凛とした聡明さを感じて、私が「素敵な方だな・・・」と憧れているブロ友さんが少し前の記事でご紹介されていた書籍を読みました。
りんごは赤じゃない―正しいプライドの育て方/新潮社
¥1,404
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とある中学校の美術教師の方を取り上げた本なのですが、美術指導を通じて人育てをしている姿を通して、「知育」という狭い領域ではなく「子育て」という広い領域において、
 親としてどう子どもと向き合うか
 何を大切に子育てするべきなのか
といった気付きを与えてくれる書籍で、とても良かったです。

子どもの成長ステージに応じて新たな気付きが得られる書籍だと思うので、今後折に触れ読み返すつもりです。

いつも素敵な書籍、絵本、知育に対する取組姿勢を教えてくださっているブロ友さん、ありがとうございます。


以下、備忘録のメモ書きです

 (子どもの)小さな一歩を見逃さない観察力と、それを認める心を持つ。
相手の中に眠っているほめる材料を、自分(=親、教師など)で引き出す。
一人だけでなく、全員をほめる。

この3つが揃うと、絶大な効果がある。


子どもにとって、誰かに「いい子」だと褒められる機会は案外少ない。
結果を評価されることはあっても、個人の人格について「いい子」だと褒められるわけではない。
「いい結果を残したから、素晴らしい」のではなく、「いい結果につながる行動を起こした」だけで「いい子」だと考える。


 ずっと「いい子」であり続けるのは難しい。
しかし、ほんの一瞬だけ「いい子」でも褒めてもらえるのなら、取りあえずやってみようと子どもは思う。
そして、(親、教師などは)その瞬間を目ざとくみつけて、大きく褒める。
これを繰り返していくと、「いい子」でいる時間がだんだん長くなっていく。


 子どもは「いい子ね」と連発さえしていれば必ず教師の言うことを聞いてくれるわけではない。
教師に威厳が無いと、かえって逆効果になる場合がある。


 習態度を向上させるためには、教師の命令に服従させることではなく、生徒自身の判断力と自覚を育てることが有効。


 初めてクレヨンを握って絵を描き始めた幼児にとっては草や太陽、星や月などが記号で描けることが重要となる時期がある。
記号が描けることは大切だが、8歳、10歳と成長しても、そして中学生になっても、ものの形を描くと記号になってしまうのは問題だ。
だから、草が本当はどんな形をしているのか等、記号の中に封印されてしまっていた視覚を取り戻す必要がある。


 草が1本1本全て違うように、人間も一人一人違っている。違うことって素晴らしい。
人間も雑草のように十人十色なのだ。
だからみんなと一緒でなくていい。
それぞれみんな素晴らしい。
心からそう思ったとき、ホッとして自信が芽生えてくる。
更に生徒たちは人間は何でも出来るのではなく、自然の一部にすぎないことを知る。

雑草を描くことが目的なのではない。
大切なのは、自分が本当にそう感じたのか、そう思ったのかを自問し、心の眼でものを見ることだ。


 美術では絵や立体で自分のイメージ、考えを表現していく。
イメージの世界では、自分の悲しみや喜びを表現する色彩は何?ということが重要になってくる。
そのためには大自然の色彩を知ることが必要になってくる。
それを知らないと、自分のイメージの世界がものすごく甘いものになってしまう。
本当に自分の心を色や形に託すのであれば、りんごは『赤』なんて単純な色ではとても表現出来ない。
りんごで自分の心を表現するとしても、絵具から出した赤のままでは、その子の気持ちは表現できないはず。



 りんごは赤じゃない、きゅうりは緑じゃないということ、大自然の作った形や色は本当に素晴らしくて、人間には到底真似出来ないことを心から実感できたなら、充分。
こうした活動を通して、子どもたちは「心の眼」でものを見始める。
心で感じ、考え、決断しながら感性が育っていく。

ものの本質を見抜く感覚は、子どもの自尊心を正しく育てるために必要不可欠。



 上手い、下手や点数の高低といったランク付けをするのではなく、絵の奥にある深い部分を見抜く感覚が獲得されると、自然と作業が丁寧で緻密になる。
すると作品のクオリティが高まり、「自分らしさ」に対する自尊心が芽生えてくる。
ものの本質を自分の目で見て、感じて、考える力は、自尊心を育て、正しいプライドを獲得するために欠かせない羅針盤ともなるもの。


 教室に流れる「あなたは大切な人」というメッセージを吸収していくうちに、生徒の中には自尊心が育っていく。


 人に言われたままに作るのではなく、自分の意志で作り上げる。
そこで得られる誇らしい気持ちが、本物のプライド。
他人に勝ったという優越感ではなく、自分が全力を尽くした結果として完成した作品が認められる喜びは、子どもの「自尊心」を「プライド」に進化させる。
「自尊心」は他者から丁寧に扱われることで生まれやすいが、「プライド」は子ども自身が何かをやり遂げたことによってしか生まれない。


 お金が欲しい、賞が欲しい、名声が欲しい、と「結果」を求めて動く人間もいる。
結果を求めることは時に必要なことであり、責めることは出来ない。
しかし本当に素晴らしいことをやりとげるには、先人(の偉人たち)のようにプロセスそのものに純粋に没頭する姿勢が必要になってくる。
他人と自分を較べたり、結果によって右往左往することはない。

自分はどう生きるべきなのか。