死ねるまでにやっておくこと | ふりちんの寅のブログ

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奇麗に死にたい。


じたばたしたくない。


そのためには身の回りの整理。








断舎利ってやつですか。


物欲を捨て整理をする。


心の整理も必要だ。







最近、どういう死に方?というか


死んだ後の処理について考える。


人間死んでしまえば無になる。


ただ残された者たちの悲しみはどうしようもない。


でも死んでいったものが幸せと感じることが出来たら


残された者の安心出来るのではないか







「人間は何故宗教を必要とするのか」


阿満利麿著 ちくま新書 を読んだ。


俺は宗教を毛嫌いしてる


で、このタイトルの本を手に取ったわけだが


本書では宗教を自然宗教と創唱宗教に分けて説明してくれている


そう、俺は創唱宗教が嫌いなのだ。


今の身の回りにまとわりつく宗教=葬式仏教=くされ坊主→嫌いという図式


作者はどうも法然の研究に力を入れてるため法然贔屓か?


但し、私の興味の無い宗教論も多数頁を割いているのは残念。







宗教は教えであり、導きなのか


何に対して教え、導くのか


死後の不安


そしてそれは現世での行き方につながる






日本の仏教は死後の世界を作り出し


不安を煽ることにより存在してるような気がする。


死=無(本書では空ともしてる)


死に行く者(無)より残された者の安心が


必要なのだろうと思う。







人間は無になることを恐れるのか


だから魂や霊魂といった世界を作り出した。


自然界の中の一人間は小さいものだ


宇宙の中の生物としたらなおさら自然に


逆らえるものでない。


地球という星さえ宇宙サイクルの流れ・・・自然消滅には逆らえない。


人間はまったく無抵抗な存在でしかない。


人間は自然に生かされ、自然に流される。


宇宙神から見ればあり一匹よりも芥子の一粒よりも


小さい存在でしかない。







死とは自然の流れの中にある


そう考えると死が恐くなくなってきた。






心静かに死ぬまで考えよう。


死ねば考えられないのだ


無であり空なのだから