ターナーとモネの関係性 by Ken | ART BASE PROJECT / ル セコメロン

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ル セコメロン 主宰
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美術展企画1991年〜500回以上開催
画家夫 石上誠展の企画から始め、以後私自身に響く作家の作品展を企画し情報発信
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今日はニューヨークで感じたターナーとモネの関係性について書こうと思います( ´ ▽ ` )ノ

先週メトロポリタン美術館に訪れた際、イギリス最大の風景画家の一人であり、ロマン主義の巨匠、ウィリアム・ターナーの三枚の作品を目にしました。三枚の作品が上の一枚と下の二枚の絵です!!これらの絵を見たときに、衝撃を受け、ニューヨークレポート3日目の記事に感想を書いたのですが、その際、印象派の光の使いかたと非常に似ているなと直感的に感じていました。






私は今まで、コローやミレーなどの自然の風景を写実的に描くバルビゾン派やクールベなどの写実主義が印象派の流れを築いたと考えていました。しかし、今回メトロポリタン美術館のターナーの作品(特に一番上の作品「古代 イタリア」)を観た時に、印象派はもっと遡ればターナーに源流があるのではないかと考え始めました。この考えを持つに至ったきっかけとして、ターナーの作品以外に、ニューヨークに行く前に東京都美術館で現在も開催されているモネ展に足を運び、そこで観たモネの数々の傑作が脳内に残像として残っていたからだと思います。特に感動した作品が印象派の始まりになった絵として言われている「印象 日の出」です。下の絵がその絵です。



一番上のターナーの作品とこのモネの「印象 日の出」を観て、みなさんは何か共通するものを感じないでしょうか?( ´ ▽ ` )ノ

一番上のターナーの「古代イタリア」は1838年に描かれた作品で、モネの「印象 日の出」は1873年に制作されました。つまり、印象派の絵が誕生する35年も前にターナーの絵は描かれました。両巨匠の傑作を観て、絶対に何かつながりがあったはずだと思い、モネの生涯を少し調べてみました。
モネは1840年にフランスのパリで生まれ、1926年に亡くなります。フランス・ジヴェルニーの自宅の庭にある睡蓮の池をモチーフに、1899年から亡くなるまでの間に描いた「睡蓮」は全部で200点以上制作されています。このモネの代表作「睡蓮」はアート好きでなくても日本人なら誰でも知っている作品だと思います。さて、モネの生涯の中で、ターナーの故郷であるイギリスに訪れていた記録は残っているのでしょうか。残っていたんです!!( ´ ▽ ` )ノ!!笑

フランスでは1870年7月、普仏戦争が勃発しました。この戦争での兵役を避けるために、モネは同年9月頃ロンドンへ赴き、1871年の5月頃までの1年弱の間滞在したという記録が残っているんです。この期間に、モネはターナーの作品に出会い、研究していたと言われています。このロンドンの地で、モネはターナーの作品の特徴である太陽光とそれに反射する空気や水を描き切っている風景表現を直接観たときに、インスピレーションを得たのではないかと私は推察します。なぜなら、両者の描写対象の共通点もさることながら、1871年にロンドンを後にした2年後の1873年にモネは「印象 日の出」を発表しているからです。睡蓮の池の水や霧を媒介に、そこに映し出される時間とともに刻々と揺れ動く光を捉え続け、生涯にわたり追求した「光の画家」クロード・モネの源流はやはりターナーにあると言えるのではないでしょうか。


上の絵はニューヨーク近代美術館で撮影したモネの「睡蓮」の連作です。

両者の風景画を鑑賞する度に、ただの写実的な風景を超えて、その瞬間の景色に、永遠を感じます。光の反射が絵の構図全てを支配しているかのような存在感があり、光に誘われて、自分も一瞬この世界を離れたような気さえします。瞬間=永遠、永遠=瞬間の時間感覚を両巨匠は刻々と変化する光に託したと考えざるを得ません!

今日はニューヨークと東京で観たモネとターナーの作品から感じた両者の関係性について書いてみました。ではまた~( ´ ▽ ` )ノ by Ken