外山先生のこちらの著書を読みました

わが子に伝える「絶対語感」―頭の良い子に育てる日本語の話し方/飛鳥新社
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内容は見ていませんが、関連したワークもあるようです。

わが子に伝える「絶対語感」練習帳/飛鳥新社
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「絶対語感」というのは一般的な言葉なのでしょうか
その辺りよく分からないのですが、この本の中では抽象的思考に至る耳から(後に目から)取り入れる言葉に対する感性・感覚を「絶対語感」と表現し、それを幼少期から適切な働きかけによって形成することの大切さを述べています。


ところでこの本・・・。
最初に読んだ時は「つまらない本だなー」と思い(気分を害した方がいらしたら申し訳ありません)、唯一参考になると感じた素読の箇所だけブログにメモして図書館に返却しようと思ったのですが、いざブログに備忘録メモするために再度開いてみると・・・。
とても良いことが随所に書かれていることに気付き、初めから熟読してしまいました。


音読を繰り返すことの大切さは石井式漢字教育と通じるものがあり、
更に、
抽象的思考の大切さはピグマリオンの主張と通じるものがありました。


これまでにも何度か書いたように算数はピグマリオン、国語は石井式を軸に進めようと思っているので、それぞれの教育方針について期せずしてこの書籍で理解を深めることが出来、何気なく図書館で見つけて借りただけの本ではありましたが、読んで良かったと思いました。

この本の中では素読・音読の大切さについてページを割いて述べているのですが、暗唱させる事は決して目的ではないけれど、結果としてそこに到達することの大切さや意義について、この本を読むことでようやく私自身腹落ちした気がしています。
そして、「暗唱文集を活用しよう 」と改めて思いました。


以下、備忘録のメモ書きです


 言葉の習得は一にも二にも繰り返し。
全ての学習の基本は反復と継続。
分からない言葉でも繰り返し聞いているうちにやがて分かるようになる。
考えなくても使えるほど習慣化し、「習い」となったものはおのずと深化して精神的なものを形作るようになる。
昔の人はこれを「習い性となる」と表現し、ヨーロッパでは「習慣は第二の天性なり」と言っている。


既知を読むα読みから、子どもの発達段階に従い、未知を読むβ読みへ移行させなければならない。
教育を受けた人のなかにも、これまで一度も本当のβ読みをしたことがない人は数多くいる。
「TVなら分かる。読み物でもゴシップや物語、小説なら分かる。新聞でも社会面なら分かるけれども、社説や論説は堅くて面白くない」
というタイプの人がそれに該当する。
これはβ読みが出来ないため、読んでも分からないことに起因している。


 昔の教育はエリート教育だった。
荒っぽい修行を課すことを何とも思っていなかったため、難解な漢文を年端もいかない子どもに無理やり読ませていた。
意味などどうせ説明しても分からないので初めから問題にしない。
この、分からないことを読ませるというところが素読の優れているところ。
子どもにとって四書五経は全く未知の世界だが、それを読まされることによって未知を読む訓練になる。
これほどβ読みに適した方法は他にない。



 「畳の上の水練」という言葉があるが、「泳ぐのは難しい。下手をすると溺れてしまうかもしれない。」と言っていつまでも畳の上でα読みをしていていたのではいつになってもβ読みは習得出来ない。
それならいっそのこと畳の上の水練は止めてしまって、思い切って水に飛び込ませることが有効になる。
それが素読。
素読をした人は殆ど皆、すんなりとβ読みが出来るようになっていたと思われる。
未知のものを読み、理解することで、自分の世界を開くことが可能になる。
親が「これは一生、心の糧になる」と思うような本を、意味など考えずに読ませると良い。
或いは一緒に音読すると良い。



 素読のようなβ読みは繰り返し繰り返し読むことで大きな教養効果をあげることが出来る。
分からない原文を繰り返し読むことで、教えられもしないのに未知が理解できるようになるという奇蹟が起こる。
昔の人はそれを「読書百篇意おのずから通ず」という言葉で表現した。
このような読み方をすると本、文はたいてい暗記してしまう。
暗記している文章がなくてはならない。


 早期教育だと言って、先に目の言葉(文字)を急いで教えてはいけない。
耳の言葉が大切なのは、それが子どもの知的発達に大きく影響しているからであり、耳で言葉を聞き分けることで子どもの頭は良くなる。
耳の言葉の軽視は日本人の特徴。
入学前に耳から抽象的言語を理解できるようになった子どもは、小学校入学後に目の言葉の世界でもスムーズに抽象的言語を理解するようになる。


「太郎くんが鉛筆を2本、花子さんが鉛筆を3本持っています。2人の鉛筆を合わせると何本ですか」
2とか3といった数字は抽象概念なので、抽象的に考えることの出来ない子どもは指を折ってみないと分からない。
「自分の経験の外にある」ものが頭に入っているかどうか(=抽象的思考が出来るかどうか)によって、知的学習の成果に大きく差が出る。
抽象的な言葉を耳から聴かせて、耳で言葉を聞き分けるためにはおとぎ話や昔話を沢山読み聞かせると良い。
それらは超現実的な世界・フィクションであり、現実には存在することの無いおとぎ話や昔話を耳から聴いて育つことで、子どもは聡明(理解力や判断力が優れている)になる。




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