最近こちらの書籍を読みました
秘伝 中学入試国語読解法 (新潮選書) 1,728円 Amazon |
第1部 僕たちの中学受験
第2部 入試国語を考える
1999年に出版されたこちらの書籍は、漱石研究で高名な石原先生が、ご子息と首都圏での中学受験に挑んだ記録を綴ったものです。
第1部では、ご夫婦共に経験したことがない中受をなぜ息子さんにさせようと思ったのか、塾選び、学校見学の感想、志望校選び等々、学校名を出しながら当事者としての中受体験談を赤裸々に語っています。
学校名も塾名もぼかし無しで、率直な感想が書いてあるため、読みながら「ここまで書いたら、悪く書かれた学校からはクレームがきたんじゃないかしら・・・」と要らぬ心配をしてしまいました 苦笑
時に苦悩しながらも家族一丸となって中受に立ち向かっていく姿は、読み進めるにつれこちらも感情移入してしまい、第一希望に合格したくだりでは涙腺が緩みました
少々冗長に感じる語りもあり、また出版から年数の経っている書籍ですので、出版当時とは受験事情が異なる記述も少なからずある気もしますが、私のような中受未経験者には、「塾の資料はそういうポイントに注目してみればいいのか」等々、参考になる点が多々ありました。
第2部は、日本近代文学をご専門とされている著者が、中受の国語の過去問を題材に、解法を説いています。
本のタイトルだけ見ると単なるテクニック本かと一瞬勘違いしそうになりますが、そういう本ではなく、リブログした書籍に近い印象で、そこに大学の先生らしいアカデミックな視点が加わり、入試問題を”スマートに読み解く”方法が示されています。
第1部、第2部共に、読みながら様々な気付きがあったのですが、その一つに、二元論を軸に考えると中受(に限らず、以降の受験においても)の国語は解きやすくなるという指摘がありました。
話は逸れますが、少し前にブロ友さんが「子どもの教養」について書いていらっしゃいました。
私も娘たちには教養のある人になってもらいたいと思っているのですが、私の考える”教養人”のイメージは、
(体験×思索×人間性)+自己表現スキル
でして(体験には、読書を通じた疑似体験も含みます)。
中でも思索については、それを深めていくために思考の型や軸を持っていたほうが良いと考えています。
前述した二元論云々も、受験国語攻略のためと言うより、思索を深めるための型の一つとして娘たちには理解を促したく、また、反対言葉はそれに必要な知識として学んでもらおうと思っています。
冒頭の書籍を読んだ後に、だいぶ前にhanaさんから教えて頂いた福島式のメソドロジに改めて目を通したのですが、「くらべる力」、「言いかえる力」、「たどる力」という言葉で石原先生と同じことを主張されていることに気付きました。
福島式はテクニック寄りなので、早期から取り入れると国語があまりに味気ないものになってしまう気がしますが、知っておくと国語指導に役立ちそうなので、娘たちの受験勉強が本格化するまでに先ず私が勉強しておこうかなと思っています(←最近こういうのが多くて、自分の受験時代より”やる事リスト”がパンパンな気がします 笑)。
以下、備忘録のメモ書きです
どこかで少し無理をさせないと喜びは得られない。
いつそれをさせるか。
ここでも親の責任は重いと痛感させられた。
~
子どもの意志に反して何かを押し付けてはいけない。
子育てはお金で解決できるものではない。
質の低い問題を出す中学は受験しないことである。
そこには、質の低い教員しかいないだろうから。
これは、実際に志望校選びをするときの重要な基準になった。
私立中学の入試問題は、その学校のメッセージだ。
私立の学校は、何らかの哲学を持っている。
だが、その哲学に合う子どもだけが受験するとは限らない。
そこで、真剣勝負の場で子どもと対話を交わそうとするのである。
それが入試だ。
だから、入試問題と相性が合わないということは、その学校の哲学と相性が合わないのだと考えていい。
~
問題との相性は偏差値に優先する。
もちろん5ポイント以上離れていれば手も届かないだろうが、5ポイント以内であれば問題との相性次第という気がする。
入試ではなぜ記述問題が重視されるのであろうか。
~
文章の書ける子はまず間違いなく頭がいい。
物事は言葉で考えるものだからだ。
上位校は国立大学入試のための科目数の多いセンター試験を目標にしているから、バランスのいい子が欲しいと思っている。
それで四科入試を実施するわけだが、数学ができなければ国立は望めないから、中学入試でも上位校の算数は殊に難しい。
その上でトータルな頭の良さを測ろうとすると、記述問題に行き着くのである。
それに、自分の表現を持っている子は既に社会化されているわけだから、生活指導の必要が少ない。
~
中学入試の国語記述問題で問われているのは、抽象化の能力である。
字数制限の緩やかな記述問題のポイントは、「しかし」を使うこと。
~
「自分にはその反対意見もちゃんと分かっている。しかし、かくかくしかじかの理由でこういう結論に至りました」という構造の文章を書くことで、人間的に大きく見られて、その結果答案にも膨らみが出来る。
~
国語の記述で大切なことは、「しかし」を生かすために、<勇気/臆病><明るい/健康><生/死>のような二項対立の論理構造を学ぶことである。
~
二つのものの違いをはっきりさせるためには、二項対立を使うといい。
~
「知的」で「大人」の文章を書くということは、上層階層の徴の一つなのである。
もしそうだとすれば、記述問題は単に子どもの能力を測るためだけにあるのではないことになる。
上位校が上層階層に独占される傾向は、多分こうした設問の形式によっても作り出されているのである。
記述問題が上位校のステータスだということは、こういうことをも意味している。
物語は一つの文である。
つまり、物語文は「誰々が、どうした」とか「誰々が、何になった」というような一つの文に要約できるのである。
そして、中学入試の物語文の多くは、「誰々が、成長する物語」と要約することが出来る。
個々の設問はこの物語の大枠を前提として、「どのように成長したのか」を問うのである。
~
例えば、自分の言葉で書きなさいとか、自分の考えを書きなさいとか聞かれることがある。
そんな時でも、当然のことながら本当に勝手に書いていいわけではない。
この大前提を踏まえて書かなければならないのである。
それが読解問題のルールである。
最初にルールを一言で言ってしまおう。
「国語」という教科の目的は、道徳教育にある。
それが学校という空間のルールだからだ。
だから、「成長するのはいいことだ」とか、「自立することはいいことだ」とか、「人の気持ちを大切にすることはいいことだ」といったことが「国語」教材のテーマになっている。
いや、もっとはっきり言えば、それが「正解」になっている。
~
「国語」に強くなるためには、まずこのルールを頭に叩き込むことだ。
次に、どういうことが道徳的に価値があるとされているのかを早く覚えてしまうことだ。
そして、その価値観がどういう物語の型や評論の型を作り出しているかを覚えてしまうことだ。
そうすれば、後はそのバリエーションにすぎないことが、やがて分かってくるだろう。
入試国語も「国語」の一部である以上、このことに変わりはない。