ニューヨークレポート6日目・グッゲンハイム美術館 by Ken | ART BASE PROJECT / ル セコメロン

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ル セコメロン 主宰
マサコ日記☺︎
美術展企画1991年〜500回以上開催
画家夫 石上誠展の企画から始め、以後私自身に響く作家の作品展を企画し情報発信
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ニューヨーク6日目は、グッゲンハイム美術館を訪れました。グッゲンハイムと名がつく美術館は世界各地にあり、私はヴェネチアのペギー・グッゲンハイム美術館に何度か足を運んだことがあったので、2ヶ所目のグッゲンハイム美術館でした。セントラルパークの目の前、メトロポリタン美術館の目と鼻の先に美術館はあります。まず、グッゲンハイム美術館は建物そのものに驚かされます。なぜなら、建物がカタツムリみたいな形をしており、内装も渦巻き型だからです。一階のロビーから最上階まで階段を使わずに渦巻き型のゆるやかな坂のスロープで館内を歩くことが出来ます。上の写真が美術館の外観で、下の写真が館内の様子です。本当にカタツムリみたいですよね??( ´ ▽ ` )ノ




グッゲンハイム美術館の最大の特徴は、「抽象画の父」と呼ばれるロシアの巨匠、カンディンスキーの作品を世界一所蔵している点です。これまでカンディンスキーの作品を何枚か観てきましたが、正直ピンとこず、あまり好きになれませんでした。しかし、今回グッゲンハイム美術館とメトロポリタン美術館に展示されているカンディンスキーの作品を観た際、直感的に惹かれるものがありました。そこで、なぜ惹かれたのかを直感だけでなく、できる限り言葉で解明したいと思い、グッゲンハイム美術館のカンディンスキーのコーナーに1時間ぐらいこもり、作品たちとの真剣勝負を開始しました。この戦い(笑)の結果、自分なりにカンディンスキーに惹かれた理由を見つけ出しました。


それは、具体的な物質を超えた先にある精神性を一枚の画面にぶつけようと試み、さらにその精神性はあくまでも幸福や喜びといったポジティブな面に向けられているという点です。ピカソにしろ、セザンヌにしろ、これまでのルネサンス以降の西洋美術のセオリーを無視もしくは否定はしたものの、対象の原型は残っているため、鑑賞者は何が描かれているかを一応は識別することが出来ます。しかし、下のカンディンスキーの絵画を見てわかるように、カンディンスキーの表現方法は、線と色と形が画面の中で、不安定に存在しているだけで、具体的に何が描かれているのかは全く分かりません。では、なぜカンディンスキーはこのような抽象画と呼ばれる表現を追求したのでしょうか。この疑問に対して、目に見えないもの(具体的な形はないもの)にこそ普遍的な美があるとカンディンスキーは考えたのではないかと私は思いました。




例えば、上の絵を観てみると、カラフルな色彩、様々な形状をしたもの、そして多種多様に引かれた線が画面全体を構成しています。私にはこの画面全体があたかも素晴らしい音楽を聴いた時の高揚感や好きな人が出来た時のなんとも言えない気持ち、美しい景色を見たときの感動等々、目には見えないが確実に存在する心の動きや精神を画面に表しているように感じられます。具体的な対象をそのまま描写してしまうと、どうしてもその形状にとらわれ、山なら山、花なら花、人物なら人物といったように美が外的なものによって制限されてしまいます。しかし、カンディンスキーはこのような具体的な形状ではなく、抽象的な表現を追求することにより、外的な制約を超えて、より直接的なアプローチで精神的なものを描き出そうとしたのではないでしょうか。その精神の中に普遍的な美を見出したと私には感じられました。さらに、カンディンスキーの色の使い方は暗い色を使うのではなく、赤、黄、オレンジ等の暖色を多く軽やかに用いていることから、ネガティブな精神性というよりもポジティブな精神性を表現しているように思われました。具体的に言うと、生きる楽しさや喜び、幸福感を表そうとしているように感じられます。



だからこそ、私は直感的にカンディンスキーの作品に惹かれたのかな~と思います!!私の考察が専門的に正しいかどうかは分かりませんが、カンディンスキーの作品との一時間の戦い(笑)から、自分なりに作品たちの魅力の解明をしてみました~( ´ ▽ ` )ノ今回のレポートはカンディンスキーばかりになってしまいましたが、これで6日目のレポートを終わろうと思いま~す(^ ^) ではまた!!
by Ken