSプロッターの計算では28.432キロメートル。

 

 

帰りの電車の中では酎ハイの酔いも手伝ってずっと居眠りをしたままで自宅の最寄り駅にたどりついた。

 

とにかく疲れた・・。

 

場所;紀ノ川河口

条件:中潮3:22干潮

釣果:タチウオ1匹

 

本当なら今日はNさんに連れられて住金一文字に行くことになっていた。しかし、台風23号が最接近するというので残念ながら中止となった。たしかに、昨日の時点ですでに住金一文字のパイルのところにはかなり高さの波が打ちあがっていた。

 

それも仕方がなく、今日はタチウオだけ行くことにした。

朝は少しゆっくりの4時43分出港。

 

 

鉄鋼団地の前に行くか青岸に行くか迷うところだったがやはり安全策の青岸を目指すことにした。

とりあえずはキリンクレーンの前から仕掛けを流し始めて青岸を目指す。

今日もアタリはない。多少でも台風のうねりは入っているだろうから棚を浅くしているのが悪いかもと思って深くしてみたらやっとアタリが出た。しかし、今日もこれ1匹で終わってしまった。

救いは電気ウキを2本拾ったことか・・。

いよいよ今年のタチウオも終わりかもしれない。

 

帰りの道すがらは穏やかそのものだった。川面はまったく波もなく仲のよい鳥がのんびり浮かんでおり、誰も通らない道の真ん中をのんびりカニが歩いている。

 

  

僕も家に帰りのんびり植木の刈り込みをしていたのだか、空は知らない間に雲が厚くなり雨が降り出してきてしまった。一本だけにしておこうと思っていた木の刈り込みはほぼ終わっていたが切ったあとの枝の後始末は全身びしょ濡れでやらねばならなかった。

雨はわずかな時間で止んだのでゆっくり待てばよかった。のんびりしていないのは僕だけのようであった。

こういうのもツキが落ちたというのだろうな~・・