下娘の保育園で複数名の陽性者が発生したので、今週月曜日から保育園が休園になっています。


濃厚接触者の特定にだいぶ時間を要していたのですが、本日、園から連絡があり、「下娘さんが、濃厚接触者として特定されました」とのことえーん


喘息持ちなのでコロナ感染に(私が)神経質になっていて、まん防期間中は登園自粛要請もあったこともあり登園させておらず、今月22日から登園開始。

登園開始から1週間でまさかの展開ですアセアセ


オミクロンが流行り出してから園児も続々と陽性者になっていたため、いつかは来ると思っていましたが、いざ「濃厚接触者です」と言われると、ちょっとショック悲しい


肝心の下娘の様子ですが、熱は無いものの先週末から咳をしていて、咳をする度に「ママ、●ちゃん、苦しい」と言うので今週月曜日にかかりつけの耳鼻科へ。

先生に、保育園が休園になった旨伝えたところ、「30-40%の確率で陽性だと思うけど、PCR検査は発熱したらするから」と言われ。


ここまで書いていたら、何だか自分もダルくなってきましたえーん


中国では今、これまでで最も感染者数が多い状況だというニュースを見ましたが、コロナの波状攻撃が止みませんね。



私事ですが、今月、叔父が亡くなりました。

コロナ前は年に2回、叔父の家に集まってBBQをしていたけれど、コロナが流行り出してからここ2年は会えておらず。

今日、家の片付けをしていたら、昨年4月に叔父がくれた手紙が出てきて、「コロナが収まったら、また皆で会おう」と書いてありました。

「一年前は元気にしていた叔父と、会う機会が無いまま、もう永遠のお別れをしたんだ」と思ったら泣けてきて。


このご時世なので葬儀も家族だけで済ませるということで、私は参列しておらず。

2年以上会えていないので、亡くなったと言われても全く実感が湧かず。

でも、もう二度と会えないのだという、この現実。

そのギャップに戸惑います。


コロナ禍におけるヒトとヒトとの関係性の特徴の一つに、実態感/実在感の無さ、ということがあるような気がしています。


いつか、以前のような、会いたい時に会いたい人に会える「日常」を取り戻すことが出来たとき、その時に初めて、亡くしてしまった沢山の悲しみに触れ、打ちのめされるのかもしれません。


コロナ禍の日常は、何だかとても空虚です。