秋は決まり良く時が流れて行きます。 | 一風父ちゃんのブログ

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秋の作業は何もかもが決まりよく片付いていきます。悪天候続きでなかなか進まなかった稲刈りも終わり、田んぼには悪戦苦闘のわだちの跡があちこちに見られます。気の早い人は越冬野菜の取り入れを始めています。ここ何日かの冷え込みで昼夜の寒暖差がぐっと広がり、最後の「ふじ」の色づきが増してきています。いよいよ収穫が間近に迫ってきています。「ふじ」の収穫が終わるまで何とか無事にと、台風に変わって今度は山からの冬将軍の到来を心配しています。こんな私達の自然に対する畏れについて書かれています。今からおよそ45年前に、三重県四日市や熊本県水俣市など全国で、企業利益第一主義で全国に企業による公害病が発生し、全国の大学生達が企業技術の基礎となる科学技術の責任を責め、学問のあり方を問いかけた運動が全国各地の大学でおきました。その運動のカリスマ的なリーダーの1人で、当時東大生であった山本義隆氏が彼の著『福島の原発事故をめぐってーいくつか学び考えたことー』みすず書房のなかで、人類が有していた自然に対する畏れの感覚をもう一度とりもどすべきであると語ってます。「3月11日の東日本大震災と東北地方の大津波、福島原発の大事故は、自然に対して人間が上位に立ったというガリレオやベーコンやデカルトの増長、そして科学技術は万能という19世紀の幻想を打ち砕いた。今回東北地方を襲った大津波にたいして最も有効な対抗手段が、ともかく高所に逃げろという先人の教えであったことは教訓的である。私達は古来、人類が有していた自然に対する畏れの感覚をもう一度とりもどすべきであろう。自然にはまず起こることない核分裂の連鎖反応を人為的に出現させ自然界にはほとんど存在しなかったプルトニウムのような猛毒物質を人間の手で作り出すようなことは、本来人間のキャパシティを超えることであり許されるべきではないことを思いしるべきであろう。・・・何世代・何十世代の後の日本人に、いや人類に、何万年も毒性を失わない大量の廃棄物、そして人の近づくことの出来ないいくつものの廃炉跡、さらには半径何キロ圏にもわたって人間の生活を拒むことになる事故の跡地、などを残す権利は我々にはない。そのようなものを後世に押し付けるということは、端的に子孫にたいする犯罪である。」 いよいよTPP法案が十分国民に開示説明されないまま今国会で承認の見通しである。農業の企業的な発展を追及するなかで、農業の効率化を目的に遺伝子組み換え作物の栽培が、現実的なもの(アメリカ等大規模経営の外国ですでにおこなわれています。TPPが展開されると当たり前のものとして人に対する安全性が問われないまま市場に出回る)となってきています。遺伝子組み換え作物の出現は、組み換え作物と現存の植物との交配によって、プルトニウムと同様この自然界に存在しなかった新たな植物が生まれるのではないか、そして新しい植物の出現がいずれ人間の手におえいない存在になって自然界を君臨してしまうのではないか、農業人の我々には気がきでありません。最近防衛省は軍事転用可能な学問に対して研究費の助成を行うべく取り組みを実施し始めています。学問研究の自由とはいえ学者の姿勢が、今問われなくてはなりません。「政治の前に人間あり」と同様「学問研究の前にも人間あり」です。憲法改正を前に発表された自民党の憲法草案は人より先に国ありです。国策に国民を誘導した戦前体制そのものです。何もかもが「御国のために」に向かっています。国は一政治家の思い実現の場ではありません。政治家の驕りが見えてなりません。「困ったもんだ」年よりの戯言であればいいがね!