たくさんのいらぬ回り道と
経験をしている
腹の癇癪玉打上師るるるです
以前も小出しで書きましたが
父親は霊能者でした。
明治生まれで
(お爺ちゃんじゃなく父です)
戦時中、岩が崖から落ちてきて下半身不随に。
本当に今となっては笑えるくらい
超貧乏家に生まれた私。
一家8人が川の字のように
寝ていたことが懐かしい。
トイレ、お風呂は家の外。
真っ暗な中10mくらい先の
トイレやお風呂にいくわけです。
(今、行けるかなぁ・・・?)
朝起きると、父親が言うわけですよ。
「明け方、枕元に○○さんが
よろしく頼みますって来た」とか!
そして、しばらくすると
近所の人が
訃報を伝えに来るんですよ。
私が小学校上がる前は
実は電話がなかったので
何かあれば用事を伝えにおうちへ行き
連絡を取り合ってたんです。
今はダイヤルすれば
出てほしい相手が電話に出ますよね。
その当時は違ってたんですよ!
田舎で電話が普及された当時、
電話はいったん電話局の交換手が出て
相手の番号を口頭でいうと
繋いでくれるというアナログでした。
イメージつかない?
Σ( ̄ロ ̄lll)
『となりのトトロ』で
メイがいなくなってサツキが
カンタのお家から電話をかけますよね?
あれです、あれ。
電話が普通になると
今度は黒電話が鳴り亡くなったという
一報が入るわけです。
幼少期からそんなことが多々。
今考えれば
ホラーですっ
で、そんな家庭に育つとどうなるか。
ご想像の通り、
スピスピした子に
スクスク育つわけです♥
ちょっとしたことでも何かあると
今でいう引き寄せ的な?
見えないものとの融合を図るというか。
DVやらなんやらの時は
そんな余裕がなかったんで
ごくごく普通の人でした(笑)
もちろん
それなりの体験はしてきた上で
スピスピしてたんですけどね。
金縛りはもちろん、幽霊も見たことあるし
人が背負ってる
「こんな感じの人」がわかっちゃうし
芸能人が画面に出ると
死期が近い人がわかっちゃったり
この人とこの人結婚する・・・とか。
そんな私が、なぜ今
完全なるスピ側にいないのか。
ありがたいことに
それは亡くなった旦那のおかげ。
彼は超現実主義。
仏教系の学校を出ているのだけど
目に見えるもの、
今やるべきことが最優先。
ちょっとでもスピってると
「なんで、そういう考え方なわけ?」
と、ご指摘が
それは結婚してから。
おそらくそれまでは
気にも留めてなかったのかもしれない。
そうなると、
まぁおそろしい。
何でも都合よく引き寄せやら
見えないもののせいにして
都合の悪いことにフタをして来た
部分が明らかになってくる。
自己解決をしなくてはならないことが
矢継ぎ早にやってくるのだ。
それゆえに
なんと鬱のような状態に!
それくらいスピスピをやめるって
色々な影響があるんですよ。
始めはそれがきつかった。
けれどある時「あれ?」と。
スピスピしてない自分が
それがわかると一気に楽になった。
もちろん与えられた感性が
なくなったわけではない。
運命というものや見えないものを
信じていないわけでもない。
今は色んな意味で
スピリチュアルブーム。
引き寄せって言葉にすり替えたら
何でも自分の納得できる方向にいくよね。
見えないことだから何にでも使える。
良くも悪くも。
それゆえに危険なのね。
自分がやっていることは
間違いなく引き寄せで
私がやっていることは間違いない!
協力しない人たちは
私が引き寄せた人じゃないんだ!
とか
引き寄せのように
私と同じような
気持ちの人が集まってくる!
とかね。
本当にそうなのかな?
もしも批判とか
否定されたりしたら
その時は悔しかったり
悲しかったりすると思う。
だけど考えを大きく切り替える
きっかけになるときもある。
スピスピするのは都合がいい分
自分自身の甘さを
増長するからホントに危険。
ハマってる自分が心地よくて
それが自分を守るための術に
なっている人もたまに見かける。
ただそれにばっかり頼ってたら
自分自身の反省点や改善点が
見えなくなってしまう。
元々、人間って傷つくのが嫌だから
自分と同じくらいの考え方の人と
集まりやすいっていう心理状態。
それを「引き寄せー」とか
言われちゃったもんにゃ
かなりのボディブローをくらってしまう。
(飲み会やら笑える場所での
発言ならあり!)
スピを現実に取り入れるなら
ハマりきらないこと。
目に見えることが全てじゃないけど
目に見えてることは現実だからね。
あぁ・・・
スピスピしてた自分って
けっこう痛い人だったんだな
と、自戒をこめて。
スピスピで育ったるるるが
心を込めてお送りしました
記事を最後まで見れたら
ポチしてくれるとうれしいです